追想の山々 1029    up-date 2001.06.21


中ア縦走 空木岳〜南駒ケ岳〜越百山 登頂日1994.09.23〜24 単独 晴れ&くもり
  木曽山脈(中央アルプス)の山行記録はコチラにもあります
≪行程中のピーク≫
濁沢大峰(2724m)→桧尾岳(2728m)→熊沢岳(2778m)→東川岳(2671m)→空木岳(2864m)→赤梛岳(2798m)→南駒ケ岳(2841m)→仙涯嶺(2734m)→越百山(2613m)→南越百山(2569m)
東京自宅(2.15)===駒ヶ根IC===千人塚(6.00)・・・七久保駅(6.35)===電車===駒ヶ根駅(7.00)==バス==しらび平(8.00)〜〜〜〜千畳敷(8.10-20)−−−極楽平(8.40〜45)−−−濁沢大峰(9.22-35)−−−桧尾岳(10.22-45)−−−熊沢岳(11.38-50)−−−東川岳(12.45-13.05)−−−木曽殿山荘(13.20)―宿泊―(5.00)−−−空木岳(6.00-15)−−−赤梛岳(6.49)−−−南駒ケ岳(7.16-23)−−−仙涯嶺(8.00-10)−−−越百山(8.52-56)−−−南越百山(9.10-30)−−−下山道分岐(9.35)・・‥飛竜の滝(10.26)−−−相生の滝(10.53-58)−−−登山道入口(11.33)−−−中小小屋(11.43-55)−−−白山権現(12.43)−−−千人塚(13.13)===駒ヶ根IC===東京へ
                  
岩峰の仙涯嶺を越えて越百山へ向かう
(57歳)
深夜東京発、駒ヶ根ICを出てから明日の下山予定地である千人塚へ自動車をデポする。ここから飯田線七久保駅まで徒歩35分。いかにも田舎の駅という無人駅には、越百山、南駒ヶ岳登山口の看板だけが目立っていた。
5分ほど待って、入って来た上り電車で駒ヶ根まで行へ。駒ヶ根駅前から千畳敷ケーブル“しらび平”行きのバスに乗車。しらび平からケーブルで千畳敷へ。ケーブルから外へ出るとぶるっとするような寒さを感じる。ここは標高2612メートル、気温は8度を指していた。
登山指導員が登山届の提出を呼びかけている。 「一人ですか」 「雨具は」 「ラジオは」「それなら天気はどうやって確認しますか」 「無線機は」 「食料は」 「年配の単独者の遭難が多いのですよ」 「単独者の遭難の7〜8割は発見されずにそのままになっていますよ」
よほど頼りないおじさんと映ったのか、次々とけん制球を投げて来た。一応耳を傾けていたが、右から左の耳へ抜けて行った。  

天気は思ったよりいい。目の前に広がる千畳敷の広大なカールは、狐色の枯れ草と、それにつづくハイマツの緑、ナナカマドなどの赤系統、 ミヤマハンノキなどの黄色系統、多様な色彩は溢れんばかりに、伊那前岳から宝剣岳へと染まっていた。
おおかたの登山者とは別方向の極楽平を目指す。主稜線の極楽平まで登ると、西側に三ノ沢岳が視野一杯に飛び込んで来た。その安定感のある大きな図体は、これも紅葉に飾られて秋色濃く、足元の砂轢には夏の間咲きつづけた栄華の名残り、ミヤマキンパイなどの葉が深紅に色づき、最後のときを惜しんでいるかのようだ。眼下に俯瞰する千畳敷カールは、まるで巨大な絵の具皿を見ているようだった。  

ここ極楽平から木曽殿乗越までの稜線コースは、地図に現れない起伏が連続していて、思いの外厳しいことは数年前の空木岳登頂の時に経験ずみである。最初のピーク濁沢大峰を越え、さらに桧尾岳、熊沢岳、東川岳と2700メートル前後のピークをいくつも越えて行かなくてはならない。体力勝負の縦走である。
明るいピーク桧尾岳に到着。岩の塔を立てたように見える熊沢岳はまだ遠い。その先にひと際高い峰頭を誇って聳えるのが空木岳、藍色のシルエットに薄雲がからみついている。

