追想の山々 1015    up-date 2001.04.29


会津駒ケ岳(2132m) 登頂日1988.7.9  単独
 
キリンテ(7.35)−−−滝沢橋(8.15)−−−駒の池(9.25)−−−駒ケ岳(11.15)−−−中門岳(10.50)−−−駒の池(11.30)−−−大津岐峠(12.30)−−−キリンテ(13.50)
 東京からは遠い山だった


会津駒ケ岳は1988年7月と、1996年9月の2回登頂しています。
以下は最初に登ったときの記録です。
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中央が会津駒ケ岳

大田区南大井―浦和―宇都宮―今市―会津高原―桧枝岐
深夜3時前に自宅を出て、片道290キロ4時間半の大ドライブで、ようやく桧枝岐キリンテキャンプ場に着いたのは午前7時20分だった。

桧枝岐は奥会津の秘境、伊南川に沿った山間深い集落だった。茅葺きの屋根が日常生活のな かに今も息づいているのを目にすると、子供のころの信州の田舎が懐かしく蘇ってくる。雨の中、蓑をつけて田仕事をしている農夫の姿が、周囲の情景とぴったり調和 しているのを見て、ふと時の流れを見失ってしまいそうだ。
島崎藤村の「木曾路はすべて山の中である」という一節が浮かんできた。
昔、最寄りの鉄道駅から丸二日もかかったというこの集落も、今や立派な舗装道路が通じて会津高原駅から 1時間30分程できてしまう。  

キリンテキャンプ場に自動車を置き、陽射しの強さを首筋に感じながらから国道を滝沢橋まで戻り、ここで国道と別れて沢筋の道へ入る。爽やかな涼風が吹いてくる。  
雪解けの冷たい水を集めた沢の流れは、さながら天然の冷房機、谷全体を冷やして気持ちいい。
ブナの巨木の中、傾斜はきついがしっかりとした山道を汗を流しながら一歩一歩高度をかせいで行く。山歩きをはじめて間がないが、ブナの樹林の良さがわかるような気がする。柔らかみのある木肌、空一杯覆うばかりに茂りながら、それでいて暗さはない。萌黄の葉からもれる透過光線の穏やかさがいい。姿は見えぬものの、野鳥の囀りはとぎれる間がない。

コース中唯一の水場で一服、水場は約100米ほど下った所に細い流れがあっ た。登りの途中で高度を少しでも下るのは実に惜しい。抵抗の強いものである。たった100米の水場へ下るのも、おおげさに言うとちょっとした決断がいる。ひと汗かいたあとの水は五臓六腑にしっかりと染み渡って行く。100米の下りの代償である。  

再びペースを上げて高度を稼いで行く。ブナの中にシラビソがまじり、樹林もややまばらとなってイワウチワやゴゼンタチバナが目につくようになると、やがて木の聞越しに高原のようななだらかな広がりを持った尾根が見えてきた。目指す会津駒ヶ岳から中門岳にかけての稜線である。  
樹林が切れハイマツやシャクナゲの低木帯に変わると、そこは広々とした傾斜混原で、ハクサンコザクラが群れ咲いていた。
木道に導かれ駒の池へとつづ く登山道の両側には、高山植物が勿体ないほどに咲き競っている。振り返れば明日登る予定の燧ケ岳が薄曇りの中にかすんで双耳の峰を聳立しているのが見える。
駒の池から駒ヶ岳山頂を巻いて、先に中門岳へと向かう。稜線上には豊富な残雪が雪田を作ってる。雪解けの進んだところには、ハクサンコザクラ、ヒメシヤクナゲ、ショウジョウバカマと高山植物のお花畑が広がる。
中門岳までは高原状の稜線がゆるいカーブを描き、たおやかな起伏は女体の曲線を思わせる。ここは雲上の散歩道である。    
霧が足早やに谷底から吹き上げ、たちまち眼下の谷を埋めていった。どうやら天候は急速に下り坂の気配である。急いだほうがいい。
中門岳は、池の縁に「この辺一帯を中門岳という」という案内表示があるとうり、どこが頂上ともいえぬ広がりであった。

来た道を戻り、駒ヶ岳の頂上を踏んで下山を急いだ。
四囲はすっかりガスに包まれてしまった。
駒の池で昼食もそこそこに、富士見尾根を大津岐峠経由キリンテヘの帰途につ く。
途中湿原あり、花あり、大津岐峠まではあっという間の感じだった。再び樹林に入ってひたすら下る。途中でこらえきれなくなった雨が降りだした。キリンテキャンプ場 までかけくだった。

高山植物にこれほど目を凝らしたのは、はじめてのことだった。  
早く試してみたかった新調のテントを張り、小さい缶ビール一本を飲んで横になると、2時間ほど眠ってしまった。
夜半強い雨がテントをたたく音に何回も目をさましたが、初使用のテントの夜は、まずは安泰のうちに過ぎていった。
こんな風にテントで一人過ごすのははじめての体験だった。