追想の山々1059  up-date 2001.07.02

斜里岳(1545m) 登頂日1989.08.12  晴 単独
女満別空港(10.30)==レンタカー==清岳荘(12.40)−−−下二股(13.00)−−−馬の背(13.55)−−−斜里岳(14.10)−−−下二股(15.10)−−−清岳荘(15.30)===岩尾別温泉(17.30)
所要時間 2時間50分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
   1989年・北海道の山旅(その1)=(52歳)
斜里岳山頂
私たち夫婦が結婚して25周年、銀婚式を迎えた。
3年前、1986年1月6日、直腸癌の大手術を受け、もし銀婚式を無事迎えることが出来たら北海道に記念旅行をしようと約束していた。叶わぬ夢で終る確率の方が高かった。

手術から1年半後の夏、妻と長男連れ立って穂高岳登山に出かけるまでになった。そして日本百名山を目指すようになった。
念願の北海道行きは、観光旅行ではなく私の百名山登山を兼ねたものとなった。

女満別空港からレンタカーで小清水原生花園経由、斜里岳登山口の清岳荘へ向った。何よりもヒグマが一番気になるが、数台の自動車が止まって登山者があるようだ。
時間も限られている。斜里岳は私一人のスピード登山にした。計画ではPM.1:00出発であったが、30分早く出発できた。

清岳荘の右手樹林の中のよく踏みこまれた登山道は歩きよい。歩いているうちにひぐまの恐怖はどこかへ行ってしまった。すぐに沢に突き当たり、ここから沢歩きが始まる。  
下二股の手前で私の前に入山したらしい二人に追いついて挨拶をする。  
沢の水量は豊富で澄んだ水がほとばしるように流れ下っていた。その流れを頻繁に右に左に飛び伝い高度を上げていく。飛び石は歩幅にうまく合って、靴を濡らすこともなく歩ける。しかし雨の直後は苦労するかもしれない。  
羽衣の滝、七重の滝等の名前のついたいくつもの滝が連続している。ルートがしっかりついているので迷うことなく滝を越えて行く。ときに足場が悪く、滑り落ちそうな所もあるがそれも楽しい。  
落下する奔流の滝で女性が立ち止まっている。「私でも大丈夫でしょうか」と聞かれるが、答えようがない。「気をつけて行けば大丈夫じゃないですか」と答える。

沢幅が狭くなって滑滝があらわれてくると、ようやく傾斜も緩んで上二股であった。  
低潅木の先の空が広がって、稜線が近いことをうかがわせる。馬の背は近い。南斜里岳が顔を出した。  
沢の源頭を過ぎると潅木帯からハイマツに変わる。高度こそたいしてないが森林限界を越えて、ここはもう高山の景観、さすが北海道の山である。
目指す斜里岳は手前のこぶに邪魔されてまだ見えない。  
ハイマツ・ミヤマハンノキなどの高山潅木の下の溝状の道を抜け出ると、急峻ながれ斜面となる。ずり落ちそうな足元を踏ん張って登りきったところが馬の背であった。斜里岳と南斜里岳の鞍部である。小学性くらいの女の子が踏ん張りが効かずに苦労して半べそをかいていた。

馬の背から見た斜里岳
馬の背ではいっペんに視界がひらけて、遠く近く北海道の山々が目に飛び込んでくる。斜里岳の頂上がはじめて望めた。北海道第一日目の登山が天候に恵まれた事を感謝。馬の背は風が強い。
馬の背からは、手前のこぶ、そして本峰への登りと胸を突くきびしい急登だ。  
がらがらの急坂を喘いでこぶを越す。イワブクロが多い。さらに花の美しい砂礫の急登を攀じて斜里岳の山頂だった。
大気の透明度がやや悪いが、目の下には南斜里から標津岳、北には知床の連山、斜里平野とオホーツク海、目を転じるとあれは大雪の山並みだろうか、特徴ある山稜はトムラウシかもしれない。

下山は同じ道を引き返した。
下りで何パーティーも追い越し、清岳荘着は3時半。すぐに今夜の宿岩尾別温泉へ向かった。広大なジャガイモ畑が白い花で埋まり、行儀よく並んだカラマツ林の向こうに、美しく裾を引いた斜里岳が見えた。
岩尾別温泉のホテルは『地の涯』、まさに地の果てにあるような一軒だけのホテルだった。

南斜里岳(斜里岳より)