追想の山々1042  up-date 2001.06.25

ペテガリ岳(1736m) 登頂日1994.08.08 曇り 単独
ペテガリ山荘(4.10)−−−1050mP(5.20)−−−最後のコル(7.00)−−−ペテガリ岳(7.50-8.00)−−−コル(8.25)−−−1301mP(8.40)−−−1050mP(10.10)−−−ペテガリ山荘(11.00)===三つ石温泉===静内営林署===神威山荘(16.30)
所要時間 6時間50分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
                  1994年北海道の山旅〓その1〓(57歳)
 
強風のペテガリ岳山頂


東京からの途中、蔵王「屏風岳」に寄り道してから仙台港へ向かった。仙台港フェリー出航は20時。定刻どおりに苫小牧港に到着。北海道の大地を日高山脈の山懐めざして疾駆。毎度のことながら、北海道の道路の良さにはただ感心するばかり。
用意万端ぬかりなく東京を出発して来たつもだったのに、大事な忘れ物に気づいた。ヒグマよけの鈴である。これがないと日高の山は怖くて歩けない。土産物用の手頃な鈴が見つかった。2700円は高かったが、音も響きも良くて値段の高いだけのことはある。妻の分と二つ購入。
日高海岸に沿って門別、 静内と走り、静内町で国道と別れて、道々静内中札内線に入る。これは昔の林道、静内川に沿って延々とのびている。余裕の舗装道は農屋まで、それから先は曲がりくねった砂利道がどこまでもつづく。林道といってもほとんど勾配のない平坦道、一車線の狭い道は気を抜くことができない。進むにつれて悪路となってきた。頭上に新道の橋脚を仰ぐあたりは特に状況が悪く、鋭くとがった岩石が散乱している。
工事中の道を見送って、さらに奥へ奥へと進入して行く。3時30分、ようやくペテガリ山荘に到着した。静内から約60キロ、2時間弱。これだけ走って標高は400メートル上がったに過ぎない。それにしても辟易するほどの、とんでもなく長い林道だった。  

山荘には広い駐車スペースがあり、自動車が2台止まっていた。そろ そろ下山して来ることだろう。  
車外へ出ると早速虻がたかって来て、うるさいことおびただしい。山荘は少し傷みはじめてはいるが、建物は大きくかなりの収容カがありそうだった。山荘前には水も引いてある。  

人工肛門の洗腸をする都合もあり、山荘横にテントを設営して宿泊することにする。テントは気楽でいいがヒグマがちょっと心配になる。
1組が下山して来た。『とにかく長いコースだ。登ったり 降りたり‥・帰りだって下るより登ってるという感じていやになっちゃったよ』 と疲れ切った様子ですぐに止めてある自動車で去って行った。5時近くになって4人の熟年組が帰って来た。朝6時半の出発だったというから、10時間以上かかっているようだ。標準コースタイム11時間を考えればそんなものだろう。
今回の北海道山行で気になったのが、狐が介在する寄生中病一エキノコックスである。川の流水は絶対に飲まないことにして、水道水を十分用意した。

ペテガリ岳は厳しいロングコース、妻を残して単独で目指すことにした。  
足元が明るくなったのを待って出発。山中には一滴の水もない。ザックの中には1.5リットリ満タンの水筒を用意する。登山道は駐車場の奥から始まった。
コースは明瞭ですぐ先の砂防ダムから沢沿いに行けば、尾根への取り付き点となる。山腹をからんで登って行く。植林地を抜け、笹斜面のジグザグを切るようになるが、刈り払いは完全である。天気は曇り、期待の展望は諦めるとしても、雨が降らないことを願ってひたすら登りつづける。  

登りついた尾根が西尾根、ヒグマの出没危険地帯に入った。急な尾根をひと登りすると、最初のポイント1050mピークである。これで標高差の半分、700m近くを登ったことになるが、そんな実感がないほど軽く登ってしまった。ここから展望の楽しい尾根歩きとなるはずだが、眺望皆無、一面雲に覆われている。妻と無線交信。あまり時間を稼げていないので、帰りは予定より遅れるかもしれないと伝える。
これから1259mピーク、1293mピーク、そして 1191mピークと、いくつものピークを登ったり降りたりしていかなければならない。その間に高度はほとんど稼げず、えんえん歩いた先の三つ目のピークは、最初の1050メートルピークと大差な い1191メートルというのだから先が思いやられる。  

