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苗場山(2145m)・・・4回目

登頂日 2015.9.24  Kさん夫妻に同行  曇りから下山時は小雨

和田小屋下駐車場(6.00)−−−和田小屋(6.30)−−−中ノ芝下(7.30-7.40)−−−中ノ芝(8.25-8.35)−−−神楽ケ峰(9.25)−−−苗場山頂及び山上周遊(10.3012.10)−−−駐車場(15.20

山友K氏夫妻に同行。K氏はこれが日本百名山最後となる記念登山。前夜は湯沢の同じ宿に宿泊。3人で軽く前夜祭。

 
苗場山々頂

5時過ぎ、湯沢町の宿を出て、イカーで登山口へ。
和田小屋下の登山口駐車場に着いた時は、夜はすっかり明けていた。

身支度を整え、ただちに出発。3人分のカレーうどんの具材も入ったK氏のザックは重そうだ。私にとって苗場山は4回目の登頂。新潟県側からはこれが2回目、27年前のことでよく覚えていないが、記録を見ると10月中旬でもう雪が薄く積もっていた。

先頭はK氏、次いで私、その後が夫人という順番は、帰着まで変わらなかった。夫人とも何回か歩いているが、なかなかの健脚だ。和田小屋の先から山道へ入る。大小の転石道は歩きにくい。一定のペースを維持して、下の芝から中の芝へと休憩を交えながら高度を上げて行く。ところどころ木道となりほっとするが、それもつかの間。
残念ながら太陽は顔を見せてくれないが雲は高く何とか持ちこたえてくれそうだた。木道脇に咲くオヤマリンドウが風に揺れている。湿地には白い穂をつけたイワショウブの群落も見える。次第に紅葉が目にとまるようになってきた。立ち止まり、カメラにおさめる回数も増えるてくる。ナカマド、ミネカエデ、オオカメノキ、サラサドウダン・・・赤や黄の彩が秋の山を賑わしている。曇り空のため、色の冴えがイマイチなのが惜しい。

樹林帯を抜けて灌木帯に変わると、風がまともに吹き付けてくる。肌寒さを感じるほどだ。ふり返ると藍色の山脈が連なって見える。しばし立ち止まって山座同定を試みるが、しかとは断定できない。藍色に薄く霞んだのが越後三山か、その南に巻機山から谷川連峰あたりと見当をつける。下ってくる登山者が「山頂からは槍ケ岳も見えましたよ」との話に希望をつなぐ。

神楽ケ峰に達すると、高低差の大きいコルを挟んで、苗場山の大きな図体が目に飛び込んで来た。
高低差100数十メートルの大きな下りに入る。ここまでの登りの苦労が消し去られるような下り。そして急峻な200mの登り返し。「さあ、がんがん登ってやるぞ・・・」という気合いより、「あの急登を登るのか〜」とため息が先に立つ。

コル手前の湧水で喉を潤したあと、最後の急登に取りつく。普通なら固定ロープなどがあってもおかしくないほどの岩場の急登、手がかり、足がかりを確保しながら攀じ登る。緊張の合間にも左右の黄葉を愛でカメラに収めてはまた這い登っていく。登っていればいつかは頂上に達する・・・そんな気分だ。

このコースの特徴は、胸をつくような急登を登りきり、山頂台地の一角に立ったとき。それは突然に、まさに劇的に目の前に広がる広大な山頂台地が展開することだ。苦労が報いられ、誰しも思わず歓声を上げたくなる瞬間だ。一等三角点のある山頂までここからわけない。一変してそぞろ歩き気分の木道を伝うことわずか、苗場山の山頂に到達。Kさんには日本百名山踏破達成の瞬間だ。笑みが広がる。堅い握手。感動の表情が消えないうちにと、ご夫妻二人の写真を何枚か撮る。「日本百名山達成」のボードを見た登山者から拍手が送られる。今日このときまでのK氏の道のりは約30年とか。まさに生涯をかけてのイベントということになる。

