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佐武流山(2192m) 白砂山(2140m) 地蔵山(1802m) 堂岩山(2051m) ワルサ峰(1870m)

2009.09.21 秋山郷からの新設ルートを登る
1992.07.25〜26 白砂山・佐武流山  密藪に敗退
1994.04.29〜30 白砂山・佐武流山  残雪期に登る

ワルサ峰・佐武流山 登頂日2009.09.21 晴・・・・・M氏同行   秋山郷から新設されたコースを歩く

登山口駐車場(4.50)−−−林道分岐(5.40)−−−桧俣川への下降点(6.02-6.10)−−−渡渉(6.20)−−−物思平(7.10-7.15)−−−ワルサ峰(8.05-8.15)−−−坊主平(9.05)−−−苗場山分岐(8.50)−−−佐武流山(9.45-10.15)−−−苗場山分岐(10.55)−−−ワルサ峰(11.30-11.45)−−−坊主平(9.05)−−−物思平(12.25)−−−渡渉(13.00-13.10)−−−桧俣川への下降点(13.25)−−−駐車場(14.30)
佐武流山山頂
残雪期にしか山頂に立つことのできなかった佐武流山も、何年か前に新しく登山道が拓かれて、今ではだれでも安心して登頂できるようになった。
この拓かれたルートを一度歩いて見たいと思っていたところ、信州百名山の追い込みにかかっている知人M氏と登るチャンスがやってきた。

思えば残雪期に山なれた人だけに許された山頂も、それほど苦労することなく日帰りできる山となり、今回も多くの登山者が登っていた。

奥志賀林道から秋山郷切明温泉へ、さらに勾配のきつい舗装道を少し上がって、和山温泉方面への道を見送り405号線へと向かうと右手に佐武流山登山口がある。林道入口が登山口だが、ゲートが閉じられていて一般車は進入できない。駐車スペースは100メートルほど先の左側にある。

4時50分、林道ゲートをすり抜けて出発。寒い。懐中電灯で足元を照らしながら15分も歩くと、空が白み始めてきた。林道1キロごとに標識があり、3キロ表示の先で林道が二分する。道標にしたがって直進。分岐からまた1キロごとの表示が始まり、2キロ表示の先で檜俣川への下降点となる。1時間15分の林道歩きはかなり長く感じる。ここからいよいよ登山道の始まりだ。

一気に檜俣川まで急降下するのかと思ったら、ゆったりとした勾配で下流側の河床へと下っていく。100メートル余の高さを10分ほどかけて下り檜俣川の流れに突きあたる。最近雨が降っていないこともあり水量は少ない。張り渡してあるロープにつかまり、石伝いに靴を浸すことなく渡渉する。

苗場山を望む
山腹に取りついて間もなく、荒々しい岩肌が朝日に浮かび上がるのが見える。林道からも見上げられた月夜立岩だ。じぐざぐを切ったりしながら、かなりの急登をひたすら登っていく。最初のポイント“物思平”までは高低差300数十メートル、このあたりは新しく切り拓かれたものではなく、昔からあった道のようによく踏まれていて歩きやすい。よく茂った落葉樹林は、あと何日かするとみごとな紅葉に変わるのだろう。

檜俣川渡渉から50分余で物思平となる。小広いスペースで最初の休憩ポイントとなる。ワルサ峰へ60分の表示。2、3分の立ち休みで出発する。
物思平からは尾根上にルートがつけられている。木の根、岩などの急登がつづき、足を休ませる楽なところはほとんどない。足場の間隔も一歩一歩異なり、大きな段差を何回も繰り返す。体力を消耗する登りが長々とつづく。ブナの目立つ樹林はいかにも人の手垢のつかない天然林の風情が残されていて気持ちいい。

ロープのフィックスされた岩場を3回ほど登ったり降りたりして、高度を稼いでいく。背後には岩菅山方面の景観が競りあがってきた。上空は真っ青な空、山頂からの展望に期待が膨らむ。

