追想の山々1064  up-date 2001.07.03

利尻山(1718m) 登頂日1989.08.18 晴 単独
稚内港(7.10)〜〜〜鴛泊港(8.40-9.00)−−−甘露泉(9.50)−−−長官山(11.20)−−−利尻山(12.10-30)−−−長官山(13.10)−−−甘露泉(14.20)−−−鴛泊港(15.15)
所要時間 8時間05分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
   1989年・北海道の山旅(その6)=(52歳)
長官山から利尻山をのぞむ

稚内で一夜を過ごし、翌朝利尻島へ渡った。
鴛泊港に上陸して、かねて打ち合わせどおり妻は島内観光遊覧バスに乗り、私の方は大きな荷物だけコインロッカーに預けて利尻山登山へと別行動となる。
時間節約のため3合目近くのキャンプ場までタクシーに乗ろうとしたが、乗車拒否されてしまった。夏場の稼ぎどきに島内一周等のいい客を拾おうとしているのだ。たちまち利尻島の印象を悪くしてしまった。これでは帰りの予約も無理だと判断、自分の足で歩くことにした。

海抜0メートルの埠頭から1718メートルの山頂まで、これは上高地から奥穂高岳を往復するのと同じだ。
利尻神社鳥居の前を通る。タクシーで不愉快な思いをしたので、「利尻の神社なんかに参拝するかあ」とそのまま通過。
自動車道の終点がキャンプ場、ここで登山道に入る。500メートルほど行ったところに手の切れるような湧き水《甘露泉》がある。日本最北端の100銘水とのこと。早速コップにすくって味わう。このコース唯一の水場であり水筒も一杯に満たす。  

展望のないダケカンバの中を徐々に高度を上げていく。
山頂の神社
いいペ ースで黒木の高木帯を抜けてミヤマハンノキや笹原の明るい尾根道の5合目に出た。天気が良ければ利尻の山頂と鴛泊港、遥かにサハリンも眺望出来るというのに残念である。
更に休まずに頑張ると、だんだんと傾斜を増した尾根道がじぐざぐになってきた頃、数人のパーティーが休憩しているのに出会う。見覚えのある顔だ、と思って立ち止まると向こうから声をかけてきた。
「やっぱりまた会いましたね」 「やあ、トムラウシのときはどうも」
トムラウシの下山の折に会い、そのときその後の行程を話して、もしかすると利尻でまた会うかもしれないね、といって別れたのが本当に再会することになったのだ。気持ちのいい大阪の若者たちだった。  

ごつごつした岩の道をひと登りすると8合目、避難小屋のある長官山に立った。霧で何も見えない。荷物を下ろしてはじめて少休止をとる。するとどうだろう、だれかが『ガスが切れる』という叫びのような声を上げた。ガスに閉ざされてまったく展望が無かったのに、急速にガスが移動してぽっかりと窓のような青空がのぞいた。思いもかけず円錐形の山頂が見えてくるではないか。まぎれもなく利尻山だ。ハイマツに覆われた山肌の濃い緑が目にしみる。そして薄くからまっていた霧もすっかり取り払われ、予期せぬ素晴らしい展望となった。

ローソク岩
やや平坦な道を過ぎるといよいよ本格的な急登が始まる。まだ500メートル余の高低差が残っているが、とてもそうは見えない。一投足という感じだ。
胸を突くような急登は半端ではない。道沿いの高山植物だけが励ましてくれる。
右手が赤茶けた崩落の急傾斜となって落ち込み、左手は草付きの急斜面。足元はざくざくの火山礫で、非常に歩きにくい。色々な花が顔を出すが知らないものばかりだ。  
沓形コースの分岐を過ぎると足場は一層悪く、傾斜は手掛かりがなければ登れない程の厳しさとなる。一歩踏み出した足はそのままずるずるとずり下がってしまう。
風の通り道になっているのか強風が間断なく吹き付けている。この急登を喘ぎ攀じているのに汗をかくどころか、強風で体が冷えていく。疲労でペースが落ちた人を次々と追い越して頂上に立った。最北端の日本百名山、利尻山である。ついに登ったという喜びが湧く。
ローソク岩などの奇観を眺めたりしてひとときを過ごした。

30分の滞頂の後同じ道を引き返す。再び訪れる機会が無いであろう利尻山頂を何度も何度も振り返りながら下った。
キャンプ場から鴛泊港までの車道歩きは長く、疲れた足にきびしかった。
コース案内については別途HP(300名山踏破の軌跡)の「山岳別アドバイスも参考にしてください。