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関東百山 赤久縄山=あかぐなやま(1522m
登頂年月 1996.03.23 天候 晴れ 単独 マイカー 一等三角点
万場八幡神社(7.50)−−−早滝への分岐(8.55)−−−早滝(9.20)−−−稜線分岐・白岩(10.13-16)−−−赤久縄山(10.45-11.20)−−−林道(12.10)−−−万場八幡神社(13.30)

赤久縄山山頂
自動車は神流川の渓谷を逆上って行く。諏訪山、御荷鉾山など、このエ リアの山登りに通いなれた道である。
万場町塩沢川にかかる橋のたもと、八幡神社の近くに駐車スペースを見つけて、ここをスタート地点とする。

八幡神社で国道と別れ、塩沢川沿いを塩沢峠への勾配のある車道を上って行く。のどかな山村風景の中、民家の庭先の白梅の香りが春の息吹を感じさせてくれる。

急ぎ足気味に歩いて行くと、塩沢の渓がだんだん狭まってきた。釣り人の姿をときどき見かける。渓谷を渡る風は、思いのほか冷たく身をさす。そう言えは今日は強風注意報が出されていた。
完工したばかりの塩沢ダムが、湖面に青空を映してあたりの景観を明るくしていた。
1時間ほど車道を歩いたところで、『早滝』を示す道標があった。ここで右へヘアピンカーブを切って上って行く舗装道路と分かれ、道標の指す早滝への道をとる。(赤久縄山へは舗装道路をそのまま進み、塩沢峠まで行くのが案内書による一般コース)
雑草の生えた土の道を、道標から3分ほど歩くとまた分岐となる。打ち捨てられて年月の経つ廃屋が一軒、ここからようやく登山道になった。

早滝の表示にしたがって、廃屋の前を通り支流となった小沢をからむように登りはじめる。 仕事道らしい技道が途中いくつも分かれているが、親切すぎるほど随所にある指導標に導かれて戸惑うことはない。きっと散策がてら滝見物に訪れる観光客のためだろう。
やがて『右作業道、左早滝』の指導標あり。ここで小沢と離れて急な 山腹へと取りついた。2〜3カ所鎖の連続する急峻を登って、小さな尾根を反対側へ越えると、滝の音が耳に届く。沢沿いを少し遡上すると、木の間をとおして高さ30メートルほどの細い滝が見えてきた。下部は氷っている。滝の手前数十メートルで道はなくなり、その先は薄い踏み跡がかろうじて認められるのみ。この薄い踏み跡が滝を越える高巻道と思って追ってみた。急なざれを登りはじめてすぐ、とてもこの滝を越えるようなコースではないことがわかる。周囲を観察したが滝を越えるようなルートは確認できない。急がば回れだ。さきほどの作業道との分岐まで戻ることにした。
戻った道標の“作業道”と書かれた脇に、だれが書いたのか小さく赤久縄山とマジックの添え書きがあった。作業道をたどって山頂を目指すことにした。

植林帯の中を斜上したり、じぐざぐを切ったりして、やがて雑木の尾根へ出た。気温もだいぶ低くなって来た。北風の吹き抜ける尾根道からは、ときどき赤久縄山の姿を見ることが できる。予想以上に歩かされて、ようやく稜線上のコースへ合流した。
三叉路の道標には左へ赤久縄山、右へ御荷鉾山、そして今登って来たコ ースを示す表示は、別に木の幹に打ちっけられた古びた木片で、かろう じて『早滝』と読めた。
赤久縄山まであと30分。小休止の後、稜線直下の平坦な道を東へ向かうと、10分そこそこで送電線の大鉄塔に出る。そこには御荷鉾林道が隣接していた。赤久縄山は目と鼻の先にある。北風が急にきびしく、寒さに震える。早春の明るい里とちがって、ここではまだ冬が終わっていない。

いったん凍結した林道へと出る。浅間山がかすみのベールの先に浮かんでいた。
林道を200メートルほど歩いて、再び登山道へ入るとこれが最後の登り、振り向くと三角おむすびを二つ並べたような御荷鉾山があっ た。北風が唸りをあげて肌を突き刺す。山頂まではずっと雪が覆っている。丸太の階段もすっかり雪の下に隠れ、急登に息を切らせて目的の山頂へ登りついた。

北面の木立が風除けになって、山頂は比較的穏やかだ。眺望は南面に限られて、一等三角点らしい大展望が得られないのが期待はずれだった。
目の前には両神山の鋸歯峰が意外に低い。その背後には奥秩父の連峰、そして遥かに富士の高嶺がのぞいていた。木立を透かして見える八ヶ岳連峰は純白の冬姿だった。

休憩かたがたスケッチをしたりして、山頂で30分余を過ごしてから下山にかかった。
下山コースは、これも一般コースではない南へ向かって伸びる急な尾根を下ることにした。踏み跡程度はあるだろう。
少し不安はあったが、山頂南側の薮を分けてそのコースへ入った。踏み跡といっても、獣道ほどのわかりにくいものだったが、最初のうちは薮はそれほど密ではない。もちろん道標の類いは皆無。尾根を外さないように下ってゆくと、意外にコースのはっきりしたところがあらわれたりして安心する。
いつの頃つけられたものか、小さなフリキに『下の植林は右へ下る』 と表示されているが、“下の植林”とはどのあたりを指すのか、年を経て樹木も成長し、見当がつかない。

尾根が狭まり、両側が急峻に落ち込んで踏み跡が怪しくなってきた。地図ではコースがはっきり読めない。尾根を忠実に下って行くよりしかたがかなさそうだ。手で薮を掻き分ける作業が多くなり、再び不安が募ってくる。
気がつくといつしか尾根から離れて、植林帯の中へ入っていた。植林地は仕事道らしい踏み跡が縦横に交錯していて、どれをとっていいか見当がつかない。
この山は早滝の懸かるような岩場のある山、うかつに岩壁へでも出てしまったら大変だ。そう思って、とにかく尾根をはずさないことだけに集中して下って行った。
右手方向、沢を挟んだ向こうの山腹に林道らしいものが見える。あれが目標の倉持への林道だろうか。“植林地を右へ”とあった意味は、あの林道へ出るのを示していたのかもしれない。林道へは一度沢へ下ってから登り返すことになりそうだ。しかし沢へ下るという行為は、どうしてもためらわれて足が進まなかった。やがて尾根も不明瞭になり、周囲の地形を観察しながら、踏み跡も全く 見当たらなくなった植林帯の中を、開き直った気分で、成り行きに任せやみくもに下って行った。

赤い屋根がかいま見えてきた。そこに林道があるようだ。
小さな沢まで降り立つと、別荘風の建物が建っていた。無事下り終わった安堵感に、ほっとして日だまりに腰を下ろした。
建物の先が林道となり、下って行くと5分ほどで今朝方の廃屋の分岐があった。目標の倉持とは、てんでかけ離れたところへ下ってしまったが、無事に下れたからまあよしとしよう。廃屋からは同じ道を万場へと向かった。


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