岩菅山を望む
樹林を抜け出て東方の展望が一気に開けるとワルサ峰、目に飛び込んできたのは苗場山。そして西には岩菅山や鳥甲山、妙高山など。低潅木類はすでに紅葉が始まっている。立ち枯れた木々が点在し、これも風景を引き立てる役割を果たしている。先方に見えるのは赤樋山から佐武流山へとつづく稜線だろう。しかし目指す佐武流山はまだ目にすることはできない。10分ほどの休憩をとりながらしばらく展望を楽しんだ。
ワルサ峰の標識には苗場山分岐まで35分と表示されている。目指す山頂までは、その先まだまだ長い。

ワルサ峰からは小さな突起を一つ越え、さらに大きく下ってまた登り返すことになる。左手に深く切れこんだ谷を見おろし、左右の展望を楽しみながら歩けるこのあたりは実に気分がいい。
表示にあったとおり35分で苗場山との分岐に着く。ここには『西赤沢源頭』、『水場10分』の表示がある。長野・群馬の県境でもある。ここから県境稜線を山頂へと最後の登りが待っている。これがかなり長く感じる。

分岐では休憩を取らずに先へ進む。
落葉樹や低潅木類は紅葉の色合いも増して、すでに秋の風情が濃い。草紅葉を感じさせる茶褐色の苗場山も目の高さとなったきた。
コメツガ、ダケカンバなどの樹林へ入ったり、再び開けた東方の展望に目を奪われたりしながら、最後の登りを踏ん張る。勾配はそれほど強くないのが幸い、疲れた脚もスムーズに前に出る。

勾配がなくなってほっとしたところが佐武流山の山頂。二等三角点とともに背丈ほどもある立派な標柱が立っている。かつて秘峰といわれていた山頂にしては、三角点がやや傷んでいるのが気になった。

ワルサ峰付近
山頂は小さな切り開きで、展望も東方だけに限られるのが残念。ここに立って思い起こされるのは残雪期に白砂山から登頂した日のこと、15年も昔のことだが鮮明に甦る。今はシラビソと笹に囲まれているが、そのときは笹や潅木類はすべて雪の下、シラビソの半身が雪上に姿を見せているだけで、360度の大パノラマが興奮を掻き立ててくれた。
灌木の小枝1本見えなかった雪の山頂を思い起こすと、今立っている山頂はあっけないほど地味な佇まいで、戸惑いさえ感じる。

同行のM氏はこれが信州百名山88座目の山だった。東方に開けた山々の山座同定などでしばらくのときを過ごす。苗場、越後三山?、巻機山、谷川連峰の山、奥白根山、皇海山など、はるか彼方には飯豊連峰と思われる山影も。
30分ほどで山頂をあとに下山にかかる。

展望に優れるワルサ峰付近で休憩方々、もう一度山岳展望を楽しんでから、檜俣川への長い下りを、ひたすら下っていった。

行程は長かったが、快晴に恵まれて満足の登山だった。


白砂山・佐武流山 登頂日1994.04.29〜30 晴 単独

●自宅(1.50)===野反湖(5.55)−−−地蔵石仏(6.53)−−−堂岩山(9.30)−−−2042mピーク(9.55-10.05)−−−白砂山(10.55)−−−1927mコル(12.05)・・・幕営

●幕営地(4.55)−−−沖の西沢の頭(5.25)−−−赤樋山(6.00)−−−佐武流山(6.55-7.05)−−−10分休憩−−−赤樋山(7.56)−−−西沢の頭(8.35)−−−幕営地(8.55-9.35)−−−白砂山(10.45-11.10)−−−休憩10分−−−2042mピーク(12.05-12.15)−−−地蔵石仏(14.10)−−−野反湖(14.45)
所要時間  1日目 6時間10分 2日目 9時間50分(含)休憩 3日目 ****
   再挑戦、残雪山行快哉の佐武流山=(57歳)
左方が佐武流山山頂

