追想の山々 1028    up-date 2001.06.21


奥越 経ケ岳(1625m) 登頂日1997.09.30 単独 くもり
奥越高原青少年自然の家(6.10)−−−三角山−−−林道(6.50)−−−保月山(7.35)−−−杓子山(8.15)−−−中岳−−−経ケ岳(9.05-9.50)−−−杓子山(10.20)−−−保月山(10.55)−−−林道−−−自然の家(11.55)
                  
経ケ岳山頂、背後の山は白山(左)と別山
(60歳)
保月山(三等三角点)経由のコースで登頂

経ケ岳と同名の山は、日本三百名山にもう一つある。中央アルプスの経ケ岳である。2年前、信州百名山最後の山として登ったのが中央アルプス経ケ岳である。生まれ故郷の山でもある。
中央アルプスのそれより700メートル近く も低いが、なかなかどうして登り申斐がある上に、山頂からの眺望もまたすばらしくいい山だった。

土日を利用して東京から長駆マイカーを飛ばし、初日は能郷白山と冠山、そして2日目に経ケ岳へやってきた。
六呂師のスキー場を目標にしたのだが、国道からスキー場への入口がさっぱりわからない。普通スキー場の入口には目立ちすぎるほどの看板などがあるものだが、それらしい表示も見えない。行きつ戻りつしてそれでも何とか六呂師への道を見つけた。しかし道路沿いにはこの先にスキー場があることをうかがわせるような広告看板など一切見当たらない。畑仕事の老人に、この先にスキー場のあることを確認し、スキー場へ着いたのはもう日暮れの時刻だった。
そこは奥越高原と称して観光整備された標高数百メー トルの高原が広がっていた。間もなく牧柵越しに真っ赤な夕焼けを残し太陽が沈んで行った。明日は良い天気になることだろう。  

スキー場付近の遊歩道には「熊出没、立ち入り禁止」という物騒な看板が出ていた。マイカーで一夜を過ごす。一晩中星空がきれいだった。

スキー場ゲレンデ下付近であっちこっち登山口を探したが、どうもわからない。スキー場の下部から見ると、上の方に大きなホテル風の建物が見える。そのあたりから延びる尾根にコースがありそうな気がする。見当をつけてその建物まで自動車を回してみた。天体観測ドーム下まで来ると道路が封鎖されていた。路肩に自動車を残し、ホテル風の建物を目がけた。  
建物は『奥越高原青少年自然の家』という福井県立の立派な施設だった。ふと見ると電話ボックスのような建物に『登山届を出しましょう』と表示されている。記入されている届を見ると行く先は『経ケ岳』である。「そうか、この付近に登山口があるのだ」ほっとして届出用紙に記入する。親切にも非常用にホイッスルと発煙筒、三角巾が備えてあり、貸与するようになっている。 クマ対策の鈴を忘れてきたので、念のためにアルミコップ、フォーク、スパナで鳴り物を作り、それをザックに釣り下げたが、貸与用のホイッスルも借りることにした。  

自然の家の敷地内を奥へ進んでみると、『遊歩道・三角山南側登山口』とあり、良く見ると“至経ケ岳”と誰かが手書きしてある。かなり知られた山にもかかわらず、登山口を探すのにこんなに苦労したのも久しぶりのことだ。
早速急な登山道を登り出す。目の下にスキー場のゲレンデが見えてきた。地図ではリフト沿いに登山道が記されているが、その道はどうなったのだろうか。

急登ひとしきりでリフト終点近くに至る。ここが三角山らしい。登山道はきれいに刈り払われてこれなら何の心配もいらない。リフトの終点からコースは尾根に忠実につけられている。雑木の気持ちいいコースがつづく。予想したとおり今日は最高の登山日和、山頂での眺望が今から楽しみになる。足元にはドングリがばらまいたように散らかっている。

40分歩いたところで林道に出た。登山口付近から見えた林道である。あそこまで自動車で行けないかと思ったが、林道への行き方がわからず、またうろうろするのも敵わない思って止めた道だ。結局ここまで歩いた道は、早朝のすがすがしい雑木林の中で、小鳥のさえずりに耳を貸しながらの歩きはまったく苦にならなかった。

ブナが目立つようになってきた。紅葉には早かったが、その時期にはすばらしい紅葉狩りが楽しめるだろう。アダムとイブの名札のかかった樹木がある。見ると1本はブナ、もう1 本は多分カツラだろう。人間で言えば腰のあたりが密着して一つになり、さらに胸のあたりがもう一度密着して、固く抱擁しているように見える。何だかセクシーでもあり、ユーモラスでもあり、立ち止まってしばらく眺めた。  

杓子山からの経ケ岳
コースはほどよい勾配で登って行く。  
明るい雑木の道は、単調ではあるが決して退屈することはない。自分自身が自然にかえって行くような懐かしさに似た感情さえ湧いてくる。 歩きはじめて1時間25分、三等三角点のある保月山へ到着。高原から眺めると二つの瘤が見えるが、これが最初の瘤だ。山頂標識も立っていて、単なる尾根上の突起と言うより、一つの山として扱われているようだ。
経ケ岳まではこれで行程のほぼ半分、ナナカマドの実が真っ赤に染まっていた。眼下に広がる田園は勝山町だろうか、すでに秋色漂うセピア系の色合いに変わっていた。見上げれば深く蒼い空、朝日を浴びた円頂を経ケ岳かと思って見ていたが、後でそれは手前のピーク”中岳”であることがわかった。しかし注意して見れば、中岳の右寄り背後に、ほんのわずかだが経ケ岳の山頂がのぞいていることに気づく。  

一休みして次のポイント杓子山へ向かう。保月山までの一般ハイキングコースとはがらりと様子を変えて、ごつごつした岩っぽい潅木の中を行くようになる。巨岩の基部をロープに頼って巻いたと思ったら、今度は岩場の急登に変る。保月山までの穏やかさに比べて、様相は一変、荒々しい場面がくり返される急登を拳じ登って行く。それでも基本的にはコースの手入れはしっかりされていて心配はない。危険個所にはロープが固定され、足湯の悪いところには木の階段が敷設されて、一歩一 歩しっかり登って行けばいい。  

保月山から30分で標高1448メートルの杓子山へ到着。草付きの小広い平坦な山頂を持っている。下から見て、これが二つ目の瘤となる。これが経ケ岳と思って登ってきたのは間違いで、経ケ岳は杓子山で始めて目にできる。  
中岳へ向けて笹の海が広がっている。その先のコルから勾配を強めて経ケ岳の頂が競りあがって行く。均整のとれた姿はやはり名山である。  
山項までの登山道がはっきりと見える。ここからは経ケ岳の姿を正面にしながらいっそう楽しい。中岳へは笹の朝露の道、面倒だか雨具のズボンだけ着用する。中岳(1467m)までは15分。経ケ岳はいよいよ目前に迫る。ここから高低差50メートルほど下ってから、ふたたび200メートル登り返して待望の山頂だ。