追想の山々1043  up-date 2001.06.25

神威岳(1601m) 登頂日1994.08.09 曇り 単独
神威山荘(4.30)−−−下二股(5.00)−−−上二股(5.35)−−−尾根取付(6.15)−−−稜線分岐道標(7.40)−−−神威岳(8.05-20)−−−尾根取付(9.25)−−上二股(10.00)−−−下二股(10.30)−−−神威山荘(10.55)===アポイキャンプ場へ
所要時間 6時間25分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
                  1994年北海道の山旅〓その2〓(57歳)

霧の神威岳山頂
昨日のペテガリ山荘ヘの林道にくらべれば、道路状況は格段によかった。27キロの林道終点に神威山荘が建っていた。16時30分着。20台ほどは駐車できそうな広場になっている。悪路ながら林道はまだ先へ延びていた。  

山荘は4年前に新築されたログハウス風の建物でトイレも清潔、ストーブも備えられている。
自転車が1台、山荘の中に日に焼けた男性の姿があった。言葉をかけると松本市から来ている人で、先月から北海道を自転車で移動しながら各地の山を回っているのだという。予定では後1カ月くらい道内にとどまって山行をつづけるという話にはびっくりさせられると同時に、何とも羨ましい話だった。今日神威岳を登頂して来たということで、コースの状況などを教えてもらえた。

夕刻、お爺さんがランドクルーザーで到着した。足が少し不自由そうなこのお爺さんもすごかった。歳は65才、大町市の人で、やはり7月から北海道に来て、道内の日本三百名山を登りつづけ、残りは神威岳とペテガリ岳の2座になったという話に、これもたまげずにはいられない。自動車に生活用具一式を詰め込み、車内に寝泊まりしながら転々と移動 しているのだという。糖尿病、高血圧というハンディも抱え、 両手ストックという姿で、単独難しい山へ挑戦している根性は大変なものだ。昨日カムイエクウチカウシ山を林道終点から日帰りしたということで、この老人からも参考になる情報を得ることができた。
立派な山荘に惚れて、今夜はこの中に松本市の人と一緒に泊まることにした。

神威岳コースは前半沢歩きで、妻同行にはやや不安があったが、 行けるところまで一緒に歩くことにした。
4時起床、4時30分、妻と出発。
山荘前の小沢を渡り、砂利道の林道を3〜4分行くとニシュオマナイ川の岸に出る。そのまま左岸をたどると、川の中に石を並べて対岸に渡渉できるようにしたところがある。石を跳び伝って右岸へ移ると、そこからまた林道につながった。  
林道の途中から川に下って行く道があり、そこで流れの縁に出た。石の頭を跳んだり、岸の岩をへつったりして遡上を開始したが、バランスの不安定な妻は、とてもついて来ることができない。転落でもしたら大ごとである。歩きはじめてまだ間もないが、この先安全な遡行は困難と判断、戻ってもらうことにして、後は一人目標に向かって足を進めた。  

転石の沢を遡上して行く
最初のポイント下二股までは30分だった。ここで資料どおり右の沢(右股)に入る。右股に入ったところは、岩石が重なって滝の様相を呈し、水量が多いときはちょっと緊張しそうな箇所だ。これを過ぎれば比較的広い河原となり、巨大な転石の間を縫ったり、頭を跳んだりしながら、右岸左岸と適当にルートを拾いながら遡上して行く。岸の草むらに踏み跡が見つかったりするが、沢の中を歩いた方が早い(水量が多いときはそうは行かないだろうが)  
白、茶、ネズミ、青など、雨水に洗われた転石は結構多彩で、大変きれいだ。あいにくの曇り空だが、わずかに日が差すと、転石が眩しく、 河原は見違えるほどに明るくなる。

正面に見えるはずの神威岳は、残念ながら雲の中だ。河原特有の懐かしい匂いが、子供のころを思い出させてくれる。

下二股から30分余で上二股へ着いた。二股のY字地点の立木に“奥二股”の表示がある。ここでコースは左の沢へ入り、押し出された土砂の上を越えるようにして進んで行く。流れの幅が広くなったあたりで、 今までは水に濡れずに来たが、ついに靴ごと水に入った。温んだ水が気持ちいい。
谷はだんだん狭まって来た。転石だけが目立つ変化のない河原歩きをつづけて、720メートルの二股まで来た。山荘で松本市の人に教わった通り、ここで右の沢を注意してみると、探すまでもなく赤布がみつかった。うっかりすると右の沢に気付かず 直進してしまいそうなところだ。巨大な転石を越えて5分も進むと、左側の木々に数個の赤テープが確認される。ここが尾根への取りつきだった。
山荘からここまで2時間弱。妻との交信は電波が届かない。  

