追想の山々1066  up-date 2001.07.06

大無間山=だいむげんやま(2329m) 登頂日1991.11.02〜03 晴 単独
●東京自宅(2.00)−−−田代(6.40)−−中電小屋(9.27-40)−−−小無間山(11.25-45)−−−2109m地点(12.20)−−−大無間山(13.30)

●大無間山(7.05)−−−小無間山(8.30-40)−−−中電小屋(10.00)−−−田代(11.30)
所要時間  1日目 6時間50分 2日目 4時間25分 3日目 ****
   山頂でテント泊、晩秋の山行=(54歳)
大無間山・・・・唐松谷ガレの頭から撮影
夜が明けて快晴の朝、気温は氷点下だろう。防寒衣に身を固めて櫓に昇る。視線の先には南アルプス南部の山々が展開していた。光岳をこれほどしっかりと望見できたのは初めて、上河内岳、茶臼岳、易老岳、双耳のピークは池口岳、その左にかすかに浮かぶは恵那山だ。
聖、赤石、荒川三山の3000メートル峰は貰録だ。聖の左肩に兎岳、その向背はるかに中央アルプスらしい影も浮かぶ。雪を戴いた富士山が一際凛々しく筆え立っ。

山の名前には特異なものも数多い。皇海山(すかいさん)光岳(てかりだけ) 毛猛山(けもうやま)佐武流山(さぶりゅうやま)など一見珍奇な名前も多い。大無間山もその一つだろう。しかしその山容を我が目で直視すればその訳がわかってくる。他を圧して連なる長大な稜線。無間は無限に通じている。その尾根は無限の大きさを誇っていた。紛れもなくこれ は「大無限山」だった。


大無間山頂上でのテント泊山行。テント、シュラフ、荷が重い。山頂は雪こそないものの、もう冬だろう。寒い思いをするのはかなわない。防寒衣も十分ザックに詰め込んだ。このコース水場がないので、二日分の水を持たねばならず、その分余計に荷が重くなっていた。  
田代の登山口から歩きだす。上空には青空、この山行の好天を約束しているようだ。  
送電塔の横を通り、ゆっくりした足どりで尾根末端にとりついたところが、雷の段という1085メートル地点か。1300メートル地点で少休止。10分後に出発。朽ちたトタン作りの造林小屋が倒壊していた。その先にももう−軒。いよいよ登りは急になって来た。胸を突くような落葉の道を一歩、また一歩。汗が滴る。ザックが肩に食い込む。

田代から2時間50分で1796mの中電小無間小屋到着。これで標高差1100メートルを登った勘定だ。 コースの3分の2、やれやれと思ったが、体力的にはこれでまだ半分にもならないことをこれから知ることになる。この中電小屋に泊まって大無間山を往復する人も多いようだ。  
原生林に霧がたちこめて、幻想的な光景を演出。じっとしていると寒い。20分弱の休憩で小屋を後にする。  

小屋から急降下して、いよいよ難所の「鋸歯」にかかった。もう鞍部かと思っても、まだ下ってようやくP3ピークの登りにとりついた。岩を踏み、木を掴んで登って行く。  
P3ピークに立って小さい上り下りの後、再び急下降する。高度100 メートル以上も下っただろうか、P2への登りもきつい。あえぎながらも休まずP2ピークに立った。P2はシラビソに囲まれて展望はない。
「大釟刃」という表示が立木にかかっている。何と読むのか、読めない。
一服してから最後P1の長い急降下を終わると、小無間山を控えたコルだった。  

 
小大無間山々頂 大無間山々頂でテント泊 
コルの北側崩壊地の縁を慎重に過ぎると、今度は300メートル余の小無間山への大きな急登である。登りでは目の前しか見ていないので、その急峻さは意識せずに通過してしまうが、下山時、絶壁のような急登であることを再確認した。
潅木を掴み、岩角に踏ん張り、腕力も休みもないほど総動員して高みを目指して頑張る。何度見上げてもピークらしい感じは見えてこない。ときおり踏み損なった石が落下して行く。後続のないのを確認してあるから安心。中電小屋まではよく踏まれ、整備されていた道も、それ以降鋸歯に入って俄かに不安定な道となった。踏み跡は明瞭で迷うことはないが、不安定な浮き石、道を塞ぐ倒木、歩き良い道ではない。
やっと勾配が緩くなってひょっこりと小平地に出た。そこが小無間山だった。周囲はびっしりとシラビソ等の樹木に囲まれて展望は全くない。やや陰鬱な空間であった。時刻は11時25分。
「小無間山」の金属製標識が地面に落ちていた。中電小屋から2時間のコースを1時間45分で登って来た。時間の余裕はまだたっぶりある。昼食の大休止にする。体力的に無理だったらここで泊まり、翌日大無間山往復もと考えていたが、そんな心配はない。多少疲れてはいるが、かなり早い時間に大無間山へ到着できそうだ。  

