追想の山々 1018    up-date 2001.5.25


南アルプス南部縦走 登頂日1988.8.7〜9  単独
●椹島(8.50)−千枚小屋泊(12.55)
●千枚小屋(4.05)−悪沢岳(5.40)−中岳−前岳−大聖寺平−赤石岳(9.25-10.00)
  −百間洞山の家泊(11.30)
●百間洞(3.20)−中盛丸山−兎岳−聖岳(7.20-8.00)−聖平小屋−椹島泊(12.15)
<踏んできた主なピーク>
千枚岳 2879m    悪沢岳 3143m    荒川中岳 3083m    荒川前岳 3080m
小赤石岳 3030m   赤石岳 3120m    中盛丸山 2806m
小兎岳 2738m    兎岳 2799m     聖岳 3020m   小聖岳 2662m



23時25分大垣行きの夜行列車で東京駅を発つ。山行の前には、気持ちの集中とともに、緊張感も高まっていく。
単独行のために、とにかくすべてを自分でやらなくてはならない。それが小さな山であっても、私にとっては未知の領域へ足をふみ入れるわけだから、心境としては一つの冒険と言えた。起こりうるアクシデントに対しても不安が強い。特に人工肛門で山中2泊というようなことは、私にはとんでもないことであった。アクシデントがあったらどう対処するのか。

私のような初歩的登山者にとって、南アルプス縦走は計画の段階から圧迫感との戦いだった。机上で登山シュミレーションをどれだけ繰り返したかしれなかった。


第一日目《天候 晴れから曇りのち小雨》

東海道線金谷駅で大井川鉄道に乗り換えて千頭へ、ここからトロッコ電車に乗り換え終点の井川駅下車。今度はバスに乗ってようやく畑薙第一ダムに到着した。
ダムには椹島ロッジ宿泊者送迎用のマイクロバスが待機していて、宿泊すると申し出た者だけが、宿泊費前払いで椹島まで運んでもらえる。バスで約1時間、今回の登山基点の椹島にたどりついたのは8時半、うんざりするような長いアプローチだった。
椹島ロツジの周辺は、多くの登山者がたむろしている。北アルプスの雰囲気とはかなり違ったものを感じる。山なれた感じの人ばかりで、素人っぽい登山者は余り見かけず、何となく引け目を感じる。周囲の人々が背負うザックも私の倍以上ある。

気持の高まりと緊張感をで一歩を踏み出した。吊橋から山道に入る。今日は千枚小屋までの標高差1200メートル、7時間の登りである。雲が広がり、山は霧に閉ざされてしまった。展望のない道をひたすら登る。
小雨が降りだした中、ブナ原生林の木の間越しに小屋の屋根が見えてきた。7時間の予定が4時間で千枚小屋へ着くことができた。
ミヤマキンポイゲ、ハクサンフウロ、ホソバトリカブト等が咲き乱れるお花畑の中に山小屋は建っていた。
昨夜の夜行から寝ていないこともあり、比較的よく眠ることができた。


第2日目 《晴れのち霧》

今日のコースは千枚小屋から悪沢岳、赤石岳を踏んで百間洞山の家まで、アップダウンを繰り返す稜線歩きであるが、行程は9時間ほどで気分的には楽だ。
起床は3時30分、ランプの下で食事を済ませて、4時10分出発。 懐中電灯のか細い明かりを頼りに、お花畑の中を千枚岳への急な坂を登って行く。もう何人か先を行く人の灯が揺れている。
明けはじめた薄明の中に、悪沢、聖、赤石、白峰三山などの巨体が黒々と横たわっている。 山々に見とれながら歩くうち、上空を覆っていた雲は、散り散りの鱗状となり、次第に青空に変わって行った。
千枚岳を越え、足取りも軽快に悪沢岳へ向かう。 暁光が射しこみ、イワギキョウの朝露がガラス球のように輝く。悪沢岳肩付近一帯は、高山植物の宝庫と言われるだけに、砂轢の中や岩かげに数多くの花が見られる。ウスユキソウ、イワギキョウ、タカネマツムシソウ、ミヤマキンパイ、イワツメクサ・‥‥・ ようやくいくつか花の名前がわかるようになってきた。
先の行程を考えると、いつまでものんびり花に見とれているわけにはいかない。

完全に晴れ渡った蒼穹の空に、気分も晴ればれと我が国第6位の高峰悪沢岳3143mの頂上に立った。
いかにも悪役もどきの山名であるが、眺望にも優れたすばらしい山頂であった。先ほどの千枚岳ははるか目の下になっている。赤石岳が
悪沢岳(右)と中岳−大聖寺平より−
堂々とした量感をもって聳える。その先の中盛丸山、大沢岳、兎岳は明日の行程となる。
北に目を転ずれば塩見、仙丈、甲斐駒、農鳥、さらに秩父連山、富士・・・。しばし名峰の大展望に圧倒された。
頂上を後に急下降、中岳との按部まで下ると再び急登を攀じて中岳頂上へ。相変わらず高山植物が目を楽しませてくれる。展望も悪沢岳に勝るとも劣らない。
赤石が朝の斜光線に山襞の明暗をくっきりと浮き立たせ、ますます見事にその山容を誇っている。
3080メートルの前岳頂上を踏み、更に先まで行ってみる。大崩落がすさまじく、下の方からがらがらと落石の音が響いてくる。