沢を離れると、いきなりの急登が待ち構えていた。山頂まで1000 メートルに及ぶ高低差を、一本調子の登りである。  
尾根への取りつきさえ見落とさなければ、この後の道ははっきりしている。それにしてもこの急登はすごい。一歩一歩汗を流してひたすら登るのみ。北アルプスの三大急登に比べても、標高差、勾配ともひけをとらないどころか、それを上回る。
高度計1100メートルで小休止、標高720メートルの取付から、 これで400メートル登った勘定だ。残りは500メートル、普通ならワンピッチの標高差である。妻と交信、大町市の老人は私より40分遅く出発したとのことだった。
再び喘登して行くと、岩雪崩の轟音が山々にこだました。今歩いて来た沢が埋まってしまったらどうしよう、余計な心配をしてしまう。
ダケカンバの樹林は、今にもヒグマが飛び出して来そうな雰囲気がある。 ヒグマよけの鈴の響きが頼りだ。
傾斜が一段落するあたりで低潅木林に変わって来た。あたりは霧が漂っている。たっぷりと露を含んだ潅木が、登山道にかぶさって、たちまち衣服が濡れてきた。雨具をまとう。
再び滑りやすい急登に変わって、潅木につかまったりしながら高度を上げて行った。

大きな岩の下を巻くようにして通過すると、稜線は間もなくだった。ここまで道標らしいものはこの稜線のものだけだった。
稜線の道はハイマツを漕いだり、くぐったりの歩きにくい道だが、踏み跡は明瞭で迷うことはない。濃い霧に閉ざされて展望はなく、足元に視線を落として黙々と登って行く。ハイマツ帯を20分ほどで抜けると、稜線を離れて左に草原の斜面へ出て行く。エゾリンドウの紫花が露を含んで風に揺れている。霧のベールを透かして、山頂らしい影が見え隠れしている。斜面を斜高して行くと、山頂まではすぐだった。

神威岳の山頂は草原の中の高みにあった。眺望がきいたら、いったいどんな展望が広がっているのだろうか。何としても残念無念。  
記念写真を撮ったりしていると、いっとき上空に明るさが差して、青空が見えてきた。そして2〜30メートルしかきかなかった視界が広がっ て、山頂周辺の様子だけは確認できた。視界を邪魔する樹木もなく、ハイマツや低潅木が、緑の絨毯のように広がっている。そして北の方角には、雲海からわずかに藍色の山がうかがえた。ペテガリ岳かコイカクシュサツナイ岳と思われるが明らかではない。

もう少し待てば、さらに視界がよくなる期待はあったが、時間も気になって、妻に登項の交信をしてから、山頂を後にした。  

あの老人に会ってもいい筈なにの、まだ出会わない。何か事情ができて途中で引き返したのか、それとも道でも間違えたのか。尾根取付地点の沢へ降り立ったところで、若い男が尾根取りつき点を探していた。取付を教えてやったついでに老人に会わなかったか尋ねると、二人とも最初の二股(下二股)で、右の沢へ入らず、左の沢へ直進してしまったということだった。たしかに道標のまったくないこの山は、資料などでよほどしっかりした下調べをしてこないと、こんなことが起こり得る。  
しばらく下って行くと、両手にストックを持ったあの老人が登ってきた。これからあの急登を登って山頂を往復するのは容易ではない。しかし日暮れまでには大丈夫だろう。  
河原歩きの下山はわけないと思ったが、なかなか長かった。  
上二股を過ぎて、そろそろ下二股が近いと思われるころ、左岸の巻道へ入った。登るとき歩いたという記憶はなかったが、そのまま林間の道を下って行くと河原に出た。そこには“神威岳”のしっかりした道標があった。河原を少し下流へ向かったところが、下二股だった。  

多分雨後などの水量の多いときは、下二股で直接右沢へ入らず、左の沢を遡上して、今下って来た巻道で上流に向かうのだと思われる。 水の中を気持ち良く歩き、無事山荘まで戻った。  
思いのほか時間も早かったので、ここで洗陽をしてから山荘を出発した。
営林署へ下山の電話を入れ、アポイキャンプ場へ向かった。 神威岳は深い霧だったのに、半日のずれで、空はすっかり晴れ渡り、真夏の太陽がぎらぎらと照りつけている。夕方までたっぶり時間のある妻は洗濯に余念がない。  
途中買い込んで来た刺し身など、豪勢な御馳走に満腹して、早めに寝袋に入った