追想の山々1040  up-date 2001.06.24

開聞岳(922m) 登頂日1989.05.06 小雨 単独
えびの高原(8.30)==バス==林田温泉==西鹿児島駅〓〓〓開聞駅・旅館「ひらきき荘」(14.15)−−−開聞岳(16.05-15)−−−枚聞神社(17.40−−−旅館「ひらきき荘」(18.00)
所要時間 3時間45分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
                  九州日本百名山の旅(その4)-(52歳) 
開聞岳

風雨のえびの高原を後にして8時30分林田温泉行きのバスに乗った。林田温泉で西鹿児島行きのバスに乗り換える。雨は降りつづいている。
国分から鹿児島市内へ入って行くと、幸い雨はほとんど上がった。うまくすれば今日中に開聞岳に登れるかもしれない。
鹿児島で時間つぶしをせずまっすぐ開聞へ行ってみよう。それにどっちみち今日は開聞のどこかにテント泊まりをしなくてはならない。

12時12分、発車時間の迫ったJR最南端の枕崎線頴娃大川行きのローカル線に乗りこむ。駅員の姿も見えず、乗降客も2、3人という寂しい無人駅をいくつか停車していく。海岸線を走る列車の窓越しに、錦江湾を隔てて大隅半島が横たわってい る。車内は下校の高校生でいっとき賑やかになったが、山川駅を過ぎると再びひっそりと して、最果てを行く旅情のうら寂しがただよう。低い雲の下では、寄せるさざ波が浜を洗っているだけ。

今日開聞岳へ登っておけば、明日一番の汽車で鹿児島に戻り、高千穂河原から高千穂峰を登り、それから空港に行っても十分余裕がある。
前方に待望の開聞岳が姿をあらわした。頂上に雲を乗せてはいるが、 ほぼその全容を見ることができる。これで今日の登山は決定だ。こじんまりしているが、その姿はさすが薩摩富士呼ばれるにふさわしい姿をしている。
高さはたったの922メートル、日本百名山の中でも1000メートルに満たない山は筑波山の876メートルと開聞岳である。贔屓目に見ても登山対象の山としての魅力は、ここで見る限り乏しいといわざるを得ない。
開聞駅で下車したのは3人、高校生二人と私。駅前は商店ひとつないわびしさ。食料を買おうと思うがどこに行けばいいのかわからない。テントはどこにしようかと思いながら歩き始める。駅から100メートルも 行くと旅館があった。看板がなければそれと気がつかないだろう。テントで風雨が強くなったらやっかいだな、それに食べ物のことも心配しなくてはならない。そう思うと自然に旅館の玄関をくぐってしまった。

2時15分旅館を出て開聞岳へ向かう。  
途中開聞中学陸上競技の女生徒に語り掛ける。「開聞岳は登ったことがある?」 「あるよ、おじさんどこから来たの?」  「東京から、頂上までどのくらいで登れた」 「1時間半かな、東京、いいなあ。デイズニーランドヘ行きたい」そんな会話をしてから、いよいよ本格的な登山道の登りにかかった。

潅木の茂った道は蒸し暑く下着1枚になって歩く。下から見たときは頂上の雲はほとんどとれていたから、上にいけば錦江湾の展望が楽しめだろうと期待した。女性の二人連れが下って来る。「頂上はどうでした」「ときどき晴れるが余り見通しはきかなかった」との返事に失望する。
足場の悪い岩場をひと登りすると、『頂上まで25分』の表示がある。もうひと息。しかしこの頃から細かい霧雨が降り始める。かなり急いだが、表示どおりの25分かかって頂上に到着した。時刻は4時5分。 3人連れが「おたくが今日の最後ですね」と言って下りて行った。

頂上は乳白色のガスの中だった。眺望はなく長居をする意味もない。開聞神社に参拝し、記念写真を撮ってすぐに下りにかかった。
5合目あたりまで下りてくると雨もやんで、錦江湾が眼下に望まれる。

印象の薄い登山だったがこれで今回九州山旅の予定が、無事全部終了、安堵感が広がる。  
登山口休憩所の登山者用ノートをめくると、今日の日付の最後に《百名山、51番目。雨天残念。足利市山川町304××××》と書かれている。私もこれが51番目という偶然に驚く。

下山後、枚聞(ひらきき)神社に足を延ばす。薩摩一の宮だけのことはあって、風格のある神社だった。
旅館に戻ったときは6時になっていた。