大きく下って荒川小屋を経由、 大きなケルンの立つ大聖寺平で振り返れば、今朝から歩いてきた千枚岳、悪沢岳、中岳が高々と聳えていた。
大聖寺平から赤石岳へ向けて、この日最後の大きな登りに取りつく。標高差は数百メートル、きつい登りをときおり立ち止まって呼吸を整えながら一歩一歩登って行く。青空は影をひそめて霧が去来、肌寒い。
小赤石岳の頂上に立つと、登山道は一旦高度を下げたあと、再びせりあげて赤石岳の頂に延びていた。
消えてはまた吹き寄せるガスの中、雷鳥の親子を2度目にすることができた。
やや疲れを感じながら赤石岳山頂に到着。研ぎ澄まされた鋭鋒ではないが、頑丈でどっしりとした根張りの上に、威風堂々と貫禄をもって展開する山体は、まさに南アルプスの盟主であった。

赤石岳(小赤石岳より)
赤石岳頂上で、私としては異例の40分も長居をしてしまった。この日の宿泊地“百間洞”へ、今度は高度差720メートルの長い下りとなる。
百間平で寝転がったりしてから、百間洞山の家に11時30分着、この日一番の到着だった。傾き、つっかい棒で支えているあばら家だった。
暇つぶしに、60歳前後の夫婦と20歳位の娘さんとの親子3人連れに興味を持って眺めていた。奥さんと娘さんが食事の準備をしたり、こまごまと動いているが、夫の方は長々と体を伸ばして昼寝をしていた。
明日の朝は早い。借りた寝具のシュラフに早々にもぐりこむ。咋夜よく寝られたためか今日はなかなか寝付かれない。それに床が傾斜していて、いつの間にか体が壁の方へずり下がって頭がつかえるのには閉口した。

第3日目《快晴》

とぎれ途切れにまどろんで朝3時、予定の時刻に起床。外に出てみる人工の灯ひとつとしてない漆黒の闇の中、無数のダイヤモンドをまきちらしたような荘厳な星空にしばし目を離すことができなかった。百間平、中盛丸山などが、空から降りて来たように黒々と横たわり、幽鬼の凄みさえ漂う。どうやら今日こそは絶好の登山日和になりそうだ。

さあ今日のコースは長い。 百間洞から中盛丸山、兎岳、聖岳と登り、聖平、聖沢を下って椹島まで12時間、二日のコースを一日で歩いてしまう予定だ。 真っ暗い中、懐中電灯の明かりを頼りに、星空を仰ぎながら、のっけから胸つく直線的な急登にとりついた。
わずかに白みはじめた空に少しづつ星の数が滅って、弓なりの痩せた月が昇ってきた。空と山の稜線との境がはっきりしてくるころ、中盛丸山への登りにかかっていた。

小兎岳
中盛丸山頂上は風が冷たい。山頂をあとにしてすぐ、東の空には朱に染まっていく雲が美しい。つい2週間前に登った富士山がシルエットとなって、その秀麗な姿を中空高く浮かび上がらせている。中央アルプスから恵那山の山並みもが雲海上にある。
足場の悪いがら場を下って子兎岳の登りで御来光を迎えた。それはドラマの始まりだった。一条の光りが届く、深紅に燃える大きな太陽、秒刻みでその太陽はもう直視出来ないほどまぶしい輝きへと変化していった。木々も草花も見渡す限りの山々も、一斉に目覚めて夜明けの歓びを歌い上げようとしている。

小兎岳頂上に立つと、朝日を浴びた中盛丸山、大沢岳等が手の届きそうなところにある。目指す聖岳も大きな山容を逆光のシルエットで見せている。
次のピーク兎岳項上への登りはややきつかったが、ひと息に登りきると思わず歓声があがる。雲ひとつなく澄明な大気は遥か彼方まで鮮やかに見通すことができる。南アルプスの連山は勿論、北アルプス、富士山をはじめ丹沢、御坂山塊、南は伊豆半島が長々と横たわり、西には中央アルプス、御嶽、乗鞍・・・日本中の山が全部見えるのではないかと思われるほどの大展望を、興奮しながら見つづけた。

兎岳をあとにして夜明けの道を、この山行最後の目標、聖岳へ400メートルの登りにかかる。がれの縁を慎重に通過し、百間洞から所要4時間、時刻7時20分に聖岳の頂上に立った。
これで今回計画の百名山3座を無事登ったことになる。この山行への不安が大きかっただけに、喜びもまた大きかった。山頂にいる10人程に、だれかれとなく浮き浮きと「おはよう」の声をかける。
山頂からの眺めは兎岳からの大パノラマの復習であったが、更に上河内岳から茶臼、易老、光岳と南ア南部を見通すことが出来た。

聖岳
我が国最南の3000メートル峰に別れを告げ、聖平から聖沢を歩いて堪島まで約1800メートルの高度差を下って行く。 聖平ではトランシーバーで下と交信していた山小屋の管理人が「この夏最高の天気です」と言っていた。
聖沢の下降路は下り一方と思っていたところ、途中何回も高巻きなどの上り下りがある上、コース状態の悪い所も多くて体力を消耗した。

椹島への下山が12時15分、その日のうちに帰ることも可能だったが、ロッジに宿泊料金を前払いしてあるし、一晩ゆっくり休ん、翌朝帰ることにした。

【後記】 いちばん案じたていた人工肛門のアクシデントは起きずに済んだ。
     また山中では排便がなかったのも幸運だった。
     椹島ロッジに下山したのを見計らうように排便が始まった。あとの対処は、翌日の
     帰宅までパウチを貼りつけておけば、それでしのぐことができた。
     翌日、バスの窓を雨がたたき、山はすっかり雲の中に隠れていた。