霧の流れる原生林は森として音もない。帰りに道を間違えないよう、小無間山からの降り口に枯れ木で印をつける。
このあとは大きなアップダウンはない。体の冷え切らないうちにと出発する。単独行は時間が全く自由でいい。休みたいときに休み、歩きたくなったら出発。  

しばらく原生林の平坦を行き、登りとなったあとゆるやかに下って行く。 このあたり広い尾根がつづき、ときおり踏み跡も不明となるが、赤布を目印にして道を外さないよう慎重に行動する。霧の深いときなど、原生林の広い尾根のこのあたりは要注意である。帰途心配な箇所では前後左右を見まわして記憶に止めるように心掛ける。
厚く積った落ち葉に、踏み跡も隠れてコースが見えない。 
苔蒸した倒木が横たわり、手垢のつかぬシラベの原生林に、薄い霧がまといつき、幽玄な雰囲気を醸し出していた。シラベの幹のあちこちに赤テープが巻いてある。ふと見ると一本のシ ラベの幹に小さな標識をみつけた。見ると 「左小無間山 右大無間山」とある。指し示す大無間山の方向は、直角というよりむしろ南東へUターンするような感じになっていた。大無間山へはまっすぐそのまま西方に進んで行くような気がするが、私の頭の中とは全然違っている。地図を見ると 2109メートル地点で真西へ進んでいたコースが、西南に方向を変えている。  
標識を見なければ、そのまま真西へ向かってしまうところだ。ここは注意しなくてはいけない。獣道も縦横にあって、間違える可能性が大きい。  

さていよいよ残り200メートルの登りだけとなった。 
大無間山山頂からの光岳方面
本当にこの道でいいのだろうかという、いくらかの不安を残しながら、 ときおり薄く消えかかった踏み跡を確かめながら進んだ。木の間を右に折れ、また左折しながら縫うようにして行く。ザックが木と木の間に挟まって抜けない。ザックの頭が潅木の技につかえる。道形が不明なにると、立ち止まって見透かすと、一筋の踏み跡らしいものが見えて来る。  
鹿のぬた場らしい所から、狭い尾根の感じになって傾斜が増 して来た。獣道と交差して、帰りに間違えそうな箇所では、枯れ技を立てたり、獣道を枯れ枝で塞いだりして行く。  

狭稜に出ると遭難碑があり、5月はじめ、小無間山へ向かう途中吹雪きにあい、避難のために三隅池小屋へ引き返そうとしたが、力尽きて凍死 したと書かれていた。  
本格的な登りとなって間もなく、人声が聞こえて来た。原生林の先が明るくなって大無間山頂上に到着した。先着のパーティーは早稲田大学の学生5名だった。挨拶を交わす。やはりここで幕営とのこと。  

山頂は周囲をシラベの若木に囲まれて展望はきかないが、梯子で丸太組みの観測用櫓に昇ると展望台代わりになる。明日の好天を期待して展望はお預け。
櫓の真下にある一等三角点を確認する。大無間山は一等三角点の百名山、日本二百名山、日本三百名山という名峰である。
東西に細長い山頂の東側隅にテントを設営した。アップダウンを考慮すれば、今日の登り合計は、重荷を担いで2000メートルにはなるだろう。高校生パーテイーが到着し、幕営は合計10人となった。

寒さでシュラフの中で愚図々々している間に、外は明るくなって行っ た。6時過ぎ、やっとテントをはい出して、まずは櫓に登ってみた。圧巻とも言うべき展望が視野一杯に飛び込んで来た。20万図を広げて山座同定を楽しんだ。

富士見と上げからの大無間山と小無間山
テントを撤収して下山の準備をととのえたが、まだ去りがたく、もう一度櫓に昇って展望を楽しんだ後山頂を辞した。  
下山lは快調だった。苦しかった登りが嘘のように順調に足が出た。原生林の隙間から、南アルプスの山々を垣間見ながら鋸歯の凹凸を越えて行く。 決して楽な下りではない。頻繁に登り降りを繰り返す長い長い下りは、きびしかった登りを改めて認識させた。

コース案内については別途HP(300名山踏破の軌跡)の「山岳別アドバイスも参考にしてください。