展望もなく登り降りを繰り返しているうちに、自分の現在位置が地図上のどこなのか見当がつかなくなってしまった。果たして時間的には予定通りなのか、それとも早いのか遅いのか、さっぱりペースが分からない。ただ道がはっきりしているのでコ−スの心配がないだけ気は楽である。  

どのくらい歩いたのか、広い鞍部に降り立った。笹の鞍部はかなり広い範囲に笹が刈り払われて、幕営でもした後のように見える。するとこれが500メートルの登りを控えた最後の鞍部だろうか。それにしては少し時間が早すぎ。そんなことを考えながら、休まずに次の登りを攀じて、いかにも展望のよさそうなピークに出た。これが1301メートルピーク、つまり西尾根最後のピークで、ベテガリ岳山頂へは、この先でもう一度大きく下りきった鞍部から標高差500メートルのきつい登りが待っているのだ。これで現在地を確認することができた。

見ごとなダケカンバ林に目を奪われながら、ぐんぐん下って行くと黒土の鞍部となる。水さえあればいい幕営ができそうだ。残雪期の幕営地というのがここだろう。いよいよ最後の直登500メートル、これからだけでもちょっとしたハイキングコースに等しい登りだ。一段と気合を入れて急登に取りついた。  
しかし思ったほどの負担感はな く順調に高度を上げて行く。やがて低潅木帯となり、道も沢状に変って来た。両側にハイマツの植生が現れる。ガイドブックで『ハイマツを見ると半分登ったことになる』と書かれていたのを思い出す。500メートルの登りにしては早すぎるほどの快調さだ。
そして背の低いハイマツだけの斜面に飛び出すと、ガスを伴った強風がたたきつけて来た。暑さに参っている下界が嘘のように、たちまち体温が奪われて、まるで初冬を思わせる。疾風とともに駆け抜ける霧を縫って登って行くと、肩のような高みの上から、前方に霧にかすむピークが見えた。棒杭のようなものが立っている。あれが待望のペテガリ岳だ。そこから5分ほどでその山頂に到達した。  

ついに来たという実感が湧き上がった。はるばるとたずねて来た山頂は、大展望という願いは叶わなかったが、ただこの頂に立てた喜びだけで満足だった。
真夏とも思えぬ寒風に吹き立てられながら、記念写真だけを撮って、ピーク下の岩陰に身を寄せたが、回り込んで吹き付ける風は防げず、逃げるようにして山頂を後にした。
ハイマツ帯を過ぎ、潅木林に入ると嘘のように風は収まり、穏やかな山の姿に戻った。  
鞍部から1301mピークヘ戻ったところで、はじめて10分間の休憩らしい休憩をとった。下山のはずの帰路が、登ってばかりいるように感じた。ようやく最終のピーク1050mPに到着して、もう登りがないと思うと、心底ほっとする思いであった。  

妻の待つペテガリ山荘目指してどんどん下って行った。ペテガリ山荘帰着は11時ちょうど。最初は心配したが、ほぼ予定どおりの時間だった。  
ちなみに所要時間はガイドブックによって
  A) 登り 7時間     下り 4時間
  B) 登り 5時間     下り 3時間20分
  C) 登り 4時間     下り 3時間20分
  私) 登り 3時間40分  下り 3時間
私の体験と、今日の自分のペースをもとに標準時間を算定すれば登りは5時間〜5時間30分、下りは4時間〜4時間30分が妥当と思われ る。下り4時間から3時間という時間は、相当の健脚者を想定してのタ イムである。  
いずれにしても健脚向きの山であることは間違いない。  

ペテガリ岳はコースの長さを除けば、登山道の整備が良く、日高の山の中では数少ない安心して登れる山であろう。  
再び長い林道を静内まで戻るのかと思うとうんざりするが、遥かな遠い山、憧れの山を一つ踏破した満足感に包まれて山荘を後にした。

次の神威山荘へ移動途中にある三ツ石温泉に入浴。浦河営林署へ電話をすると、神威山荘への林道通行は届を出すように言われる。営林署へ寄ると20キロ以上の遠回りになってしまうが仕方ない。道に迷ったりしながら営林署へ立ち寄った。親切に林道の地図を用意して待っていてくれた。

ペテガリ山荘への林道に比べれば、距離も3分の2ほどで短いが、それでも長い林道だった。神威山荘には、まだ日の高い4時30分に着くことができた。