追想の山々1032  up-date 2001.06.22

平ケ岳(2141m) 登頂日1989.07.01 単独
鷹ノ巣登山口(5.50)−−−下台倉山(7.15)−−−白沢清水(8.45)−−−姫の池(9.45)−−−平ケ岳(10.10-30)−−−玉子石810.55)−−−姫の池(11.15-30)−−−白沢清水(12.10)−−−下台倉山(13.25)−−−鷹の巣登山口(14.25)
所要時間 8時間35分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
                  ロングコースを経て山上の楽園へ(52歳)
 
山上の楽園玉子石にて、左方が平ケ岳山頂

この平ケ岳は、今年になってから登った日本百名山の14座目になる。

時期は梅雨、天候を気にしながらも、いい山歩きとなることを願って午前1時深夜の東京をマイカーで出発した。星が鈍く光っている夜道を日光街道、桧枝岐村へと向かった。352号線に入って中

山峠にさしかかるあたりから、薄明に見えいた会津の山々は深い霧の中に沈んでしまった。峠を下り終わると霧が晴れ、ひときわ高く朝陽に輝くなだらかな稜線が見えてきた。たぶん会津駒ヶ岳だろう。目指す平ケ岳方面も天気はよさそうだ。急に気持ちも明るくなってハンドルさばきも軽くなる。

昨年、会津駒ヶ岳へ登った際にテント泊をしたキリンテキャンプ場を横に見て、御池を過ぎると道幅が急に狭まり、ヘアピンカーブが連続、緊張する。 

平ケ岳登山口の鷹の巣には予定より1時間程早く、6時少し前に到着した。既に3台の車が停まっている。今日のコースは山頂部の玉子石まで散策すれば、約11時間という久し振りの長丁場、少しで早く出発して時間の余裕を持たせることが大事だ。 

支度を整えて直ちに林道に入り、しばらくはふたかかえもありそうなブナの巨木帯林を森林浴気分で辿って行く。『平ケ岳登山口』の標柱が立ちカヤトの中を切り開いた小径へと導かれた。この日が山開きということもあってか、茅や笹は刈り取られよく整備されている。ここが尾根の取付き口で、胸を突く急登の始まりであった。痩せ尾根の急坂を、したたり落ちる汗を拭いもせず、ただひたすらの登りである。ひと際目立つヒメコマツの古木まで来ると、まずは前半の急登が終わる。知らぬ聞に霧の上に出たようだ。真っ青な空が広がっている。立ち止まってようやく汗を拭い、ひと息いれながら振り返ると、会津駒ヶ岳から中門岳にかけての平坦な稜線が眺望できる。雲の上に 吃立する双耳は燧ケ岳。 

 
平ケ岳山頂  玉子石

雨の心配から解放されて気持ちも軽くなり、足の運びも一層滑らかになってきた。原生林の深い谷を足下に、目先のこぶを一つ越えると、一旦傾斜が緩むがすぐに次のこぶの急坂が待っている。階段状に繰り返される突起、背後から降り注ぐ夏の太陽。厳しい登りがつづくが、、一足毎に競り上がってくる周囲の山々が慰めとなり励まされるようにし、ようやく傾斜が緩んだところが下台倉山だった。715分、尾根取り付きからコースタイム2時間のところを、1時間15分で到着。快調である。それにしても最後の登りはまさに鼻がつかそうなきつい勾配であった。振り返れば喘いできた尾根が眼下に伸び、稼いだ高度を実感する。さしもの厳しい登りもこれでおしまい、そう思うと気分も楽になり、腰をおろして喉を潤し、会津駒、燧とつづくスカイラインに見とれる。
近くでごそごそと音がする。もしや熊!まさか。狸か何かが登山者の食べ残しでもあさっているのかもしれない。ちょっと気味が悪く足で地面をどんどんと蹴ってみるとそれきり音はやんだ。

5分程の休憩で出発する。すぐ先で登山者が立ち上がって出発するところだった。何だ、そうだったのか。臆病なこころが恐怖心を呼び寄せたようだ。はるかに残雪豊富な山稜がゆったりと聳えているのが望める。

