追想の山々1048  up-date 2001.06.26

宮ノ浦岳(1835m) 登頂日1989.12.23-25 曇り 単独
●羽田空港(8.10)→→→鹿児島空港→→→屋久島空港==バス==安房==タクシー屋久杉ランド(14.30)−−−紀元杉−−−登山口(16.20)−−−淀川小屋(17.00)
●淀川小屋(6.15)−−−小花之江河(7.10)−−−投石岩屋(7.50)−−−宮の浦岳(9.10)−−−投石岩屋(10.30)−−−淀川小屋(12.10-13.50)−−−登山口(14.30)==タクシー==安房==バス==宮の浦(17.05)・・・・旅館泊
●宮の浦港(10.20)→→→鹿児島港  磯庭園観光のあと空路羽田へ
所要時間  1日目 2時間30分 2日目 5時間40分 3日目 ****
   モナカ雪の辛い登山だった(52歳)
山頂 

日本百名山も既に81座を登り、いよいよ最終段階にかかっていた。屋久島町観光課に電話で問い合わせると、今年は雪はまだ降っていませんとのこと。年末年始直前で観光の端境期、 飛行機のチケットは簡単に手に入った。

念のためのピッケル、無人小屋一泊の装備など、不本意に重い荷物になってしまった。飛行機は鹿児島空港で乗り継ぎ、飛び立った機が桜島を掠めるようにして屋久島へ向かう。
屋久島空港からそば立つ山々を見あげるが、奥岳と呼ばれる宮ノ浦岳は曇天の下、望むべくもない。廃車同然のオンボロバスで安房へ。遠い南の島も来て見れば、ごく普通の内地の情景とたいして変わりない一漁村であり、一農村に過ぎなかった。
安房でバスを降り、居合わせた人に「タクシーに乗りたいのですが、この近くにありませんでしょう か」 と尋ねると親切に手配してくれた。 「どこまでですか」と聞かれ、 「宮ノ浦岳へ登ります」と言うと「一人で大丈夫ですか。雪もあるようですよ」「本当に大丈夫ですか」と念を押されてしまった。
運転手は林道終点の登山道入口まで乗せて行こうとしているが、それを断って屋久杉ランドで下車。登山口まで行くと料金は倍はかかる。帰りの予約を取ろうと商売気も満々なのが少し嫌味だった。
帰りのタクシーも屋久杉ランドでいいと思ったのに、結局登山道入口ということで予約する事になってしまった。歩くのは楽だがこれでタクシー代は数千円以上余計の出費となってしまうと思うと憂鬱だった。  

一ケ月35日雨が降るという屋久島だが、10月以降雨が少なく、こんなことは珍しいという。久しぶりに昨日雨が降ったというが今日は幸いに晴れ。ただ し、奥岳の山頂は雲で見えない。 屋久杉ランド30分コースというのを一周してから登山口へ向かった。ランドからはコースタイム2時間の林道歩きだ。淀川小屋までは合計2時間30分。時計は午後2時40分。私の足ならまだ明るい4時半頃には小屋に着けるだろう。
林道も樹木もいたるところ厚い苔に覆われ、多雨多湿の島の環境を物語っていた。途中、紀元杉、川上杉などの屋久杉を見学したが、樹勢は衰え巨大な老骸を辛うじて支えているという姿が痛々しい。ピッケルは途中の茂みの中に残していくことにした。

1時間50分かかって登山道入口に着く。しっかり歩いたのにコースタイムとほぼ同じ時間を要した。  
道標に導かれて登山道へ入る。深い樹林を何回か上り下りして、新しい丸太造りの淀川小屋に到着。他に宿泊者はなく貸しきりだった。6時、寝袋に入る。小屋の中はネズミの運動会、食糧を盗まれないように紐で吊り下げる。次第にずうずうしくなったネズミは、寝袋の上まで走りまわるありさまだった。
夜半激しい雨音が屋根をたたく。雨は当たり前と覚悟していたものの、雪にならないように祈る。

積雪の花の河あたり
雨では仕方がない。黒味、安房、翁岳のピークは諦めて宮の浦岳一本に絞ることにする。5時出発の予定を繰り下げて起床は5時半。上部が雪であってもいいようにと、しっかりと身支度を整え、不要荷物を小屋に残して6時15分出発。空は少し白みはじめたがまだ道は暗闇である。すぐに淀川の鉄橋を渡る。道は急な登りとなる。樹林帯の中を懐中電灯の明かりを頼りに足を運ぶ。  
7時前、ようやく足元まで明るさが届いてくるころ、 高盤岳展望台に着いた。
展望台とはいえすべては雲の中。出発時降っていた小雨も、霧雨程度となっていた。晴れなくてもいい、せめてこのまま降らずにいてくれるよう祈る。昨夜の激 しい雨を思えばそれは偽らざる気持ちだった。  
 