前年の夏、暑さの中を猛烈な薮こぎと脱水に精力を使い果たし、山頂を確認することなく無念の退却をしてから1年近くが過ぎた。、
再びあの困苦にチャレンジする気概は失せていた。だが300名山を登りおおすには何としても登らなければならない山、そしてあくまで人の手は借りずに単独でやり遂げなくてはならない。
この奥深い峰は、どんな脚力をもってしても、山中一泊が避けれらな いというのが、前回実績から得た教訓であった。
単独で幕営、山中には一滴の水もないという厳しい条件を克服するのが、最大の難題であった。

あれ以来、単独でどう攻めるか、その構想ばかり考えてきた。  

飲料水をどう確保するか。
1.白砂山まで2回に分けてポリタンクで水20リットル程度運び上げて、1日目白砂山々頂付近に幕営、そこから佐武流山を往復して同じ場所に二目目幕営という、山中2泊のプラン。  
2.残雪期に山中1泊で狙う。しかし未経験の残雪期単独幕営は不安が大きすぎる。

残雪期登頂を選択するならゴールデンウイーク。
思案を重ねた結果選んだのは残雪期のチャレンジだった。
日本三百名山を狙う登山者の前に、大きく立ちはだかる難しい山の最右翼に上げられるほどの佐武流山である。どっちにしてもそう簡単に登頂を許してくれそうにないことだけは確かだ。私にとっては残雪期の佐武流山は、大きな冒険であった。雪上テント泊を体験するために、厳冬期の2月、越前岳で雪上幕営をしてみたりした。  


暁光に染まる雪稜。アイゼンがよくきく
そして決行、荷物は最小必要限に絞って整えたが、それでも20キロほどになった。  
GWしょっぱなの29日、怖れと不安の交錯するなか、満を持す思いで出発した。  

野反湖畔からスタート。
ザックの中にはアイゼンの外、緊急時用の携帯無線機も入れた。防寒衣類も十分。肩にずっしりと重い。白砂山の道標から登山道へ踏み入ると、そこはもう残雪の上だった。先行者があればと期待したが足跡は見えない。白砂山までのコースについては、よもやの心配はして来なかったが、この雪でうまくルートを拾って行けるだろうか。雪で途切れがちな道も、しばらくは問題なかったが、一面の雪に道も林床も区別がつかなくなって来た。
樹林の中をいったんハンノキ沢まで下ると、対面の山腹に取りつく道があるはずだ。夏道とは様子が違っていて、昨夏の記憶は役に立たない。雪の斜面を少しづつ下って沢へ降りたところが、運よく対岸へ徒渉する粗末な丸木橋だった。
 

雪上にかすかな足跡を見つけた。相当日数がたっていて、よほど注意しないとすぐ見失ってしまう。万一にそなえて、用意した赤布を要所につけることにした。
薄い足跡を丹念に追って切明との分岐、地蔵峠を通過、道は相変わらず残雪の下だ。足跡の主はこのコースに精通 しているらしく、ときおりあらわれる夏道にうまいこと繋げて歩いていたが、私一人ではとてもそうはいかない。とうに前進を諦めていただろう。  

快晴、陽差しが燦々ときらめいている。  
ところでどこを幕営地にするかはずいぶん考えた。というのは、体力的には初日かなり奥まで進むことは可能だが、それだけ重荷を背負って歩く距離が長くなり、体力の消耗を来す上、2日目荒天に変じた場合の退却が難しくなり、リスクを大きくするというハンディを負うことになる。あながち目的の山頂に近づいておけばいいというものではなかった。  