 「こんにちは」
 「あれが平ケ岳でしょうね」
 「そうですね」
 「まだずいぶん遠いですね」
 「何時の出発でしたか」
 「6時少し前です」
 「早いですね、僕もコースタイムより早かったですが、それよりずっと早いですね」

顔はよく見なかったが髭の青年、いや青年と中年の真ん中くらいかもしれない。そんななりゆきから二人でしばらく一緒に歩くことになった。
尾根道の右手は樹林にはばまれて視界はないが、左手は明るく開けて燧を視線に感じての楽しいプロムナードである。至仏山も遠望できるようになって気分はいやが上にも盛り上がってきた。

平ケ岳

彼は高校の教師で山岳部の顧問をしているとの自己紹介。私と同様東京から深夜自動車を走らせて来た由。生徒を引率しての山歩きでは絶対に事故は許されず、気使いと緊張で楽しむ余裕はないようだ。部の山行は幕営となるので荷物は最初30キロ以上になるとか、途切れとぎれの会話を交わしながら彼が先を歩いた。
彼は花に詳しかった。ツマトリソウ、マイズルソウ、タムシバ等の名前も教えてもらった。 

再び樹林帯に入り展望のきかない道となった。台倉山は気付かずに通過してしまい、台倉清水に着いてから通り過ぎたことを知った 樹林の中に小広く開けた格好の休憩地だ。雪渓を230メートル下ると、雪の下から湧き出した小さい流れがあって、手が切れるよに冷たい。 

このあたりから道はぬかっている所がある。潅木の茂みの小径はツマトリソウやマイズルソウ等下生えの群落が賑やかだ。時折樹間から平ケ岳が顔をのぞかせ、少しづつ近ずいて来るのが楽しみだ。足元にはいかにも弱々しく可憐なミツバオウレンが糸のように細い茎の上に、小さい五弁の剣様の白花をっけ、かすかな風に揺れていた。 

思い出したようにぽつりぽっりと彼との会話をっづけているうちに、いつか白沢清水まで来ていた。清水を探したがどこにあるのか見付けることができなかった。仕方なくそのまま通過(下山時樹間の切れた一角に簡単に清水を見付けることができた)。

登山道脇のところどころに消え残った雪の堆積を見るようになってきた。ぬかるみ多くなり、雨のときは難儀しそうだ。しかし昨秋、吾妻連峰を縦走したときのぬかるみに比べればずっとましである。
緩い尾根道をひとしきり経て潅木帯を抜け出ると、明るい笹斜面が眼前に広がり、競り上がる最後の尾根がおおらかな円頂へとつづいている。地ケ岳の円頂、並ぶもうひとつが平ケ岳。波打つ大きなうねりのように横たわっていた。もう目と鼻の先だ。
残雪というより雪渓と言いたいほどの雪が縞模様に山の斜面を模様づくっている。
最後の急登はひと息に登りきれなくて、途中立ち止まって呼吸を整えてから又一歩一歩足を持ち上げて行った。笹原の中の一筋の登山道は頗る展望もよく、雪渓と笹原の山腹に大きいダケカンバがアクセントを添えてなかなか見ごたえのある風景だ。

髭の教師は疲れたのか少しペースが鈍ってきて、立ち止まったのを契機に先頭を私と変わった。知らず知らずに間隔が開いて、気がつくと教師は腰を下ろして休んでいた。頂上までは指呼の距離、待たずにそのまま登りつづけた。
コイワカガミ、イワイチョウ、コケモモ・‥花咲く登りを攀じ終えて池ケ岳山頂の一角にたどり着き、ツゲの樹林を2300メートルも行くと、突然目の前が割れたように開けて天上にとびだした。

