追想の山々 1009    up-date 2001.03.29

アイスバーンの奥明神沢から前穂高岳(3090m) 登頂日1988.5.1〜3  3人パーティ
1日目 上高地→岳沢  2日目 岳沢←→ジャンダルム手前  3日目 岳沢→奥明神沢から前穂往復、下山
                       
 奥明神沢の急峻を登攀した
 足のすくんだ雪壁登攀

《1日目》  上高地から岳沢へ。

松本駅でガイドのO氏およびその連れのS氏と合流、島々経由で上高地へ向かった。
街は夏が来たような汗ばむ陽気だったが、上高地はまだ春の気配がわずかに感じられる程で、河童橋周辺のケショウヤナギはつぼみがまだ固い。
仰ぎ見る穂高吊り尾根は、雪におおわれて厳しい冬の装いから抜け出ていない。
ゴールデンウイーク、登山者で賑わう河童橋から岳沢への登山道に入る。原生林の中をいいペースで高度を上げていく。
700米の高度差を登りきると深い残雪に覆われた岳沢のガレ上部に到達する。早速ピッケルで雪をならしてテントを張る。雪上のテント設営も始めての勉強だ。
いながらにして焼岳、大正池が見える。
去る3月中旬、ガイドとともに八ヶ岳へ登った。あと少し雪山のノウハウを身につけたくて、再び雪の穂高へとやってきた。

《2日目》  岳沢−天狗のコル−ジャンダルム手前−岳沢
朝6時前テントを出発。岳沢を埋め尽くした雪崩のデフリを乗り越え、さらに岳沢ヒュッテ下から幅100米程のデブリの雪塊を越えて、天狗沢右岸から登って行く。
上部はガスに閉ざされて天狗のコルを見とおすことはできない。
気温はやや高め。雪が腐っているためにステップが崩れて歩きにくい。余分な体力を消耗する。
胸を突くような雪壁状の急登を高度を上げて行く。右方100メートルほどと思わせるところで、雪崩の走る低い無気味な音だけが響く。
小休止を繰り返しながら、一歩一歩ゆっくりと登って行く。体調良好。
完全に濃いガスの中に入ってしまい、上も下も見えない。時間的にはそろそろ天狗のコルに着いてもいいころだ。勾配は益々きつく、腐った雪に足をとられて思いのほか時間がかかっているようだ。
前穂高岳山頂
稜線を思わすような地形のところでアイゼンを装着。大岩を右に巻いて急登を突き上げ天狗のコルに出た。
静まりかえっていた天狗沢から、稜線のコルに立った途端、飛騨側から雪をまじえた突風が、うなりをあげて吹き上げてきた。
ヤッケ、手袋等で完全装備を整える。安全ベルト(シットハーネス)を装着しアンザイレン。トップにガイドのO氏、ミディアム小生、ラストS氏の順番。
コルから左方への登路は鎖場で天狗の頭から西穂高への道、我々は奥穂へ向かう東への岩稜ルートをとる。視界は20〜30米、雪まじりの強風が頬を攻撃してくる。風のうなりが不安をかきたてる。雪も岩もすべてが凍りついている。 奥穂を目指すには気象条件が悪い。行けるところまで行くことにする。
強風にたたかれながら一つのナイフリッジを渡ったが、正直言って恐ろしくて、足が震えた。結局ジャングルム手前のピーク近くまで行ったところで退却することになった。 厳しい冬山の一端を体験した一日だった。

《3日目》  岳沢−奥明神沢−前穂高岳−重太郎新道−岳沢−上高地
快晴の空に冴え冴えと満月が照り、穂高連峰の峻険な稜線が、シルエットとなって屏風のように吃立している。
4時45分テントを出発。夜間氷化した雪は、ピッケルの石突きもさしこめないほど堅く締まってアイスバーン状態た。
前穂と明神岳1峰のコルめざして奥明神沢をつめていく。アイゼンが小気味よくきく。
昨日天狗沢よりこの奥明神沢を眺めたときは「あんな急峻な雪の沢を登れるのか」と半ばあきれ、疑ったその沢である。いま自分の足でそのあきれた沢を登りだしたのである。
稜線から吹きおろす強風に雪の表面が剥げて、雪片となりチリのようにさらさらと音をたてて滑り落ちてくる。
背後に見える乗鞍、御岳に朝日が輝きはじめた。山頂から徐々に朱に染まっていく。焼岳が輝きだす。山の夜明けの交響曲が静かに響きだした。真っ青な空、暁光に染まる茜色の嶺々、穂高連峰の残雪と黒々とした岩。一大映像となって展開して行く。

天狗のコルにて 腰が引けている
半端な急登ではない。一歩誤れば大滑落の事故につながるという緊張感に気を引き締めつつも、ときおり刻々と変わりゆく景観を楽しみ、カメラにおさめながら高度をかせいで行く。
3時間近い直登の後ようやくコルに立った。見下ろせばよくぞ登ったと思える急峻さだった。登りはまだしも、下る勇気はとてもない。

コルに飛び出したとたん、まぶしい陽光に目がくらみ、おもわず万歳を叫びたいような気分になった。
右方目の前に明神第1峰が人を寄せ付けないような険しさで岩峰をそばだてている。東面は梓川に向けて雪壁が一気に落ち込んで目がくらむ。遠くに目をやると、富士山をはじめ八ヶ岳、南アルプス、近くに前穂高、西穂高、乗鞍、御岳....素晴らしい山岳展望に見とれた。

一般登山者の入らない明神岳→前穂のバリエイションルートをとって岩塊を越え、雪田から最後の雪壁のトレールを辿って前穂高岳山頂に達した。こころひそかに快哉を叫ぶ。 
奥穂高、ジャンダルムが手のとどく程のところにある。昨日登った天狗のコルも見える。涸沢カールを俯瞰するとザイデングラード、そして北穂高への登山者がまるで蟻の行列のようだ。
山頂で360度、遮るもののない大展望を楽しみ、熱い紅茶で乾杯の後、重太郎新道ルートをとって岳沢への下りについた。
殆ど人の入っていない困難なルートだった。幅20〜30メートルほどの青氷の雪壁を横断する際は、ザイルをフィックスしてもらっても、なお恐怖との戦いだった。
数回のアンザイレンを繰り返しながら下降、3時間を要して危険個所を通過し終わったときは、緊張のあまり喉はからからに渇ききっていた。 
最後は奥明神沢の枝沢を尻セードで一気に下ってテントに帰った。緊張が緩んで力が抜けていった。
さらに居残るガイドたち二人と別れ、一人上高地へと下った。

その後、このような山行は一度も経験していません。 厳しかったが、一つの財産となる山行として強く思い出に残っています。