東川岳山頂と空木岳
熊沢岳山頂ではじめて南駒ヶ岳の姿が視界に入って来た。淡いシルエットの一峰にしか見えず、まだ名峰としての片鱗をうかがうことができない。本日最後のピーク東川岳から急坂をかけ下ると今夜の宿泊小屋、木曽殿山荘である。13時20分。数年振の山荘経営の老夫婦は、まだ健在で小屋を守っていた
小屋の管理人に 「明日は越百山から七久保コースを下山の予定と」と話すと「先日の大雨で登山道が流されてしまい、道がわかりにくくなっているから、あのコースは使わないよう、登山者を指導してくれと言われている」という話にびっ くり。
千畳敷の指導員は、やたらに細かい注意を与えておきながら、そうした肝心のことを教えないなんて、なんと片手落ちの指導であることか。下山口へ自動車をデポして来ており、コース変更は困る。とにかく越百山までは予定の行動を取り、そこで考えることにしよう。  

翌朝5時、木曽殿山荘を出発する。高度差 400メートル、空木岳へはいきなりの急登で始まる。御嶽山が西の空に浮かび、東には甲斐駒 ヶ岳が淡い影を見せる。天空に傾きかけた月をかすめて薄雲が流れて行く。連れとなった女性はなかなかの健脚で、一度短い休憩を入れただけで空木岳山頂へ達した。
山頂からは、これから目指す南駒ヶ岳が黒々とした影を見せていた。

空木岳から南駒ケ岳をのぞむ 越百山(南越百山より)
今回の山行は、この先の南駒ヶ岳と越百山が目的。空木岳から先は登山者が少なくなるという。越百山まではできるだけ飛ばして時間を稼ぎ、不安な中小川コース七久保への下りを、 時間をかけて慎重に歩きたい。  
コマウスユキソウの花ガラやウラシマツツジの紅葉を目にしながら、岩稜を上下して行くと、南駒ヶ岳との中間の赤梛岳へ到着。空木岳から所要3 5分、コースタイムの半分だった。
南駒ヶ岳への登りに取りつくと、霧の中へ入って視界がなくなった。ペンキ印を頼りに岩の間を登って行く。東川岳から遠望したときには、急な登りに見えたが、岩稜のためか案外楽に感じる。  
霧に閉ざされ先が見えないまま黙々と登って行くと、ピークらしいところに出た。南駒ヶ岳にしては時間が早すぎると思ったが、小さな社と 南駒ヶ岳の標柱が霧の中にあった。あっけないほど簡単に到着してしまった。
赤梛山から25分、ここもコースタイムの半分以下の時間で歩いてしまった。展望はまったくない。これから進む仙涯嶺、越百山方面をペンキ矢印が示しているが、頭の中の方向感と90度ずれている。『この矢印は本当だろうか』信じられない思いでとまどっていると、人声がして二人の青年が空身で登って来た。一言ふた言しゃべっているうちに、霧の一点に穴が開き、 それこそ信じられないほどの素早さで霧が消え去り、目の前に南部の眺望が広がった。視界が開けて見れば矢印に間違いはなかった。
南に向かって来た稜線が、この南駒ヶ岳でいったん東に向きを変え、小さなピークを過ぎてから再び南へ向かっていた。いわゆるクランク型に変化していたのだ。仙涯嶺から越百山を視界に入れて、山頂を後にした。 

仙涯嶺との鞍部目指して、落ち込むような急坂をどんどん下って行く と、険しい岩峰が迫って来る。紅葉を散りばめ、威圧するような岩塔群が圧巻だ。鞍部から岩に取りついてから振り返ると、南駒ヶ岳の峰頭が泰然と構え、その姿はまさに名山にふさわしい貫禄と凛々しさがあった。深田久弥が日本百名山に空木岳を選ぶか南駒ヶ岳にするか迷った心境がよくわかる。今その空木岳と南駒ヶ岳を越えて来た私は、文句なく南駒ヶ岳の方を選びたい。そして長大な中央アルプス、別名木曽山脈において、この南駒ヶ岳から仙涯嶺にかけてこそ、北アルプスや南アルプスにも匹敵する核心部という感を深めた。  
群れ聳える岩塔の道は、紅葉に彩られて気分の高まりを押さえがたい。岩を撃じり岩を縫い、威圧感溢れる巨岩を登りつけば、仙涯嶺の頂だった。最上部の岩に立ち、来し方を振り返れば青白く岩壁をむきだした南駒ヶ岳が高々と対峙していた。  
今朝方越百山荘を発って来た人達とすれちがう。
花南岩の岩稜はこの仙涯嶺までだった。後は女性的な緩やかな尾根が越百山へとつづいている。越百山は均整のとれた三角錐で美しい姿をしている。がらりと相貌を変えた平穏な道を、緩やかに上下して越百山へ到着した。越百小屋が眼下に見える。
裸の頂上はあっけらかんとしている。もうひとつ先の南越百山まで行って休憩することにした。中小川コースの下山口を通り過ぎた先が南越百山のピークだった。砂轢の中にケルンが立ち、ハイマツの点在する広々とした山頂だった。南には奥念丈岳から安平路山へと稜線が延びている。これが昨日から10個目の主要なピークだった。