平ケ岳山頂の木道

そこは地塘がいくつも点在し、池の周囲はチングルマ、コイワカガミ、イワイチョウなどの花が飾りたて、水面は空の色を吸い込んで濃紺の水を湛えている。ここが姫の池であった。大小いくつの池塘があるのか、その他塘湿原の中まで木道は延びていないので入って行って確かめることはできない。中でもとっつきの池塘が一番大きく、花の数も多い。その他の端には木道敷設され、二人の登山者が休んでいた。池塘越しには平ケ岳の円い山頂が目の前に穏やかにたたずんでいる。こんなに素晴らしいところが殆ど荒らされずに保たれているのが信じられないほどだが、尾瀬ケ原などと異なり登山者の少ないことに救われているからだ。今日も髭の教師の外に登山者に会ったのは、この二人が初めてだった。そしてこのあとも頂上で出会ったのは中の岐から登ってきたという人一人だけだった。 

帰りに時間があればゆっくりとこの高層湿原での憩いを楽しむことにして平ケ岳に足を向けた。
平ケ岳との鞍部へゆるく下る木道の左右には、ハクサンコザクラ(=ナンキンコザクラ)の赤紫の花が競うように咲いている。道は一旦ツゲの樹林にかかる。ここを“つげの廊下”と呼ぶようだ。ツゲは豪雪の中、どれも背を伸ばしきれずに、いじけたような樹形をしていた。

ツゲの樹林を抜け出た鞍部は再び小湿原となってそこも花々に埋まっている。ここで玉子石への道を右に分けて、木道を伝ってゆるい登りを一投足で茫洋と広がる平ケ岳の頂上部に出た。

姫の池と平ケ岳

高原状の山巓は山岳というより丘陵と見まがうばかりのおおらかな雰囲気をたたえていた。岩峰にはないおおらかな包容力とでも譬えようか。天と地が一体となり自分が今、天にあるのか地にいるのかわからなくなってしまう、そんな幻想的な天界にいた。別世界とはこういうものだろうか。
初夏を待っていちどきに咲き開いた花の数々。ことにハクサンコザクラの群落がひときわいい。視線をのばせば夏とも思えぬほどに山襞を雪で埋めた峻瞼な山々の連なる大パノラマ、越後三山と荒沢岳、巻機山から朝日岳への峨々とした山稜。ハクサンコザクラを前景とした燧、至仏山はそのまま額縁に入れてしまいたい。その燧燵は逆光線に藍色のシルエットとなって中空高く聳え立ち、至仏は揺れる大気に少しばかり霞んで遠かった。力を入れて目を凝らすと、奥利根湖が微かに光っている。まさに至福の眺望、大満足のひとときだった。
三角点は目立たぬ黒木の切り開きの中にあった。

平ケ岳から一旦下って先ほどの小湿原の玉子石への分岐まで戻り、そこから雪渓を踏んで玉子石に立ち寄ってみる。何回も写真で見た玉子石とその先に展開する地塘群はこれまた絵葉書そのものの眺めだった。ここでもういちど越後三山の眺望を満喫、、群青色の山肌に残雪というには多過ぎるはどの雪をつけ聳立する姿は、この平ケ岳と

高層湿原『池ノ岳』

違っていかにも男性的であった。姫の池の地塘群に囲まれてゆっくりと休憩し、心行くまで花を愛で、草原をわたるそよ風に身をゆだね、山に来た幸せをとしみじみと思う。喜びも汗の量に比例して大きかった。

帰途は全く同じ道を戻った。たいして起伏も感じないで歩いて来た下台倉山からの尾根道は、帰りには意外なはどの登りおりの繰り返しの多さに驚く。
出発時の心配とはうらはらに、すば晴らしい好天に恵まれ、またひとつ百名山を楽しく歩き終えることができた。満足感に包まれて桧枝岐温泉で一晩ゆっくりと汗を流してから翌日東京に戻った。


 ガンとの姿を変えた戦いとして、ただ山頂を踏むことしか眼中になかった登山が、このころから山へ登る楽しみを少しづつ感じるようになっていた。
この平ケ岳山行も、しみじみとした幸せに包まれた思い出多いものとなった。