少し早いがランチタイム。3人でオチョコほどのコッブに入れたワインで乾杯「おめでとう!!」この日、この瞬間のことは、きっと生涯忘れることのない記憶として残ることだろう。K氏が背負ってきた具材でカレーウドンをご馳走になる。
しばし感動の余韻を味わったあと、池塘の点在する山頂台地を周遊。K氏も、この山を最後の山として選んだことに満足している様子だった。太陽が出ていたら、草紅葉や点在するナナカマドなどの紅葉、そして水面を紺青に輝かせる数々の池塘群などが、さらなる素晴らしい景観となって感動を高めてくれたであろうに、曇り空がちょっぴり恨めしい。

下山途中から小雨となり、転石の道は滑りやすくなっていたが、ほぼ予定していた時刻には駐車場に降りることができた。
4回目の苗場山となった私自身も、今回は友の日本百名山達成の瞬間に立ち会えたという、一味ちがう感動味わえた登山となった。

ふり返れば2か月前には、山友Мさんの信州百名山達成の喜びを分かち合え、今回は日本百名山達成のK氏に同行できたこと。今年は登った山の数は少ないが、思い出に残る山行が二つもあったことで、登山に関しては良い年と言えそうだ。



苗場山(2145m)  猿面峰=さるめん(1832m)・・・3回目

苗場山山頂

長いことお付き合いしているKさん夫妻がいる。その夫人が仲間と苗場山へ来るという。細かいことはわからないが、どうも苗場山頂上一泊の行程らしいと見当がついた。

仲間に入るわけにはいかないが、それなら泊まると思われる山小屋へ何か差し入れをと考え、ワインを一本リュックにいれて出かけた。北岳以来1週間山へ行っていないので、そろそろ山へ出かけたいという気分にもなっていた。

長野から志賀高原、奥志賀林道を走って秋山郷切明温泉へ。さらに小赤沢集落から林道へ入って登山口の3合目着が6時45分。だだっ広い駐車場には車が10数台。未明から2時間15分のドライブだった。

2、3のグループが出発していく。
なるべく遅く着いた方がK夫人に会える確立が高い。ゆっくりペースでスタートする。一昨年秋にも歩いたコースだ。
振り返ると険しい岩壁の聳立する鳥甲山が見える。

最初は歩き良かった道も次第に木の根や岩角を踏むようになる。湿地には直径40センチはある輪切りの木が踏み石代わりに並んでいる。ブナの大木やヒバ?などが深い森林の趣と自然の豊かさを感じさせる。

1時間弱歩いて、引水パイプからちょろちょろと流れる水場があある。その先が6合目の標識。この標識だが、登山道に入るとすぐに3合目の標識があるが、そのあとの標識は字が消えかかって判読しにくい。

6合目標識の先から露岩が目立つようになって、岩の頭を上手く利用したりして登っていく。勾配も急になってきた。ロープが何箇所も出てくる。さらに鉄の鎖が連続するようになり高度をどんどん稼いていく。笹が両側に茂るようになり、突然広々とした草原に飛びだす。苗場山頂上台地の一角だ。鳥甲山から岩菅山へかけての山並みや、はるかに見えるのは頚城、北アルプスだろうか。岩菅山の左に見えるのは白根の山々のようだ。

ここからはゆったりとした草原の中の木道を、山頂まで150メートル前後の高度を景色を眺めながら遊歩気分で行けばいい。池塘は空の藍を吸い込んで深々とした色を見せている。イワショウブの花はすでに赤く変色、チングルマもその名のとおり車状の毛に変わっている。リンドウだけが木道脇に我が季節とばかりに濃紫の花を見せてた。

