追想の山々1035  up-date 2001.06.23

八甲田大岳(1585m) 登頂日1989.06.24 晴れ 単独
急行列車「はくつる」で青森駅着(7.17)==バス==酸ケ湯温泉(9.25)−−−仙人岱(10.15)−−−大岳(10.50)−−−毛無岱(11.50)−−−酸ケ湯温泉(12.25)===青森駅→弘前駅→岩木山山麓湯段温泉へ
所要時間 3間間00分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
                  酸ケ湯温泉を基点とする周回コースを歩く(52歳)
 
八甲田大岳山頂から櫛ケ峰をのぞむ

梅雨の影響の少ない《八甲田山》と《岩木山》にでかけることにした。本州最北端に位置するこれらの山は、思った以上に遥かな遠い山であった。

大雨注意報の中、ザックを背負い傘をさして自宅を出るのもおかしな姿だった。激しい雨脚がしぶきをあげて降りしきる街の灯を後にして、上野駅22時17分発寝台特急「はくつる」で青森へ。翌朝7時17分、青森駅頭に降り立つ。  
北国の空は青空も覗いていい山旅ができそうだ。観光客のように町並みや観光名所などには関心が湧かず、気持ちはただ一筋山へ向かうのみ。  
8時、予定のバスで登山口酸ケ湯温泉に向かう。標高ゼロメートルから900メートルの酸ケ場温泉まで高原の涼風を受けながらバ スは一気に上ってしまう。
酸ケ湯温泉は鄙びた山奥の湯と思っていたが、広く明るい温泉場で幾棟もの建物が並び、鄙びた印象からは遠かった。大岳を登り、酸ケ湯に下山して12時44分のバスに乗るまでの時間は僅か4時間しかない。
早速登山道に入り、潅木の道をどんどん飛ばしていく。萌え出したばかりの木々の緑が目にしみる。 
スズ竹の竹の子採りのおばあさんがに「青森の女の人は働き者だね」 と声をかけると、おばあさんも気軽に応じてくれるが、東北弁がよく理解できない。「いづもは、あんまりこっつさごねえどもな、今日久し振んりで来でみただ」 というようなことを言っているらしい。 「上の山さ、うんど前さ行っだことあるだども、えかった。長いこと行っでねから、いまどうなってるかな」 私に山の様子を教えてくれようとしているようだが、現在の様子がわからず教えられないのが残念な風だった。  

時間があれば腰でも下ろしてゆっくりと話せば楽しいだろうが、先を急がないといけない、おばあさんにお礼を言って急な坂道を再び足を運ぶ。アオモリトドマツの樹間から南八甲田の山並みが望見できる。櫛ケ峰から逆川岳にかけての山稜は、ことさらに穏やかな曲線を見せていた。
いつしか潅木の背が低くなり、見通しがきいてきた。新緑の中に暗緑色のアオモリトドマツが点在している。硫黄臭のするガレ沢を渡ると空がようやく大きく広がり、気持ちいい登りとなった。
ガレ沢沿いにイワカガミが目につく。気候の厳しさからか、アオモリトドマツが背丈を伸ばしきれないでいる。沢筋のところどころ残雪がある。その脇にはミヤマキンポウゲが咲いている。沢の源頭部あたりで眼前が開けて木道があらわれた。仙人岱の湿原跡である。「湿原跡」といわなければ ならないのが残念である。何千年、何万年もかけて作られた高層湿原が、人が押し掛けるようになって、わずか何十年の短期間で殆ど跡形もなく消えてしまった。赤茶けた土が剥き出し、そこをかつて湿原を潤していたであろう流れだけが、今も流れていた。  

八甲田清水の湧水で喉を潤す。ヒナザクラの白い花が風にそよいで群れ咲いている。湿原を左に向きを変え、雪田を渉って八甲田最高峰の大岳への急登に取り付く。森林限界を越え火山礫のじくざぐの急登は、一歩ごとに高度を上げ、振り向けば南八甲田が一望される。ミネズオウ、ツガザクラ、イワウメなどを目にしながら、上り詰めて立った広い山頂は、ミヤマキンポウゲの群落だった。
晴天にもかかわらず、遠くは霞んでしまい、明日登る予定の岩木山を見ることはできなかった。

大岳避難小屋へ下る。そこで居合わせた登山者が「今が毛無岱のハイライトシーズンです」と教えてくれ。トドマツや潅木の長い下りが続いたが、それを抜けると広々とした湿原に変わり、周囲にはアオモリトドマツの林が点在、木道が湿原の中を導いてくれる。上毛無岱である。そしてチングルマの群落、まさに正真正銘の大群落である。敷きつめたように咲さ誇るさまは圧巻であった。池塘が宝石のように輝き、緑のじゅうたんは天上楽園のしとねとみまがう。絶句するようなこの景観は、数多い山歩きの中でも、特に印象に残る見事なものであった。  

この下の湿原が下毛無岱だった。長い階段を下りてチングルマやコイワカガミ、ミズバショウ、ほかに名知らぬ花々を愛でながらも、時間を気にして酸ケ湯へと急いだ。
東北の名湯酸ケ湯でひと風呂浴びて行きたいが時間がない。予定のバスに間に合い、満ち足りた思いで青森駅まで戻った。僅かしかない乗り継ぎ時間に、大急ぎでホームへ駆け上がり、弘前行きの鈍行列車に乗り込んだ。反対ホームの『函館行』という列車を見ると、改めて遠くの地へ来たことを実感した。