潅木や樹林の中を右に左にコースを振りながら、少しづつ高度を上げて行く。突然樹林を飛び出すと、平坦な眩しい雪の原だった。陽差しで足跡が解けて消えていた。ルートが確認できない。地図とコンパスで方向を確かめて、不安を抱きながら進んで行くと夏道を見つけ、またわずかな足跡を拾えるようになった。
岩堂山手前の水場に到着。しかしまた足跡が消えてしまった。コースを確認できる目印も何ひとつ見つからない。
不安なまま、最後に潅木の薮をかき分けると、シラビソの点在する円頂に出た。そこはすでにハイマツやシャクナゲの植生する岩堂山のピークだった。分厚い雪に覆われている。初めて展望が開けて、白砂山手前2042メートルピークヘの尾根が長々と伸びている。見とおしもきいて、白砂山まではもうルートの心配をしなくてもいい。
ツェルトテントで一泊
それにしても白砂山に至るまでにルートで苦労するとは誤算だった。コースを修正したり、戻ったりで随分無駄な体力を使ってしまった。
白砂山まで、尾根上は露出した夏道や、痩せた岩や、細った雪堤を迷いようもなく安心して進んだ。  
小さい起伏を二つばかり越えて、急な登りを喘ぐと2042メー トルピーク。ここで始めて白砂山の三角錐が視界に入ってきた。そして待望の佐武流山も、プルッシャンブルーの空にその山頂を競り上げていた。予想したとおり全山雪に覆われている。佐武流山の山容は平凡だった。周囲の山から遠望するとき、特徴のない山容のため、それが佐武流山だと指呼するのが難しい。

明日はあの頂に立つという決意を胸に、次のピーク白砂山へ向かった。100メートル下って200メートル登り返す最後の急登はきつい。雪の急傾斜は用心のためアイゼンを装着した。
どれが三角点峰か判然としないまま、一番奥にあるピー クまで来てから、すでに通り過ぎてしまったことを知った。そのときはもう佐武流山へのコースとなる稜線分岐直前だった。
佐武流山への稜線はすべて雪に覆われていて、そこには足跡一つない。すべて自力で踏破していかなくてはならない。

稜線分岐に立ってしげしげとコースを眺めた。だだっ広い稜線は雪原となって、思わず歓声を上げたいような景観を展開していた。前回遮二無二突入して行った、あの笹の密生したジャングルはどこにも見当たらない。方向さえ定かでなかった稜線も、今は一目瞭然であった。進路を遮るあの悪魔のような密生した笹や潅木類はすべて雪の下だった。
右端が佐武流山  赤樋山付近より
スキーで一気に滑降したいような斜面を下って行った先は、平坦な幅広の稜線だった。あの薮がなければこんなに快適で、おおらか極まりない尾根だったのだ。 苦行した密薮がこの雪の下にあるのが信じられない。
北から西北西へゆるやかに弧を描いた稜線が、再び真北へ向かって急傾斜で落ち込む下降点まで来ると、佐武流山がさらに近づいてきた。頑張れば今日のうちに往復できそうにさえ見えた。  
標高差で150メートル急下降したところが、白砂山〜佐武流山をつないでいる稜線の最低鞍部1920メートル、ここが今日予定の幕営地である。  
あとわずかでコルという地点で、大きな足跡が稜線を横断している。素人目にも明らかに熊の足跡だった。爪跡まではっきりと残っている。たった今通って行った可能性もある。思わず周囲を見回した。
足跡は一頭だけで子連れではない。テント設営地点と数十メートルの距離しかなかったが、いまさら予定変更もできない。

熊に一抹の不安はあったが、まさか襲ってくることもなかろう。そのときはそのときと腹を決め、西側のシラビソやダケカンバが風よけになりそうな場所を選んで、簡易テントを張った。積雪3メートルはあるだろうか、薮の小枝1本雪の上には出ていなかった。テントからは佐武流山を居ながらにして望むことができる場所だった。

