追想の山々1041  up-date 2001.06.24

高千穂峰(1574m) 登頂日1989.05.07 晴れ 単独
開聞駅(5.43)〓〓〓西鹿児島駅〓〓〓霧島神宮駅===高千穂河原(9.15)−−−馬の背越(10.00)−−−高千穂峰(10.30-11.00)−−−高千穂河原(11.40)−−−霧島神宮(13.10)===林田温泉===鹿児島空港
所要時間 3時間55分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
                  九州日本百名山の旅(その5)-(52歳)
 
高千穂峰(1989年、霧島縦走時の撮影)

早朝4時半、同宿の団体が開聞岳登山に出発して行った。今日は天気の心配は不要のようだ。
日本百名山には入っていないが、この九州日本百名山山旅のしめくくりに、高千穂峰を登ることにして早朝の開聞駅を発った。

車掌のセールスで開聞岳のオレンジカードを買う。西鹿児島駅で『鹿児島歩こう会』の小旗を持った初老紳士に、 高千穂峰に登ってから鹿児島空港に行く方法について尋ねると、懇切丁寧に教えてくれた。感謝。
その初老紳士は何度も開聞岳に登ったが、山頂はどうしても雲がかかってしまうことが多いと語っていた。

鹿児島本線特急で霧島神宮駅まで行く。バスの接続がなく、勿体ないが高千穂河原までタクシーを使った。高千穂河原は大きな駐車場、休憩所、売店もある観光基地という感じである。 カメラ、雨具だけの軽装で、おおかたの荷物は休憩所の隅に隠すようにデポして出発する。

ここは神話の山、天皇神格化の思想と直結しているように思われて、神殿、 礼拝所の類いの前は避けて、脇道から歩き始めた。潅木帯が切れると、道は赤茶けた岩塊の急登となる。そのうちに晴れ間が広がるかもしれないと期待しての牛歩で行く。急坂を登り切ったところが馬の背越、生々しい噴火口の縁を行くと、もう上から下りて来る10人程のグループがある。  

雲がきれて高千穂峰が姿をあらわしてきた。ピラミッドを置いたような姿だ。後ろには霧島連峰中岳から新燃岳が見えるが、一番に期待の韓国岳は望めない。
火口から少し下り、鞍部からの登りは、砂轢の急斜面で足をとられ非常に歩きにくい。再びガスってきて視界も悪くなり、足元だけを見て登る。傾斜が緩んで頂上に到着。
天孫降臨の地といわれ、神域として立ち入り禁止の縄で囲まれた中にある天の逆鉾を見ても私には何の感慨もない。一つの山の頂きに過ぎなかった。  

ガスに包まれた山頂を後にした。軽装の観光客が数珠つなぎに登ってくる。やはりここも観光地。登山対象の山とは違う印象だった。  
高千穂河原からは時間もあったし、費用節約のため霧島神宮まで1時間半、重いザックを背負って歩いた。  

霧島神宮近くで“入浴可”の看板を見つけて温泉で汗を流し、霧島神宮を見学してから、バスで鹿児島空港に向かった。

人工肛門となってから6日間に及ぶ一人旅は、もちろんはじめてのこと。途中で何か起きたらどうしう・・・・大変なプレッシャーと不安を背負っての山旅でした。
案ずるより産むが易し、特段の出来事もなく、また計画になかった山まで登って無事にこの旅を終わることが出来ました。
振り返ると、この山旅で得た自信が、人工肛門という暗いトンネルから抜け出すための、計り知れない大きな力になったことを、改めて感じます。