追想の山々 1024    up-date 2001.06.19


金峰山(2598m)登頂日1988.10.2  (単独)
瑞牆山荘(5.55)−−−大日小屋(6.46)−−−金峰山(8.00-8.10)−−−大日小屋−−−瑞牆山荘(9.40)
日本百名山を目指して登山を始めてから1年が過ぎた。大菩薩嶺を第一山目として、この1年で登った百名山の数は25に達していた。
とにかく登らなくてはならない。山頂を踏むことがガンに克つことにつながる。そんな悲壮感が登山を後押ししていた。
登山を“楽しむ”という気持ちが入りこむ隙間はなかった。
この金峰山を登った日、ソウルオリンピックの男子マラソンの日だった。ガンという病気に罹るまで、長いことマラソンにのめりこんでいた私には、登山よりマラソンの方がずっと関心の高い存在だった。そのマラソンの実況中継を見るために、短時間で山頂を踏んで帰らなくてはならない。登山は義務感だった。

早がけ登山
1994年には、大弛峠から2回目の登頂をしていますが、これは初回登頂時の記録です。
金峰山のシンボル「五丈岩」


瑞牆山荘前まで車で入った。
富士見平までは、瑞牆山登山のときと同じ道を歩く。ミズナラ等紅葉する落葉樹が多いが、色ずくのには少し早いようだ。  

今日はソウルオリンピックのマラソンの日、スタートは午後1時半、テレビ中継の時間が気にかかる。家族に録画を頼んであるが、できれば実況で見たい。金メダル期待の中山の走りはどうだろうか。
何としても間に合わせたい。自然に足が速まる。富士見平から大日小屋へ、そして居丈高に屹立する大日岩を仰ぎ、原生林の中の縦八丁の急坂をスピードをあげてとばしていく。  

金峰の象徴、五丈岩がときどき木の間越しにうかがえる。  
空気の湿っぽさを感じるような原生林の中、岩や木の根がむき出した急登を、 まるで跳びはねるようによく体が動く。
ひとがんばりで砂払いの頭に飛び出すと、森林限界を越えて急に展望が開けた。舞台の大転回に似た突然の景観の変転である。感動が体中を走りぬける。登ってきた苦労が、汗の量が多いほど、この場面転回の鮮やかさは、感動と喜びを大きくする。  

風が強く寒さが身にしみる。汗で濡れた体が震えてくる。急いでヤッケをまとって風を防ぐ。  
アルペン的なムードが漂う岩稜のコースとなり、山梨県側は険しい絶壁、長野側は広々とした斜面をハイマツの濃い緑が覆う。  
千代の吹上はその名のとうり、山梨側からガスを伴って強烈に吹き上がってくる。巨岩の折り重なるコースを、岩角に手掛かり、足掛かりを求めてガスの中に見え隠れする五丈岩を目標に、スピードを緩めずにとばす。

五丈岩のすぐ先が三角点のある山頂だった。
金峰山頂まで2時間5分。ガイドブックの所要時間は4時間10分、ぴったり半分の時間で歩いてしまった。ジョギングで登っているようなスピードだった。とにかく山頂さえ踏めばそれでよかった。
小川山、瑞牆山という近くの山から、八ヶ岳、北岳、間ノ岳、塩見岳、荒川三山、更には富士山・・・この一年私が登った数多くの峰々が確認できる。ずいぶん登れたものだ。いとおしいような懐かしさが湧いてくる。

早々下山にかる。マラソンが気になる。同じコースを益々快調に走るようにして下って行った。登りの途中で追い越した3人連れが「もう登って来たのか」とびっくりしていた。頑張って歩いてはいるが、必死に頑張っていると言うほどの頑張りとはちがう。ジョギングで鍛えた脚力・心肺機能と、数重ねた登山で体が山歩きに慣応してきたのだと思う。
人より持久力が少しましなのかもしれない。マラソン大会も距離が長いほど、相対的に私の順位がよかったことでうなずける。  

急いだ甲斐あって、オリンピックマラソンのテレビには十分間にあった。