次のポイント小花之江河に向かう。登山道は雨で流れないよう土止めされ、よく整備されている。これならルートの心配はないだろう。明るくなって歩きやすくなった登りには、ところどころ雪が見えるようになった。展望台から20分、少し下った所が小花之江河の湿原だった。景勝で知られる小花之江河も深い霧の中にたたずみ、黒味岳等の奥岳の姿は全くなかった。  

更にひとこぶ越すと花之江河で、湿原には木道が敷かれ、池塘が霧に煙っている。ここは石塚小屋への分岐にもなっている。人工的に手入れされたかのような屋久杉、その一部は白骨化したものもある。湿原には雪も残り、これからのコースに少し不安を抱かせる。  
徐々に雪が多くなってきた道を投石岩屋に向かう。木の根が縦横に露出し滑って歩きずらい。投石岳との鞍部には沢状になった流れがあり、ちょっとした湿原のようなところだった。滑滝に似た登りを終って、投石平の台地に立つ。大石の点在する台地は濃霧ですぐ先も見えない。登山道が分からなくなってしまった。行ったり来たりして、結局戻り気味に大きく曲がっている道を見つけた。この辺りで持参の赤布を要所々々に残していくことにする。  

投石岩屋の脇を通るとテントが一張り、中に人影が映っている。 「こんにちは」と声をかけると応答があった。  
岩屋から少し急な登りとなる。風が強くなりいよいよ山の厳しさが身にしみる。さらに積雪は増してきた。南のこの島にかなりの雪が降ったのだ。雪の上には歩いた形跡はまったく残っていない。小屋の記録帳には風雪の激しい中を登頂したメモが記されていた。それには4 0センチとあった。
登山道にはいたるところ澄明な水がひたひたと流れを作っている。道を埋めた雪の下は空洞、用心して足を置いてもしばしば踏み抜いてしまう。太腿まで潜った足を抜くのも大変だし体力も消耗する。踏み抜きを嫌って、両脇の屋久笹の中を歩くと、露で膝から下は水浸し同然、スパッツも防水登山靴も全く役に立たない。この装備で濡れる筈はないと思っていたのに、靴の中はもうぐしょぐしょになってしまった。  

布片を潅木に結び、帰りのルートを頭に入れるために、時おり振り返って確認する。翁岳の分岐へなかなか着かない。去来する霧、雪に覆われた登山 道、行き交う人もない寂しさ。不安が募る。引き返したい衝動にかられる。急登を一歩一歩高度を稼ぎ、ガスの中に微かに大きな岩の塊が見えてきた。時間的にもあれが宮ノ浦岳の頂上では・・・と勇躍辿りついてみれば、そこには山頂を示す標識も何もなかった。(ここが 粟生岳だったようだ)  

雪を踏み抜き、屋久笹の中を右に左に飛び移りながらの登高はさすがに疲れる。また小さい鞍部となったが翁岳分岐にまだ着かない。あるいは道を間違えた可能性もある。さらに不安が募ってくる。もう少し進んで見る。突然あらわれた道標、“左宮ノ浦岳”とある。ルートにまちがいはなかった。そしてその方向には吹き抜けるガスの中、山頂らしい標識が見える。40メートルもないすぐ目の前だ。  
半信半疑で登りつくと紛れもなく宮ノ浦岳と記された標柱だった。中央には三角点が置かれ、ケルンが積まれていた。  
ガスで展望は皆無だったがそれでもかまわなかった。最南の日本百名山に登ることができただけでいい。この夏には最北の利尻山へも登った。

今年これが最後の山行であるが、 北海道、東北、四国、九州と随分歩いた。そして日本百名山の82座目、 宮ノ浦岳に今立つことができたのだ。強風と寒さの頂上はゆっくりと感激に浸っている余裕はない。肌を刺す北風に追われるようにして、記念の写真を撮るとすぐに下山にかかった。
花之江河を過ぎる頃から青空が見えるようになり、小屋に着くと上空は晴れ渡っていた。

予約のタクシーで安房へ下り、バスで宮ノ浦まで行って、小さな旅館に投宿した。翌日船で鹿児島に渡り、磯庭園などを観光してから空路東京へと向った。