中小川の渓谷を下る  険しいが美しい滝が連続する
これから危険と言われた中小川の沢の下りが残っている。緊張を解くのは少し早いと自らを戒める。
20分の休憩で山頂を後にした。先ほど通ってきた中小川コースの下山口から下りへ入る。ダケカンバの美しい斜面を下って、避難小屋から沢に降りた。しばらくは沢の右岸左岸を問題なく下って行く。思いもかけず登って来る登山者に出会った。道の様子を尋ねると、どうやら心配するほどのこともなさそうだ。第一登って来る人があるということは、立ち入り禁止等の措置がされていない証拠だ。  
中小の美しい滝が次々と出現する。やや安堵して50分ほど下ったところで、沢を挟んだ対面、仙涯沢の支沢に高度感のある飛竜の滝が望見される。ちょっと遠くて、落差の割りには迫力は伝わって来ない。  

滝の展望を過ぎると、巻道、桟橋、梯子、鎖にすがって一気に急降下 して行く。再び沢に降りたところがカモシカ落とし、押し出された大小の花崗岩が散乱した荒れ沢で、ペンキ印の岩も押し流され、沢の中を行けばいいのか、岸上の樹林に道があるのか、ルートがまるっきりわからなくなってしまった。不用意な行動をとって滝にでもつかまったら立ち往生だ。慎重にルートを探し、ときには岸へ上がって様子を見、また沢を歩き、徒渉して下って行った。突如濃い霧の中へ入ってしまった。見通しがなくルートが読めない。立ち往生。たちまち大きな不安が襲ってきた。 勘を働かせながら進むと、左岸から滑滝へ降りる鎖を見つけた。それにすがって滑滝へ降りて、そのまま対岸へ渉る。さらに水流のない一枚岩の滝を横断する。高さ3〜40メートルはありそうな滝に水流のないのが不思議だ。水があれば素晴らしい滝だろう。  
巨石の頭を跳んだり、岸をへつったりして、轟音激しい相生の滝の落ちロヘ到着した。美しい流れの滑滝が、ここで一気に数十メートルの高度を落下して行く。落ち口からのぞくと、足の裏がむずむずして来る。  
滑滝の水面に顔をつけて喉を潤し、滝の落差を巻道で急激に下って行く。水線まで下ると傾斜はいっペんに緩んで、坦々とした登山道に変わった。
この後は森林帯の中を、何の心配もなく足に任せて距離を稼ぐだけだった。まだ先かと思っていた林道に、意外に早く飛び出した。林道を10分ほどで避難小屋へ到着。小屋前の水場でようやく緊張感から解放され、石に腰を下ろして休んだ。

自動車をデポした千人塚までは8.5キロ、2時間10分とある。私の足なら1時間30分だろう。緩い下りで歩きごろの林道だったが、酷使 した足はいつものスピードが出ない。考えて見れば今朝から長い縦走に加え、トータル2000メートルをはるかに越える高低差を下って来ているのだ。それにルートファンディングに神経をすり減らし、心身ともに疲労していた。

夕方4時か5時に下山できれはいいと思っていたのに、まだ1時13分だった。それにしても、下って来た中小川の滝コースは、あと10日もすれば紅葉も見ごろとなって、素晴らしい登山ルートとなることだろう。
チャンスがあれば、このコースを紅葉の季節に遡行してみたいものだ。