kanto-034 「山岳巡礼」のトップへ戻る 関東百山・関東百名山一覧表へ戻る
登頂年月 1993.10.16-17 | 天候 雨 | 2名 | 電車 | 桧洞丸三角点なし | |||
渋沢駅==バス==大倉(7.45)−−−塔ケ岳(10.35-11.35)−−−丹沢山(12.35-12.45)−−−蛭ケ岳小屋泊(1405-6.20)−−−臼ケ岳(7.20-7.25)−−−桧洞丸(8.40-8.50)−−−西丹沢(11.50)==パス==新松田 | |||||||
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登山口の大倉で待ち合わせた。天気予報は2日間とも雨。 7時半出発、早くも雨が落ちて来た。塔ケ岳への大倉尾根は、ここ2〜3年のご無沙汰で久しぶりだ。Mさんの歩きが思った以上にしっかり していて安心する。駒止の小屋に着くころから雨は本降りとなってきた。大倉尾根は何回登っても、相変わらず登りでがある。 塔ケ岳へ登り着くと、頂上は公園でも作っているような工事が進行していた。何のために?。そして塔の岳までの登山道にしても、まるで遊歩道のように手が入れられて、そこにはもう山というものの面影の半分もないように見える。 悪天候の頂上は寒い。尊仏山荘に入って休憩。お茶つきで休憩料は300円也。 悪天の中、予定通り蛭ケ岳まで行くかどうか決めかねて、「どうしましょうか」とMさんに下駄を預ける。「無理だったら途中から引き返してもいいから、蛭ケ岳まで行くことにしましょう」というMさんの希望どおり、雨の降り続く外へ出た。 丹沢山まで来てしまうと、塔の岳へ引き返しても、蛭ケ岳の小屋まで行っても時間的にはほとんど変わらない。もう予定通り先へ進むのみである。 本降りの雨の道は不快だ。不動の峰付近から鬼ケ岩の頭あたりの稜線は風も強く、笹の雨露で足元がぐしょぐしょに濡れるのもまた 気が滅入る。 不動の峰手前の休憩舎で、雨を避けながら少休止をとる。眺望もなく、霧に巻かれた道はやけに遠く感じる。 蛭ケ岳山荘に入ってほっとひと息をついた。管理人はおばさんが一人だった。濡れものを着替え、早速持参の酒を熱燗にして飲むと、冷えた体に生気が戻って行くようだった。 その後3パーティー、10人ほどが到着、ストーブ囲んで話に花が咲く。Mさんは証券会社に勤務するサラリーマンだということも初めて知った。ソフトタッチの人で好感が持てる。 夕食はレトルト食品を温めただけの簡単なもの、あらかじめそれでいいかと断られているので文句はない。その代わり2食っきで5000円という安さ。赤飯に汁たっぶりのオデンと漬物という献立だったが、具もないようなカレーライスよりよっぽどましだった。 ストーブを囲んでの話題は専ら山の話、それもどこの山へ登った、あの山はよかった、シラネアオイはどこがきれいだ、月に何日山へ行く、そんな話題はどれも自慢話と紙一重。しかし趣味というものは元来そう したものなんだ。釣り人はどれほど大物を釣り上げたかとか、マラソンマン愛好家はどれほど努力してフルマラソンを完走したとか、将棋、ゴルフ、みんな似たようなものである。お互いにそれを分かっているくせに、相槌をうち感心して聞き入る。実にほほえましくも楽しい同好の仲間たちである。 布団に入りがけは体温を奪われて、寒くてこれで寝られるのかと心配になるほどだったが、しばらくして布団が暖まってくると気持ち良く寝入った。 翌朝、天気回復の兆しはなく。雨はが降り続いていた。期待の朝焼富士もなく、遠来のMさんには気の毒なことだった。 同宿者のうち小屋を出発したのは我々が一番早かった。 雨の中、急な下りを鞍部に向かう。鹿が勢いよく潅木の茂みへ逃げ込む。鞍部から桧洞丸への登り返しがきつい。大きく下った分だけ登りがいもある。昨日に比べるとMさんのペースも大幅にダウン、疲れたのだろう。ときおり立ち止まっては彼の追い付くのを待つ。アップダウンを繰り返しながら高度を稼いで桧洞丸直下の青ケ岳山荘の庇の下で、雨を避けながら少休止にする。このあたりは丹沢山塊の中でもブナの巨木が林立、ブナ美林と して保護されているところだ。天気がいいと登山者で賑わう桧洞丸の頂上も、この天気では人影もなく静まりかえっていた。 これでMさん念願の丹沢主稜縦走を果たして、あとは西丹沢へと下っていくばかりだ。 ゴーラ沢出合まで下ると雨は止んで、薄日もさしそうな気配が感じられた。 自然教室の中で着替えをしてから、バスで小田急新松田駅へ。ここで新幹線小田原駅へ向かうMさんと別れて帰途についた。 |
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1990.10.11の記録(単独) 西丹沢(8.55)−−−テシロの頭−−−桧洞丸(11.10-11.40)−−−日陰沢橋(13.10)−−−神の川入口バス停===三ケ木乗換え===橋本駅 |