追想の山々1036  up-date 2001.6.23

岩木山(1625m) 登頂日1989.06.25 曇り 単独
湯段温泉(3.30)−−−岳温泉(3.45)−−−8合目駐車場(5.15)−−−鳳鳴ヒュッテ(5.50)−−−岩木山(6.05)−−−鳳鳴ヒュッテ(6.35-50)−−−焼止ヒュッテ(7.30)−−−姥石(7.55)−−−岩木山神社(8.45)==バス==盛岡駅→上野へ
所要時間 5時間15分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
                  下りの雪渓に難渋した津軽富士(52歳)

 
姥石から岩木山を振りかえる
登頂日、平成1・6・25→岩木山標高1625メートル。
偶然とはいえ登山日とその山の高さが1・6・2・5という同じ数字というめぐり合わせを、宿の主人に教えられてびっくりした。計画してやろうとしても、こんな遠くの山が相手ではやすやすと出来ることではないのに。 「いい日に来ましたね」といってくれた。それと美空ひばりが亡くなったというニュースがありましたとのこと。ひばりの「リンゴ追分」はここ津軽平野を舞台にした映画の主題歌。彼女は私と同じ歳。


八甲田山を登ったあと、青森から弘前へ向かう。車窓に見えるのは年老いた農夫が一人腰を折って作業している姿、くずれかかった藁葺きの小屋、白壁の剥げ落ちた廃屋同然の倉庫など。沿線は寂しいみちのくの風景だった。
八甲田の山並が遠のき、代わりに岩木山が反対側の車窓に見えてきた。津軽平野の真ん中に毅然として聳える独立峰は、津軽富士の名に恥じない端正な姿で迎えてくれた。  
弘前駅からバスで湯段温泉へ。登山に便利な嶽温泉を考えたが、より鄙びた湯段温泉を選んだ。湯段温泉の一番奥、長兵衛荘に宿泊を頼み早速温泉で汗を流す。湯治客用の質素な宿で、民家に温泉を引いたような小さい宿が4軒程の温泉場だった。  
岩木山の展望という点では最高の場所であった。林の梢越しに、富士山に似た端正な姿を一望できる。
テレビのニュースが歌手の美空ひばりが今日死んだことを報じていたことを女将さんが教えてくれた。そう いえば彼女の代表的なヒット曲『りんご追分』は、この津軽を舞台にした歌だっ た。
  ♪ りんごの花びらが風に散ったよな 月夜に月夜に ええ〜〜そっと  
  ♪ 津軽娘は泣いたのさ つらい別れを泣いたのさ・・・・・   
   (そしてセリフの部分で)  お岩木山のてっペんを綿みていな白い雲が、ぽっかりぽっかり・・♪ 

早めに寝床に入り明日に備える。午前2時、目を覚まして気になる空模様を見てみる。星も見えない暗い空の下に、岩木山の姿が黒々と浮かんでいる。生暖かい風に林が騒いでいるのは雨を予告しているようだった。
明るくなるのを待って出発しようと、しばらく布団に横になっていると、トタン屋根を打つ雨音。ついに降ってきたか。雨でも登らなくてはならない。しばらくすると本降りとなってきた。まるでバケツでもひっくり返したような土砂降りになってしまった。こんな降り方がいつまでもつづくことはない。出発が多少遅れても、小降りになるのを待って何としても出かけようと決める。  
3時半、少し小降りになったのを見て宿を出た。傘をさして岳温泉へ向かううちに、霧雨程度におさまってきた。

嶽温泉から鳥居をくぐって登山道に入る。しっかりした道をしばらく行くと、自動車の轍のある広い道に出る。あれだけ激しい雨のあとだけに、ひどい道を予想していたが、意外とぬかるみもなく歩きやすい。 1.6.2.5.記念のイベントとして、この登山道を使って岩木山の登山競争でもあるのか、第1誘導、水場等の表示が途中に見える。  

種蒔き苗代と鳥海山々頂
いつか雨はすっかりあがり傘を畳んで杖がわりにする。早くも汗びっしょり。どうも汗の出かたが普通ではない。水筒は少しでも軽い方がいいと思い、半分しか入れてこなかった。倹約して一口喉を潤すだけにとどめる。急な登りがつづき、ブナの原生林の中で早くも小休止だ。どうも足が重い。歳とともにだんだんと体力が落ちてきているのかなあ、と考えたりしてしまう。
ペースを落とし、途中バテないようにゆっくりと歩く。バテを心配するようなことはめったにないことだ、今日はちょっと弱気だ。大事な水なのについ何回も口にしてしまう。  

鬱蒼とした原生林から細い登山道に分かれて尾板を伝うようになると、木の間がくれに後方の展望がきいてきた。もう天気を心配する必要はなさそうだ。重い足をなだめながら、いやになるような急坂は、水浴びしたような汗がしたたり落ちる。思い切り水を飲みたい。
8合目駐車場のリフト乗り場まで行けば、多分缶ジュースの販売機もあるだろうし、水も貰えるだろう。しかし、万一の備えに水筒を空にしてしまうことはできない。  