一度岩のゴロゴロした潅木林へ入るが、ふたたび草原の木道となる。鳥甲山は背後の高みに隠れてもう姿は見えない。吹き渡る風が心地いい。

山頂台地入口から逍遥30分で交流センター経由一等三角点の苗場山頂へ到着。ここにある遊仙閣は閉じられたまま、もう何年になるのだろうか。多分再開されることはないのだろう。山頂着は9時5分、ゆっくりペースで登ってきたつもりだったか、2時間10分しかからなかった。谷川連峰、越後三山と思われる山々も淡いシルエットで見えている。

時間によってはと考えていた猿面峰を往復してくることにする。苗場山から北西へ300数十メートル下り、帰りはまたそれを登り返して来ることになる。国地院地形図にも山名と標高が載っている。

苗場山一等三角点の北側に“大赤沢”の道標がある。ここから一挙に300数十メートルの急坂を下っていく。帰りの登り返しが案じられるような急降下だ。まだかまだかと思うほどにさらに下る。ガスが上がってきて見通しが悪くなってきた。右手に見えるのは神楽峰だろうか。たどっている尾根の先に見えるのが猿面峰らしい。

草露で膝から下はびしょ濡れ。ジョギングシューズも靴の中で水がぐちゅぐちゅいっている。

苗場山頂から下りの途中で見る猿面峰

草が茂ってときどき道が隠れたりするが、コースが分からなくなるほどのことはない。

“天狗の庭”、“8合目”の表示がある。下ってくる途中で白っぽく見えたところだ。この大赤沢コースを下から登ってきた登山者に出あって立ち話。この尾根コースで人に会うとは思わなかった。ほっとした気分になる。

8合目表示の先が最低コルで、ここからわずかに登ると猿面峰のピークがあった。笹の中に7合目の表示と白骨化した枯れ木が何本か立っているだけの小広い平地だった。

さてこれからまた300数十メートルの登り返しで苗場山頂まで帰らなくてはならない。気分的に抵抗感が強い。

しばらく歩いていくと向かってくる登山者と会う。私と同様猿面峰のピストンだった。『同行の士っているもんですねえ』などとしばらく立ち話をする。同行の士というのか物好きというのか・・・・

草露も払われて歩きやすくなっていたが、苗場山ピークまで、高低差以上にきつく感じる登りを、一度も足を止めることなくワンピッチで登りきった。猿面峰往復は約2時間の行程だった。

何もない猿面峰のピーク

山頂周辺はときおりガスが流れて展望を妨げるが、秋色ただよう日差しの下で、多くの登山者が思いも思いのゆったりした時間を楽しむ姿があった。

K夫人たちグループの小屋到着時間が不明、スケッチをしたりしたあと、苗場山自然体験交流センター(兼山小屋)に立ち寄り、K夫人への差し入れとして持参した720ミリリットルのビン入りワインを管理人に託して下山することにした。

途中、苗場神社という道標を見て寄り道する。木道から分岐した道(木道)を2,3分で小社があり、その先にさらに草原が広がっていた。

下山も6合目付近の水場で水を飲んだだけ、休まず3合目駐車場まで下った。

ワインがうまくK夫人の手に渡ってくれればいいが・・・・・。
(翌日下山したK夫人から無事受け取られたとの報告があった)

苗場山(2145m)・・・2回目

登頂日2008.09.23 単独 曇り    一等三角点

小赤沢3合目駐車場(6.15)−−−6合目(7.20)−−−8合目(7.50)−−−苗場山(8.25-8.30)−−−龍の峰往復15分−−−6合目(9.30)−−−3合目駐車場(10.25)
                 
左手奥の山は岩菅山

20年ぶりの苗場山。山登りを始めて間もない東京在住のときで、祓川和田小屋から神楽峰を経由してのコースだった。

今回は秋山郷小赤沢3合目登山口からのルート、コースも短いし思ったより楽に歩くことができた。
3合目駐車場には10台近い車が止まっている。土日でもないのに結構登山者がいるものだ・・・・と感心しながらよく踏み込まれた登山道へ入る。
山頂まで合目ごとの表示があるものの、字は退色していて読みにくい。この表示というのは曲者で、距離を均等に割ったものか、標高差が基準か、所要時間が基準かでまったく違うものになってしまう。

