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関東百山関東百名山 妙義山(相馬岳)=みょうぎさん(1104m
(中ノ岳、東岳、相馬岳、白雲山縦走)
登頂年月 1991.11.16 天候 快晴 単独 マイカー 2等三角点(相馬岳)
妙義神社(6.40)−−−金鶏橋(7.00)−−−一本杉(7.30)−−−中の岳神社(7.40)−−−見晴台−−−中の岳(8.40)−−−東岳(9.10)−−−鷹もどし(9.20)−−−相馬岳(10.45)−−−天狗岩(11.20)−−−大のぞき(11.35)−−−白雲山−−−見晴(11.50-12.10)−−−奥の院−−−大の字(12.40)−−−妙義神社(13.00)−−− 駐車場(13.15)

白雲岳
岩登り訓練を受けなくても登れる山としては、最もハードな部類の山かもしれない。榛名山、赤城山とともに、上毛三山のひとつ、信仰の山でもある。

妙義山は山域の総称で、東側の山塊を『表妙義』、西側を『裏妙義』と呼ぶ。ことに表妙義縦走は厳しい。不遜にもこれに挑戦した。54歳という年齢からいっても、最後の機会だったと思っている。

妙義神社に車を止め、徒歩で中之島神社に向かった。中之島神社までちょうど1時間だった。大きな鳥居をくぐり、茶店横から薄暗い山道にとりついた。見晴台まで登ると、吸い込まれそうな真っ青な空が広がっている。ここまでは一般遊歩道で、関東ふれあいの道がつながっていた。関東ふれあいの道との分岐には『一般登山者はここから入らないこと、・・・・。岩登りの技術と装備が必要である・・・・』そんな意味の注意が表示されていた。私なんかはお呼びでないということだ。登山届ボックスがあったので、手帳を一枚切り取って投入してから金洞山へ向かった。

しばらくは一般登山道と変らない道だ。足元が悪くなり登りも急になって、ざれの中を懸崖の基部に近づいて行くと岩壁に突き当たった。大きな岩溝があって、その溝の間に鎖がとりつけられている。いよいよ来たな、そんな緊張が走る。事故を起こしてはならない。気持ちを引き締めて鎖に取り付く。難なく登り切ったところが縦走コースの稜線で、そこは西岳と中之岳のコルであった。西岳は眺めるだけにして北の中之岳に向かった。

再び鎖場となり、これを撃じれば中之岳のピークだった。岩頭の ピークは遮るものもなく、360度の大パノラマだ。これからたどる岩峰群が目を引く。浅間山が優雅な姿を見せる。
これからの厳しい縦走コースを思うと、のんびり展望を楽しんでいる気持ちの余裕はない。中之岳ピークからの下降口にも『一般登山者立ち入り禁止・・・・』の看板が立っていた。降りロは足下が断崖となった痩せ岩で、頼る鎖もないないところを慎重に下り、すぐに登り返し東岳の岩頭ピークに達した。西岳、中之岳、東岳を総称して『金洞山』という。
このあと、次々とあらわれる悪場、鎖場の連続に、今振り返ってもどこにどんな難所があったのか、つぶさには思い出せない。ときには鎖にすがり、木の根や幹にしがみつき、急降下しては再び撃じ登って岩稜を越えて行った。

麓から仰ぎ見たときの、あの悪魔の巣窟を思い浮かべる陰険さや神秘牲はなく、明るくからっとした稜線であることが、険しさに立ち向 かう気持ちをいくらか和ませてくれた。
岩頭のピークでは大展望に見入り、岩場を一つ又一つと着実に越えることだけに専念する。
あれはどの岩場だっただろうか。急降下すると前方に絶壁を巡らしたような岩尾根が聳えていた。巻いて行けそうな緩んだところは見あたらない。あの垂直の高い岩をどうやって越えたらいいのだろうか。今までとは格が一段違った険しさを直感した。薮道は絶壁の下で終わり、足がかりもなさそうな一枚岩が倒れかからんばかりに立ちふさがり、壁に長い鎖が一本垂れ下っていた。しばしその岩を見上げた。登りきれるだろうか。途中で腕力が尽きたらどうしよう。気持ちを奮い起こして鎖を掴むと、手足に全神経を集中して岩に取り付いた。足掛かりがなく、途中休むことができない。ここで駄目になったらどうしよう、ふと不安に襲われる。鎖に体重を預け、腕力だけで強引に身体を引きずりあげて岩の上に出た。  

今度は鎖のない下降地点に踏み込む。谷へ向かって深々と切れ落ちている岩場は、小さな岩場ではあったが、鎖もなく、庇のように外側に突き出した所を下って基部に着かなければならない。上体が外側に倒れてしまいそうで、どう下るべきかしばらく立ち往生して岩を見つめた。上体が外側に飛び出しそうなところに、岩の裂け目から谷に向かって一本の雑木があった。谷へ体をほうり出すような感じで、雑木に体を領けて無事着地した。

鉄梯子と長い鎖の連続する岩場の下りでは、最後の鎖で基部に着地する直前、鎖が左に振られた。はっとする。そのまま振られたら絶壁の中空に放り出され、宙ずりになってしまう。幸いにも鎖は下部末端がしっ かり固定され、ほんの1〜2メートル振られただけで済んだ。しかし肝を冷やすに十分の一瞬だった。

東岳からバラ尾根ピークまで、いくつ岩場を上下したことか。まさにこの間のルートは、私のような一般登山者には危険が多すぎることを実感し、過去に多くの犠牲者が出ていることも肯づけた。

最高峰の相馬岳は薮が茂って展望にはやや欠けていた。
当初の計画では、相馬岳からの下山を考えていたが、まだ時間は十分残っている。案内書では、健脚なら白雲山まで足を延ばすのも可能となっていた。私も全山縦走を成し遂げることにした。

相馬岳からコルへ下って行くと、前方に巨大な一枚岩の絶壁が見える。滑らかに削り取ったような岩肌が白く輝いていた。この巨岩が大天狗という岩塔のようだ。大天狗から天狗岳を巻くようにして進むと、これも好展望のオオノゾキのピークだった。垂直に切れ落ちた絶壁上に立つと、足がすくむようだ。しかしそんなところほど展望には恵まれている。このあたりも凹凸を繰り返し、凸部のピークがそれぞれ絶好の展望台であった。
玉石の小さなピークには登山者の姿があったので、その先の誰も居ない岩頭を休憩地にと足を運んだ。表示はなかったが、そこが白雲山のピークで、今度は北の展望が展開して来た。ちょうど12時になるところ、ここで昼食かたがた休憩することにする。連続する岩場、繰り返すアップダウンを、朝からほとんど休みなしで4時間歩き続けてきた。さすがに疲労を感じて来たところだった。
昼食を食べながら展望を楽しむ。目を引くのは浅間山である。小浅間も可愛らしく寄り添っている。鼻曲山との間に四阿山。三角錐は本白根山、白銀の谷川連峰、武尊山も白く雪化粧している。そして榛名山、赤城山。思いきりよく晴れて空気も澄んでいるのに、山々は意外なほど遠くに見えたていた。

スケッチをしたりした後、三重連の鎖で下降して下山にかかった。主要の難所は過ぎたとはいうものの、この後もまだ鎖場はあり、特に 奥の院上の鎖場は三段の長いものだった。 奥の院には『危険、一般登山者立入禁止』の看板が立っていた。途中大の字という展望台に立ち寄り、さらに妙義神社を見物して駐車場帰着が1時10分。 難コースではあったが、事故もなく快調なペースで歩ききって満ち足りた一日であった。


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