最後の急登を攣じてリフト乗り場脇に飛び出した。苦しい登りだった。予定よりだいぶ時間がかかっただろう・・・時計を確認するとコースタイム2時間の所を1時間半で来ていた。最初のペースが早かったのかもしれない。
有料道路のゲートがまだ開かないので殆ど自動車は停まっていない。大きなレストハウスがあるが人の気配がない。何はともあれ缶ジュース販売機に突進して100円硬貨を入れる、すると硬貨は下の釣銭口から出てきてしまう。もう一度やっても同じ。他の2台も同様。どうやら夜は機械を止めているらしい。ショックだった。ここで思う存分ジュースを飲めば体力も回復すると、そればかり考えてここまで頑張ってきたのに、この落胆は言いようがない。水は?・・トイレ、売店の前と栓を捻るが一滴の水も出ない。元栓を閉めてあるらしい。この後もう水を期待できるところはなさそうだ。水筒を振ってみる。まだコップー杯分程度はありそうだ。一口飲む。うまい。    
気を取り直して鳥海山をはじめ出羽の山々を展望する。男鹿半島も確認できる。曇ってはいるが大気は澄んで視界は良好。

しばらくすると冷たい風に体の芯まで冷えてくる。寒さで水のことも忘れてしまう。レストハウスの裏に水道を見付ける。もしやと思って栓をひねるがやはり駄目。そこに水の入ったコップが一つ。今朝の雨が溜まったものか、何かの残り水か。死ぬことはあるまい・・・一口飲む。さすが気持ち悪くて全部は飲まなかった。

リフト沿いにゆっくりと頂上を目指した。立ち止まって休む回数が多い。鳥海山と岩木山の鞍部に建つ避難小屋鳳鳴ヒュッテに到着。コンクリート造りの頑丈な小屋だった。自動車、リフトを使えばここまで労せず登る事ができる。 カメラ以外の荷物はすべて小屋にデポして、岩片の堆積した胸突く急尾根を山頂へ向かった。第一おみ坂を登ってちょっとした平に出る。岩塊の第二おみ坂にかかる。風が冷たい。濡れた半抽のシャツだけではこたえる。荷物を全部小屋に置いて来てしまったのがくやまれる。  

6時5分岩木山神社奥杜の建っ頂上に到着した。寒くて四周に見える山名をいちいち確認している余裕はないが、白神山地の先は男鹿半島、そして津軽半島七里長浜の海岸線が美しい。南に鳥海山、その後方は朝日連峰か。目を転ずれば昨日の八甲田の山々が雲間から洩れる朝の斜光の中に絵に書いたようだ。その右手は八幡平、秋田駒ヶ岳だろうか。月山が確認できる。  
寒さに抗し切れずに心を残して5分程で下山。鳳鳴ヒュッテで休憩し、大事な水を、 あとひと口だけ残して飲む。

帰りは岩木山神社へ降りるコースをとる。ここから高低差1400メートルの下降である。雪渓を避けてその縁をわずか下がると種蒔苗代という小さな池がある。この先雪渓はとんでもなく長く、緊張感に苦しめられることになろうとは考えもしなかった。種蒔苗代にはミチノクコザクラが点在していた。

池越しに岩木山への別れを告げて本格的な下降に入る。ガレた道をしばらく下って行くと再び雪渓に突き当たった。沢全体を埋めている。2〜300メートル先は落ち込んでいて様子はわからない。取り付きはスプーンカットに合わせてうまく歩けば何とかなりそうだ。なるべくジクザクを切るようにして慎重に下っていった。
雪渓の幅は数十メートル、足を滑らせたらどこまで滑落するか見当もつかない。 大きく落ち込んでいる地点まで来て下を見ると、斜度がきつくアイゼンなしではかなり危険を感じる。しかしここから鳳鳴ヒュッテまで登り返して、同じ道を岳温泉まで戻るのは、水のこと、体調の事を考えると躊躇してしまう。思い切ってこのまま下るしかない。
 
一歩一歩慎重に右に左に足場を選んいく。布の軽登山靴だからキックがぜんぜんきかない。ときおり足を滑らせはっとするが、 手をついて止どまる。
人の頭大の石が雪上、あちこちに不安定に微妙なバ ランスでのっかっている。雪の解け具合でいつ転がり出すかわからない。それに今朝方の大雨でかなり不安定になっている可能性もある。滑落と落石の二重の恐怖にかられながら気を張り詰めた下降がつづく。
斜度はいよいよきつくなり、布の登山靴ではこれ以上雪渓の下降は無理と判断、雪渓と藪の境目を笹や潅木にしがみつきながら、かろうじて下りつづけた。雪解けあとの笹の泥でズボンも汚れ放題だが気にしている余裕などない。  

ようやく顔を出した岩の上にペンキの矢印を発見、ようやく救われた気分に緊張も緩む。ときどき現れる雪解けのルートを求めながら尚慎重に進んで、傾斜が緩くなるあたりまで来ると、そこには大小の落石が堆積していた。そのすぐ先で激しい水音がする。雪渓が途切れ滝となって落ちていた。水だ、緊張も手伝い喉はからからだ。
ここでルートが山腹に逃げているのを発見。ついに無事雪渓を脱出できた。冷たい水をたらふく飲む。真っ黒な手や顔を洗う。冷たくてしびれる。生気が戻り緊張から開放された。                   

山腹をトラバース気味の平坦道をしばらく行くと、焼止ヒュッテの前に出ることができた。苦戦した割には時間は順調に来ている。この雪渓は登りコースにとればもっと楽だったかもしれない。
あとはひたすら岩木山神社目指して下っていった。岩木山神社脇にある岩木温泉で入浴をさせてもらい、汗を流したあと帰途についた。
予定よりひとつ早いバスに乗ることができた。車窓の岩木山は相変わらず静かに津軽の平野に聳えていた。