このコースは何を基準としての合目か。同じペースで歩いているのに、最初の1合分は20分余、次は15分とばらばらだ。先行した登山者を何人か追い越して行く。そういえば今日は23日の祭日、それで登山者の姿が思ったより多いのだと気づく。曜日祭日無関係の日々を送っていると、いつの間にか社会の動きから離れてしまっているようだ。

かなり太い木の幹を輪切りにして、踏み石のように登山道に並べてある。ぐずついた天気がつづき、登山道はぬかるみがち、この輪切りがなかったら靴はぐちゃぐちゃになってしまうだろう。
4合目の水場を過ぎたあたりから、ダケカンバの白い幹が目立つようになってきた。
山頂までの行程所要時間は、栄村の資料によると3時間〜3時間半、こうした資料はえてしてサバよんでいるケースが多いから、多分それより早く登れるだろう。

草紅葉と池塘
6合目を過ぎたあたりから、岩がゴロゴロした急登が連続するようになる。鎖やロープが随所に取り付けられている。豊かに茂っていた高木の樹林が疎になり、やがて樹相が矮樹に変わってくると、一気に天空が開け木道の延びる湿原の一角に飛び出した。好天の予報がまたも外れて、薄雲り状態、クリアでないのは残念だが、そこそこ展望はきいているのは幸いだ。
湿原は草紅葉に変わり、白や赤みがかったイワショウブの花が目につくだけ、淋しげなチングルマの花がらが足元にそよいでいる。

サラサドウダンやミネカエデなどの潅木は鮮やかに紅葉・黄葉して目下秋の真っ只中にある。
木道からの景色は、おりおりに角度を変え、のぞめる山々もまた変化していく。鳥甲山や志賀の岩菅山は近くに、遠くかすむのは上州の谷川連峰など、特徴的な妙高山の背後に、ほんのりと見えるの北アルプスだろう。

冷たい北風を感じながら、池塘の点在する木道から淡く薄墨色に染まる山影を遠望したり、無数のガラス片を埋め込んだような池塘風景を眺めながら、木道をたどると、いったん矮樹の林
右奥の山は鳥甲山
の入ったあと、再び湿原展望の広がる木道へと出る。

20年ぶりの苗場山山頂に到着。一等三角点は遊仙閣の裏手にある。

冷たい北風の吹く山頂付近から、池塘の散らばる湿原風景を俯瞰、何枚か写真に収めたあと下山にかかった。
湿原の末端、小赤沢への下りの始まるところで、南に小さなピークが見える。地図を見ると龍の峰となっている。細いながら踏跡もある。ちょっと立ち寄ってみることにした。小笹の中の踏跡に入ると石祠が一基見える。そのまま緩く登って行くと突然藪に阻まれてしまった。露をたっぷりと含んだ藪こぎは気が進まない。目の前がピークと思えるが簡単に諦めて引き返してしまった。たった15分の往復で腰から下はびしょ濡れになってしまった。

あとはひたすら3合目を目指して下っていった。

最近は「資料にあるコースタイムで歩けるかなあ・・・・」と弱気になることがしばしばある。年をとった証だろう。しかし歩いてみると実際にはコースタイムをオーバーすることはまずない。まだまだ足は健在と言っていいようだ。
今回も登りは休憩なしで2時間10分、下りは龍ノ峰への寄り道を差し引くと1時間40分で歩くことができた。
 
苗場山・・・1回目
登頂日1988.10.15 長男同行   晴れのちくもり

駐車場(9.35)−−−和田小屋(9.55)−−−神楽峰(11.50)−−−苗場山(13.00-13.30)−−−神楽峰(14.30)−−−和田小屋−−−駐車場(16.15)
               (51歳)   
苗場山頂にて