一人の登山者も上がってこない。今夜はこの山深い山中で 一人過ごすことになりそうだ。 雲が広がり風も強くなって来て、雪が舞いはじめた。ときどき突風性の強風にテントがはためく。思わず体を固くする。念のためロープで張り綱を補強した。
テントの内側に付着した水蒸気が凍りついていく。霰がテントをたたく。なかなか寝付かれない。ありったけ着込んだがそれでも寒い。いつかうとうとして目を覚ますと2時、強風に雲が早い。雲の切れ間から月が出たり隠れたりしている。シュラフを頭までかぶって明るくなるのを待った。  

湯を沸かしたりして出発の準備にかかる。4時になると夜明けの気配が漂いはじめる。頭上には薄墨を流 したような雲の動きが急である。佐武流山も見えたり隠れたりしている。4時半過ぎるとテントの中がすっかり明るくなった。  
外へ出て見てびっくりした。何と先程まで手の届きそうな所を、黒雲が流れていたのに、嘘のような風はやみ紺碧の空が広がっていた。何という僥倖、これで登頂はまちがいなし。
荷物をできるだけ軽くして、4時55分勇躍出発した。  
夜の冷え込みで凍った雪にアイゼンの爪が気持ち良く効く。まずは目の前の急斜面を登る。急斜面とはいうものの、無雪期この稜線上唯一薮から解放された草つきコースである。慎重に登りきると、後は比較的なだらかな勾配を沖の西沢の頭を目指す。
東側は急峻に切れ込んだ谷、西側はシラビソ樹林という痩せた尾根に変わった。
谷側に張りついた雪堤や、稜線の岩場、あるいは急崖の危険を避けて樹林の薮をこいだりしながら前進していった。  

広々とした雪原に出た。夏に挑戦したときは方向感さえ失う猛烈な笹薮と戦ったところだ。折しも小さく波打つような起伏の雪原に朝陽が眩しくあたって来た。あまりの美しさに思わず感嘆の声を上げ、その風景をカメラに収めた。  
アイゼンが雪を噛む小気味いい音を供にして、気分よく広い雪尾根を登ったところが最初のポイント沖の西沢の頭である。所要時間はほば予定どおり30分。目の前には次のポイント赤樋山、そして稜線は大きく弧を措いて屈曲し、その先には手前に二つのこぶを控えた主峰佐武流山が、澄明な冷気に朝陽を浴びて眩しく聳えているのが見える。 『早くあの頂へ』気が急いて休む間もなく前進。  

赤樋山手前は大半が潅木の薮こぎであった。しかしどことなくコース らしい様子が感じられて、笹の密薮に比べればはるかに楽である。カモシカの足跡も本能的に人間と同様、歩きいいところを選んでいた。痩せ尾根の東側は、岩肌を暁光に赤く染めぬき、剥き出しの急崖が一気に谷底まで落ち込んでいた。  
赤樋山には6時きっかりに到着。これも予定どおりだった。シラビソの幹、目の高さに「赤樋山」というプレートとがある。無雪期だと相当な高さだろう。この前はまったく気がつかなかった。  

ここでコースをほぼ直角に左へ変える。いよいよ佐武流山へ向かってまっすぐ進んでいくわけだ。シラビソの中を縫うようにして鞍部へ下っていく。ここも広い斜面で見通しがないと苦労するだろう。そのためかテープなどの目印が多い。  
下降の途中から見る佐武流山の姿は、平凡ながらなかなか見栄えがする。無雪期だと、薮の中でとてもこの姿を目にすることはできないだろう。
鞍部まで降りると、いよいよ佐武流山まで標高差200メートル、最後の登りにかかる。べったり雪のついた斜面を適当に登って行けばよさそうだ。ところどころ申し訳程度にシラビソやダケカンバが見えるのみだった。正面から朝陽を受けて早くも雪は緩みはじめ、アイゼンの雪団子をピッケルで頻繁にたたき落とす。ジクザグを切りながら一歩一歩憧れの山項に近づいて行くのを実感しながら登って行く。  

