追想の山々 1017    up-date 2001.05.15

  富士山=3776m 1988.07.24 単独
≪スバルライン5合目コース≫

スバルライン5合目駐車場(4.40)−−−5合目登山口(5.00)−−−6合目(5.15)−−−7合目(6.05)−−−8合目(7.22)−−−山頂お鉢(8.00)−−−剣が峰(8.55)−−−スバルライン5合目駐車場(11.15)                              
剣が峰山頂標柱
午前2時、東京の自宅を出るときは小雨程度だったが、中央高速道八王子から大月あたりまではどしゃ降りのひどい雨。スバルライン五合目までくると雨雲の上へ抜け出したのか雨は殆どやんでいた。
五合目駐車場にはバス、マイカーが数えきれないくらい駐車している。こんな天候でも登っている人がたくさんいることに感心する。

4時40分、駐車場を出発する。頂上近くで宿泊し、早朝に下ってってきたと思われる人たちの行列と擦れ違う。この時間から登る人はあまり見かけない。
六合目にはすぐに到着、ここから本格的な登りにかかる。登って行く人の後姿が上の方に見えてきた。やがてほとんど切れ間のないはどの行列となった。
スニーカーの人、手提げ袋だけの人、街着の人、カメラをぶら下げただけの人、老人、子供、外人さん。北アルプスなどで見られる普通の登山姿の人はごくわずかしかいない。まさしく観光登山の山であることを実感、それにしても3776メートルの高山には似ても似っかぬ光景だ。
六合目、七合目、八合目、小屋が次々と並んで建っている。これだけ山小屋がつながっていれば、この人たちでもなんとかなると納得する。

3000メートルを超すと道脇に吐しゃ物が目につく。青白い顔でうずくまっている若い女性が何人もいた。高山病にやられたのだろう。
「私もうだめ、ここに待ってるから行ってきて」
「帰りはここを通らないから駄目だよ、頑張れ」
そんなやりとりも耳に入る。殆どの人は稲妻形の登山道のカーフ毎に立ち止まっては休んでいるが、私は行列の間を縫うようにして先を急ぐ。
七合目で雨具を出す。霧が深く眺望はない。山肌は赤茶け、荒涼とした景観がつづく。
思ったより早く3時間20分で登りついた山頂お鉢は、これまた人の群れ。ここが天と地を分ける3776メートルの絶境という実感はない。

なんとなく頭が重い。高山病の初期症状か?
右回りのお鉢巡り55分で剣ケ峰に立つ。石柱に《日本最高峰3776メートル≫とある。
濃霧霧のため何も見えない。この霧の中を残り半周を歩いてもしかたがない、下山することにした。
奥宮に参拝し、先ほどの道を下る。八合目からは下山専用の砂礫の道を小走りに下る。じぐざぐは切ってあるがそれでもかなりの傾斜で、踏み出した足が更に20〜30センチはざざっとずり落ちる。

七合目でまた雨。ザックから雨具を出すのが面倒で、傘をさして歩く。くたびれきってようやく足を前に出している人達を尻目に五合目まで休みなしできてしまった。

この山はときとぎ落石事故があり、先日も一人亡くなっている。現場に花束が供えられていた。ふたかかえもあるような大岩が、風化し削り取られた斜面に下方わずかばかりを地面に接しただけで、まるで曲芸のようにとどまっているのが見える。小指一押しで転がり出しそうな不安定感を感じる。

剣が峰から駐車場までの下山も快調で、休みなし、2時間20分で下りきることができた。

富士山(3776m) 登頂日1993.9.5  単独
 
≪富士宮新5合目コース≫

富士宮新5合目(3.10)−−−浅間神社(6.05)−−−お鉢回り−−−剣が峰(7.00-7.10)−−−浅間神社(7.20)−−−新5合目(8.55)                              
 台風名残の強風の中を

最初は1988年7月にスバルライン五合目から往復、このときの天候は霧と小雨、登りが4時間15分、下り2時間10分というスピード登山でした。

この記録はその5年後、富士宮口から2回目に登ったときのものです。



日本最高地点に立つ
前日に戦後最大級と言われた台風が通過して行った。
台風一過の好天を期待して出かけた。前回の登頂は雨で眺望ゼロだったため、 いつの日か山頂からの大パノラマをと期していた。いいチャンスだっ た。

午前3時、標高2400メートルの駐車場は強風が吹き荒れていた。満月に近い月が煌々と照りわたって雲ひとつない。
登山にかかって早々、下山して来る人達に出会う。「早いですね」 と声をかけると 「途中で引き返して来ました」という返事。「風が強いのなんのって、 話にならない・・・」そう言って足早に下って行った。  
気持ちが少し怯む。確かに登山口でこの風だと、山頂近くの強風も察しがつくというものだ。 月光に懐中電灯も不要。ロープが張 られ、岩には白ペンキの目じるし、コースを外れる心配はない。  
新6合の小屋には電灯の明かりはあるが人影はない。すべての小屋は8月末で営業を終えている。
風が寒い。毛糸の手袋、厚手の登山シャツに雨具をウインド ブレーカー代わりに着用しているが、体温を奪われて夏とは思えない。山頂までは残り高低差1400メートル、気温はここよりさらに10度近 くも低いはずだ。この風と寒さは油断できない。気を引き蹄める。