自宅発AM4:30  関越道を湯沢ICへ。東の空が少しづつ白みはじめ、澄明な大気に、山々がシルエットに浮かびあがってきた。
明るさが増し、重なり合う山々もその遠近がはっきりとして、個々の山が区分できるようになると、運転しながら知っている山を見つけだす仕事が忙 しくなる。西に両神山のごつごつ特徴ある稜線が目につく。次に赤城山の右裾に見えてきたのは日光、足尾の山塊、更に赤城山の右肩には武尊山、再び西方妙義山、雪をかぶった浅間山は噴煙を下に向けてなびかせている。かなり北の風が強いのだろう。すっかり明けきった青空の下、真っ白な冠雪は谷川岳である。

一昨日、この時期としては異常な寒波が南下、上信越から東北の高い山は軒並み天候が急変、吹雪となり遭難が数多く発生して,谷川岳でも計4人が死亡したと報じられた。今そこに見る青い空、白 い峰、紅葉に彩られた美しい山の中でそんな悲劇があったことが嘘のようだ。

休憩したパーキングエリアから谷川岳の双耳峰と、三人が凍死したざんげ岩が、朝陽に輝いて手にとるように見える。  
長い関越トンネルを抜けると越後の山々の出番となる。真っ先に巻機山、その先は越後三山。左手に重なり合う山の間から、なだらかな台地状の山稜が見える。これから登る苗場山のようだ。

営林署の担当区で道路通行許可をもらうため、8時まで待つ。気持ちいい朝の林道を奥へ向かう。分岐で違う林道に入ってしまい、 30分も行ってから間違いに気づいて貴重な時間を1時間もロスした。しかし間違えたこの林道での紅葉は目を見張るものがあった。全山絵の具を流しこんだようだ。紅や黄の色模様織りなす見事さに、予定外の紅葉狩を堪能した。

珍しく今日は長男が同行している。
上空は雲ひとつない快晴、穏やかな陽射しの中を歩き始める。一昨日の雪が残っていて足元が悪い。和田小屋の脇を通り、下の芝、中の芝とぬかるみを避けながら行く。長男のペースに合わせて、急登ともいえぬほどの道をゆっくりと高度を上げていく。ブナやミズナラの樹相からオオシラビソ、クマザサと植生が変 わってくる。
展望のない登りが続くが、ときどき樹林が切れると、巻機山や谷川連峰の眺めがいい。登山道は解けかかっ たシャーベットの雪と、ぐちゃぐちゃの泥んこで歩きにくいことおびただしい。靴の中に水がしみこんでくる。
少し雲が出はじめたと思っているうち、にわかに雲量が増えて青空はほとんど消えてしまった。さっきまでの紺碧の空が嘘のようだ。神楽峰ではじめて苗場山の山頂が視界に入る。堀割り状の泥道を避け、土手のようになった笹の中を鞍部まで下る。風の通り道で肌を刺す寒さだ。鞍部には“お花畑”と表示されているが、シーズンオフの今は花の姿はない。

鞍部から最後の急登にかかる。ここでは雪が解けていないのでかえって歩きいい。何回か休みを入れ、あえぎあえぎ汗を流すと山頂の一端に飛び出した。
平坦な頂は、おおむね雪に覆われていた。池塘も雪の下になっている。点在する池塘と草もみじ、そんな写真の光景とは全く違っていた。イメージしてきた頂上風景でなく残念な気もするし、こうした別の姿を見られてよかっ たような気もする。
木道を伝って頂上台地の遊仙閣へ。疲れた長男はそこで休憩、私は広い山頂の木道をとび歩いて、周辺の山々の眺めを楽しんだ。
間近に岩菅山、平標山、そして横手、巻機、谷川、越後三山、浅間、遠く平ケ岳、尾瀬の山など。

30分程の山頂滞留ののち、時間を気にしながら下山の途についた。 途中神楽峰近くで、長野市在住のころに登った妙高、黒姫、高妻、戸隠などの懐かしい山々を遠望することができた。

アプローチの関越自動車道からは山岳展望の楽しさも味わえて、満足の山行となった。