山頂手前にある二つの突起のうち、最初のコブに登り着く。ありがたいことにこの先も稜線はすべて雪に覆われている。一気に広がった展望に興奮が高まる。ここから山頂までは獣の足跡さえない処女雪原そのものであった。最高の舞台を行く役者の気分だった。  
穏やかな下りから再び登りとなる。これを登ったところが頂上だ、そう思ってアイゼンの前爪を雪の斜面に蹴りこみ、ピッケルを使って慎重に登って行く。『着いた』と周囲を見たが、広い雪原には何の標識も見当たらない。ここが一番高そうだが、尾根はまだ先へ伸びている。  
さらに進むと、尾根はまだ緩やかに登っていた。もうこれ以上の快適さはないという爽やかな尾根だった。眩しい無垢の雪面、息をきらすような傾斜ではないし、展望もほしいまま、幾度となく夢に見て来た頂を目前にして、現しがたい幸せ感が押し寄せていた。
 

佐武流山山頂での記念写真
恋する人を早く自分のものにしたいと思いつつ、もう少し無垢な美しい姿でいさせて上げたいという気持ちに似て、このまま頂上を踏んでしまうのが惜しい気もする。山頂へ立った瞬間の感動が既に予感される。惜しむように一歩また一歩と足を運んで、ついに山頂に立った。なだらかな山頂にはシラビソがまばらに見えるのみ。本当にここが山頂だろうか。標識が見つからない。シラビソを一本一本あたって探すと、その中の一本の幹に登頂記念のプレーとなどが3〜4個打ちつけられていた。三角点はこの雪の下深くにあるのだろう。  
時計は7時を指すところだった。  

ついにやった、日本三百名山の中でも、登頂困難の最右翼とされ、怖れ、不安を抱きつつ、誰の力も借りずに今単独でその山頂に立ち得た喜びが、沸々としてこみあげてきた。  
氷の浮く水筒の水が喜びの祝杯だった。なによりも美味い乾杯だった。  
早速記念写真を撮ってから、ゆっくりと眺望を味わった。残雪期でなければ叶うことができない眺めだった。  
目の前に苗場山、鳥甲山。西には志賀の山々や白根山、頚城三山、高妻山、黒姫山。北アルプス連峰も確認できる。巻機山や越後三山方面・・・・
下山の長いコースを思えば、枚挙にいとまのない眺望にいつまでも酔 いしれていることはできない。それに
佐武流山山頂の私製標識
午後、天気が下り坂に向かう前に白砂山までは戻っておきたい。
心を残し、10分間の滞頂で、後ろ髪を引かれながら山頂を後にした。二度と訪れることのない頂を何度も振り返った。こんな達成感はいつ以来だろうか。  
赤樋山ピークへの途中で、腰を下ろしもう一度しみじみと佐武流山を眺めた。登頂を厳しく拒み寄りつきがたかった威厳の山が、今は掌中にした玉のように、身近でいとおしい自分の山のような温かさで聳えていた。  

登って来る登山者に何人も出会う。
幕営地への帰着は予定より30分早い8時55分であった。無事の帰着にほっとして、アイゼンを外した。
再びずっしりと重いザックを背負い、目の前の標高差150メートルの急登を登った。登頂の余韻はいまだ消えず、この急登も苦にならなかった。
白砂山からの下山路では、さらに登ってくる登山者の数が多かった。ほとんどのパーティーが第一日目白砂山付近に幕営、二日目に佐武流山往復、三日目下山という日程だった。

登りでは、岩堂山までのルート探しに苦労したが、下山は大勢の登山者の足跡がしっかりとルートを作ってくれていた。

すべて自分一人の力でなし得た自信と誇りが、この山を一層忘れ得ぬものにしてくれることだろう。

【参考】
◎薮こぎ愛好者以外は残雪期がいい(展望も楽しめる)
◎残雪期、白砂山までのルートをしっかり調べておくこと
◎出発は連休の2日目がいい(先行者のトレールをあてにできる)
◎白砂山〜赤樋山は稜線東寄りを歩けばコースを外す心配は少ない
◎3日行程として、幕営はあまり奥まで行かない方がべター