台風名残りの強風は収まる様子はない。風を遮る樹木一本ない裸の山、南西の風とまともに向かい合うと、体は流され呼吸が苦しい。  
標高2800メートル、7合小屋の陰に見を寄せて、さらにセーターも着込んだ。9月とは言ってもまだ夏、こんな服装をするとは思いもよらなった。  
上空にはあいかわらず月光、眼下には御殿場市から、遠 く富士宮市街の灯が宝石のようにまたたいている。登山道には懐中電灯の明かりがいくつも動いている。
強風で知られる富士山、この程度の風でびびっていては、登頂可能な日はいくらもない。 勇気を持って登らなくては、そう自分に言い聞かす。

8合目、万年雪荘の下あたりで東の空に赤みがさしてきた。夜明けを待たず、上空は透き通るような青空、秋の雲が幾片か見える。
万年雪荘直下でご来光。東の空が茜に染まる。朝陽が真横からさしはじめた。はるかな関東平野には高層ビル群が見えていた。
陽が当たれば大気も暖まって気流も変わり、風も弱まるかと思ったが、変わりなく吹き続けている。急登を一歩一歩喘ぎながら足を運ぶ。3400メートルを越えて空気もかなり薄くなってきたのがわかる。。
ようやく熔岩の道を登り終わって山頂お鉢の一角、浅間神社奥の宮の前に立った。土産小屋も神社も固く戸締まりされ、富士登山シーズンの終わりを物語っていた。少し頭痛を感じる。高山病の予兆かもしれない。  

影富士 中央に山中湖がある
吹きさらしの山頂でお鉢回りをするにはやや不安があったが、左回りに周回してみることにした。大きな熔岩の隙間から落ちる滴がツララになっている。氷点下の世界だった。さらに進んで風衝帯に出ると、一歩進んでは半歩押し戻されるような状態で、まともに前へ進むことができない。這うように身を低くし、踏ん張って強風帯を何とか通過する。  
右手には吉田口の5合目が見える。ひと息にかけ下れそうな近さに見えるが、高低差は1500メートルもあるのだ。  
広大な裾野の樹海の中に山中湖が小さなガラス片のように光っていた。

白山岳は強風で危険と判断、手前からお鉢の中へ降りた。お鉢の底から見上げると、測候所はまるで要塞に衛られた砦のように見える。
お鉢の中も突風が吹き抜け、地面の霜柱を剥ぎとって空中に吸い上 げて行く。一瞬空中にガラス片を散らしたかのようにきらきらと輝く。不思議な光景だった。砂つぶてが散弾のようにばちばちと頻にあたる。
再びお鉢の縁へ登ると、『影富士』が裾野の樹海に投影していた。天候と時刻に恵まれた偶然の眺めにしばし見とれた。  

山項展望を大まかに記すと
富士五湖とそれを取り巻く御坂山魂 、八ヶ岳、南アルプス連峰、南アルプス前衛の笊ケ岳など、遠く御嶽山や恵那山 、駿河湾、伊豆半島と天城連山、三島半島、房総半島と海上に浮かぶ伊豆七島、愛鷹山、箱根山、三つ峠山、惜しむしらくは北アルプスから上信越方面の展望がきかないが、これだけの眺望が楽しめれば不足はない。
    

富士山火口、中央が剣ヶ峰測候所
このあと最高峰の剣ケ峰3776メートルに立った。展望台からは東方の眺めが特によかった。  
剣ケ峰から馬の背の砂轢を下るとすぐに浅間神社で、大きな水たまりが全面氷結していた。10分ほど休憩をとって下山にかかった。
砂走りのような斜面をかけ降りられるかと思っていたが、知らぬ間に登りの道を忠実に下ってしまった。


(あとがき)
展望 は360度、確かに見える。しかし見渡すどの山も感動をもって迫って来ることはない。距離があり過ぎる。アルプスも八ヶ岳もすべて箱庭の中の小山のようでしかない。天城山、御坂山塊はただの丘でしかない。
赤茶けた地肌を剥き出しにした荒涼の風景、オンタデとフジアザミが点在するだけの世界。富士山は遠くから見て楽しむ山という感を深くした。これで2回登ったが、また登りたいと言う気持ちはない。
帰りの運転中、頭痛がし、胸がむかついて吐き気を覚える。高山病の症状だろう。それにしても下山してから症状が出るとは、少々テンポが狂っている。短時間で大きな標高差を登り下ったため、体がついて行けなかったのかもしれない。