追想の山々 1027    up-date 2001.06.20


大崩山(1643m) 登頂日1998.05.14 単独 くもり
神戸港(20.40)〜〜フェリー〜〜日向港(8.30)===上祝子登山口(10.25)−−−コース誤りロス3時間15分−−−和久塚コース分岐(13.40)−−−上和久(15.00)−−−大崩山(15.35-45)−−−上和久(16.12)−−−和久塚分岐(17.16)−−−登山口(17.40)
  《時間と勝負した登山》 =(59歳)               
大崩山頂にて、足はゴム長靴

8時30分、フェリーは定時に日向港へ入港。
天気予報ははかばかしくない。とりわけ宮崎、鹿児島など南に行くほど崩れが大きい。今日の登項は、最初に予定していた尾鈴山より、少しでも北に寄った大崩山の方がよさそうだ。しかしコースタイム6時間45分の尾鈴山に比べると、大崩山は7時間45分で所要時間が長い。その上日向港から登山口までのアプローチは、大崩山の方がかなり遠い。日暮れまでに下山できるかどうか不安はある。
とにかく急いで上祝子(かみほうり)集落奥の登山口へ向かった。

延岡市から1時間近くも走ってようやく「大崩山登山口」の標識に到着した。時刻はすでに10時を過ぎようとしている。
時間の心配もあるので、最短の二枚ダキコースの登山口まで行こうとしたが、少し走ると林道の荒れようがひどくて進めそうにない。最初にあった登山口まで戻って、ここから大崩山荘経由で登ることとした。時刻は10時15分。コースタイムどおりに歩けば、下山は夕方の6時、日の長いときだから何とかなるだろう。

焦り気味の気分で出発。降雨を予想してゴム長靴といういでたちである。道はしっかりしていて、この様子なら心配することはなさそうだ。20分余で山荘の立つ平坦地に着く。まずはコース タイムの半分という出だしだった。  
ここで坊主尾根コースの標識がある。『標識のある道が無難かな・‥』と思いながらも、この道は下山に取ることにして、ワク塚コースへ向かって進んだ。  
すぐに道標の分岐となる。「和‥」という字が読める。下に向かって細道が下っている。まさか下るということはないだろう。それに「和・・」が「ワク」と同一で、ワク塚コースを示していることに気づかなかった。先を急ぐ一心で気持ちの余裕をなくしていた。確かめることもせずに祝子川に沿って直進してしまった。とんでもない大失敗だった。落ち着いて確認すれば間違えることはなかった。  

ときおり『三里河原』を指す標識が見える。三里河原を指して歩いているようだが、その三里河原が持参した地図には見当たらない。山荘から30分余、支沢の合流地点で「避難岩屋」表示を見る。「何か変だなあ」と思いながら、なおも歩を早めて登って行った。  
巨大な滑り台のような岩盤に出る。対面にそそり立つ岩壁が見える。ガイドブックにはその記述がない。水を飲んで気を落ち着かせてから、固定ロープを伝って岩場を通過する。危なっかしい木梯子で4メートルほど降下する。  

時計は間もなく12時、歩きはじめて2時間近くになる。ガイドブックを読んだときの記憶とかなり違う。ガイドブックを持って来るべきだった。反省しながら、いったん戻って見ることにした。20分ほど戻ったところでふと見ると、古びた板切れに「大崩山山頂」の文字が読める。コースに間違いはなかっ た。そう確信して戻った道を再度登りかえして行った。  
ところが登山道は行き止まりとなってしまった。ここは流れを徒渉して対岸に渉るものらしい。(後で考える とここが三里河原の始まりのようだ)長靴でジャブジャブと渉ってはみたが、その先がわからない。斜面に赤布を見つけた。薄い踏み跡がある。登ってゆくとすぐにスズタケの密生となり、あるかないかの踏み跡をたどったが不安が募る。帰れなくなったら大変だ。これが一般コースであるはずがない。コースを誤ったことをはっきりと自覚した。  

今日の大崩山登頂は締めて戻ることにした。天気を見てまた明日登りなおそう。今回の九州遠征はいくつ登るという目標はない。敗北感で来た道を引き返した。
それにしてもどこで間違えたのだろうか。ふと思い浮かんだ。途中のあの標織だ。「和・・」は「ワク」だったのだ。あの標識がワク塚コースを指していたのだ。それに気づいたところで、もう時間的に今日の登頂は無理だ。それに早足でこれだけ無駄足を踏んでかなり疲れている。  

問題の和久塚分岐まで戻ったのが午後1時40分。少なくても3時間は無駄にしていた。たとえコース間違いがなくまとも歩いたとしても、出発が遅かったのでかなり急いで歩かないと明るいうちに帰れないと思っていたのに、この3時間は決定的だった。  
日が長いこの時期、夕方6時半まで行動できるとして、今から約5時間。コースタイムではここから登って登山口へ下山するのに8時間。足も疲れている。どう考えてもこれから登るのは、計算上到底無理な話だった。

