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関東百名山 石裂山=おざくさん(879m
登頂年月 1992.03.08 天候 晴 単独 電車 三等三角点
東武浅草駅〓〓〓新鹿沼駅(8.46-9.09)==バス==石裂神社バス停(9.40−9.50)−−−加蘇神社(10.10)−−−四阿屋(10.25)−−−中宮(10.45-10.50)−−−奥の院−−−東剣の峰(11.25-11.30)−−−石裂山三角点(12.00-12.15)−−−月山(12.20-13.20)−−−596mピーク(13.55)−−−石裂神社バス停(14.20-14.35)

月山
石裂山は小ぶりながら、岩場などにちょっとしたスリルも味わえるのと、日光連山の展望も楽しめるというガイドブックの誘いに乗って出かけた。
早朝に自宅を出てから帰宅するまで13時間。このうち山を歩いていたのはたったの4時間40分。都会に住む者にとっては、宿命的なムダということか。
東武日光線、新鹿沼駅でどやどやと下車したのはゴルファー。駅前に集結した送迎マイクロバスで散って行った後には、石裂神社行きのバスを待つハイカー4人が残った。
市街を抜けてバスは田舎道を走る。回りは低い山ばかり、雪の山は見えない。冬枯れの雑木林の梢を柔らかい陽差しが包み、もうすっかり春の気配だった。農家の庭先に白梅が咲いている。変哲もないありふれた田舎のたたずまいが、ほのぼのとした安らぎを感じさせてくれる。

谷が狭まってバスは終点の石裂神社に着いた。帰りのバスの時刻を見ると、午後は3時半のたった1本のみ。
下車するとき、運転手が「去年の秋、女のひとが転落して死んだから気をつけるように」と 注意してくれた。
湿っぽく寒々とした鋪装道を10分もたどると、杉の巨木が頭上を圧する加蘇山神社前の広場で、マイカーが3台止まっていた。石段を上ると素朴な社殿があった。参拝してから、神社左手の登拝口から登山道に入る。ゆったりした勾配の道は、参道らしく杉の大木が目につく。手入れの行き届いた杉や桧の林は確かに美林だと思うが、陽を遮って薄暗く、私はあまり好きではない。針葉樹の単相林は花も実もなく、樹陰には陽も届かず、他の動植物の棲息するのを許さない。人間だけの都合で杉や桧の単相林が増えていくのは嬉しいことではない。
闊葉樹などとの混生林こそ本来の山の姿であり、そうした環境の中でこそ自然界における正常な動植物連鎖が保たれるのだ。

『千本桂』という桂の大木を見て、中宮跡を過ぎると急な坂道となり、鎖と手擦りのある大きな1枚岩を上った所に、ばっくりとロを開けた岩窟があった。岩を引き裂いたようなこの岩屋が『石裂』の由来だろうか。
このあと急な痩せ尾根を攀じると稜線上だった。その先にある3カ所ほどの岩場には、鎖がつけられていたが、それに頼るほどのこともなく登り降りして三角点標の石裂山山頂に着いた。真っ白な日光白根山がきれいだ。日光連山や塩原の山は、中腹から雲に覆われていた。
山頂にいた60歳台のおじさんが「ヤシオツヅシ」のころはいいですよと教えてくれた。見ると山頂付近にはヤシオが群生していた。
月山の方が展望がいいと教えられ、この先10分ほどの月山で大休止としたが展望は同じことだった。
スケッチをしたりしてから、バスの時間には少し早かったが下山することにした。急坂を下り切ると≪立ち入りご遠慮下さい≫という立て札と、丸太の通せん棒が進入を阻んでいた。以前はこの道が正規のルート、通れな いことはあるまいと注意書きを無視して進入した。薮っぽい道だが、コースを示す標識も残っている。2、3の上り下りを繰り返してから、杉植林の中へ入り、倒木が道をふさぐ雑木を乗り越えて降り立ったところが、今朝方のバス停石裂神社だった。

バスの時間まで1時間もあるので、途中まで歩いてバスを拾うことにする。バス道を50分ほど歩いたころ、山頂でのおじさんがマイカーで通りかかり、新鹿沼駅まで便乗させてくれたのはありがたかった。


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