取りあえず明日のために途中まで様子を見ておこう。もし時間的に可能性がありそうなら山頂まで行くこともありうる。かくして猛然と、まさに猛然と歩きだした。それは様子見ではなく、最初から山頂を目指す意気ごみであった。
分岐から少し下り、倒木を利用した橋で上祝子川を渉る。すぐに大岩の陰を回り込むようにして登山道の登りに取り付く。断崖のような急斜面にコースがつけられている。とても登山道とい うようなものではない。何とか人の歩けそうなところに足場を作ってあるに過ぎない。うっかりするとすぐにコースを外してしまう。  
下山してくる男性に会った。ここまでの下りは道がわかりにくく、何回か間違えたという。こんな時間から登って行く白髪のおじさんを、内心怪訝に思っただろう。(坊主尾根から登って来たが、梯子が腐っていてけっこう大変だったらしい)

ワク塚の岩峰
木の幹や、岩角を手がかりに四肢をフルに使って体を引き上げる状況がつづく。大変な重労働にたちまち滝のような汗が流れる。ルートを間違わないように赤テープの目印に追ってゆく。どこまで登ったのか、コースタイムとの比較はどうか、考える余裕もなくただ登るのに夢中だった。  

どのあたりだっただろうか、急に展望が開けて素晴らしい景観が展けた。ワク塚の岩峰群だ。花崗岩の白っぽい巨大な岩壁が、すばらしい高度感をもって圧倒する。昇仙峡より迫力はずっと上だ。いつまでも見とれている時間はない。さらに先を急いだ。汗をぬぐう時間も惜しい。巨大な岩の下部を巻いたりして、どんどん高度を稼いでいく。あまりにも急ぐことだけに意識を奪われ、山頂までどこをどう歩いたのか、途中何があったのか、ほとんど記憶に残っていない。  

中ワクという地点で展望台があったようだが、時間が気になって立ち寄らない。さらに上ワクも同様、横目でみて先を急ぐ。上ワクで時計を見ると3時。分岐から1時間20分。地図を見ると、かなり山頂へ近づいているようだ。
峻険の急登は上ワクで終わった。あとは一般の登山道同様になり、勾配も楽になった。もうひと息のようだ。 どうやら山頂まで行けそうだ。足を緩めずにがんがん飛ばす。  
やがて坊主尾根コース分岐点で、山頂まで45分の表示がある。モチダ谷コース分岐、これが三里河原のあのスズタケの中を登ってくるコースだったのだろうか。

両側スズタケ、雨でえぐられた道を上り詰めると、岩塊のピークに着いた。「石塚」だった。 雲に閉ざされ眺望はない。さらに藪っぽい平坦な道を5分ほどで待望の山頂だった。時劾は3時36分を指していた。
よくやった。まさかあの時刻から頂上を極められるなんて思いもしなかった。コースタイム4時間30分の登りを、わずか2時間弱という信じられないような速さで登りついたのだ。  
標高1643メートル、一等三角点。展望は得られなかったが、私には忘れがたい思い出の山になることだろう。  

10分の滞留で山頂を後にする。  
どんよりとした空、午後4時近い時間ですでに夕暮れの気配が漂いはじめている。急がなくては・・‥。  
坊主尾根を下る予定だったが、万一暗くなったことを考えて、同じ道の方が安全と判断、ワク塚コースを下ることにした。道の状態の良い上ワクまではほとんど走るようにして下った。この先は登りも大変だったが、下りもまた大変だ。整備された道を飛ばすようなわけにはいかない。急ぎすぎて足を滑らし怪我などしたらそれこそ大ごとになってしまう。気持ちを落ち着かせながら、そしてルートを外さないよう自分に言い聞かせながら悪場を下って行った。  
相変わらず雨の降り出しそうな空模様で、4時半を過ぎると樹林の中はすでに薄暗い。樹木につけられた赤テープが識別しにくくなってきた。踏跡といっても、常にしっかりした跡があるわけではない。赤テープが見つからないといっぺんに不安が増す。腕時計とにらめっこしながら、コースを外すことなく5時15分何とか倒木橋のかかる祝子川まで下りついた。

結局見落とした分岐から3時間30分ほどで往復した。自分でも驚くほどの頑張りだった。迫る夕闇に追われるように、後はしっかりした道を大崩山荘経由で登山口まで走るように戻った。  
帰着は5時40分だった。 それにしても今日は本当に疲れた。全体力を振り絞った気がする。体はくたくただった。下山があと30分遅くなっていたらどうなっていただろうか。きわどいところだった。

当初胸算用 した「6時半まで行動できる」というのは甘かった。それを基準にして行動していたら、ビバーグとなった可能性も濃厚。
案じた雨にもなにらず、タイムリミッ トすれすれで無事登項できた幸運をかみしめたのであった。

上祝子集落近くの広場まで戻り、夕闇泊る中で夕食を作った。ここで寝るつもりだったが、明日は午前中曇り、午後から雨の予報、しかも南部ほど悪いのは今日と同様。明日は大分県の傾山がいいだろう。そうと決めて、明日の移動が少しでも楽になるよう、疲れた体に鞭打って延岡市まで下っておくことにする。
延岡市郊外の道路脇に自動車を止めて寝たのが、もう9時過ぎていた。ひと眠りして目が覚めたのが夜中の1時、そのまま起き出して傾山登山口へと自動車を向けた。