コース案内については別途HP(300名山踏破の軌跡)の「山岳別アドバイス」も参考にしてください。

白砂山佐武流山 登頂日1992.07.25-26 晴・・・・単独   敗退の記録

東京自宅(1.30)−−−野反湖(5.00)−−−堂岩山(7.05-15)−−−白砂山(8.05−−−笹の密藪漕ぎ−−−白砂山(17.30)−−−水場(19.00-0.45)−−−野反湖(2.00)
所要時間  1日目 14時間 2日目 1時間45分 3日目 ****
     ≪敗退の記録≫  密藪にはばまれ疲労困憊 (55歳)

白砂山から佐武流山をのぞむ
日本三百名山の中で、登山道がなくて登頂困難な山とされる佐武流山は、三百名山踏破の一つの関門と考えていたが、なかなか登る機会がない。
日の長い時期で、二日間の快晴が保証されることが私の条件だった。

早朝の野反湖畔は、酷暑の東京からは想像できないような冷気に包まれていた。うかつにも登山靴を忘れて来た。夏場はもっぱらジョギングシューズを用いていたが、今日の薮山は登山靴でないと無理かもしれない。草臥れて、底が少し剥がれかかったジョギングシューズで歩くしかない。  

テント、水3リットル、ジュース1リットル。重いザックを担いで野反湖から白砂山への登山道に取り付いた。白砂山までは高低差600メ ートル、たいしたことはないと思ったが、上り下りがあって結構歩きでがある。
途中水場の表示のある小さな平地があり、ここは快適な幕営が適いそうだ。(まさか帰りにここで幕営することになるとは夢にも思わなかった)  
約3時間かけて白砂山に登り着いた。日本三百名山のひとつで、眺望の優れたことでも知られる。三等三角点の山頂からは、岩菅山、横手、根子岳、四阿山から浅間山など東北信の山々。妙高、鳥甲山、苗場山等信越の山。谷川連峰から武尊山、赤城山等群馬の山々。孤峰の頂から望むような展望が広がっていた。  

ジュースの入った水筒の口がゆるんでいて、ザックの中は水びたし、中身を全部出してしばらく乾かしながら、目の前の佐武流山を観察する。黒木に覆われた尾根が上下しながら延びていた。  

この先、白砂山からは登山道はない。笹の踏み分けを東へ3〜4分行ったところが上信越国境で、佐武流山へはここから国境稜線を北へ直角に折れる。帰途の目印に赤布をつける。  
いきなり密生した笹薮に突っ込む。ときどきは日本三百名山を目指す登山者が歩いている筈だが、踏み跡らしいものは認められない。強引に笹を分ける。ときには持参の鎌で笹を刈る。赤布も頻繁に残していく。背を越す笹に埋もれて視界もきかない。笹の海の底を泳いでいるようだ。
やや平坦になった後、再び酷い薮を掻き分ける。沖の西沢の頭らしいピークが見える。その一つ手前の小ピークヘの草着き斜面に、コースらしい踏み分けが認められる。  

いつの間にかやや左にそれていたコースを、その小ピークの踏み分け方向へ変える。突然前方の笹が大きく揺れて、薮を漕ぐ大きな音にはっとする。前方4〜50メートル、黒い背中を見せて横切る動物は・・・熊だ。思わず総毛立っ。荒い息遣いまでも聞こえる。姿は見えないがこちらの様子をうかがっている気配がする。あわてて持っている鎌で近くの岩をたたいて、こちらの存在を強調する。しばらくして気配は消えた。北海道山行の時の鈴をつける。熊の横切ったあたりを通過しなければならないのは気味悪かったが、勇気を出して通り過ぎた。  

笹薮で視界がきかないのが不安だ。コンパスの練習をしてきたが、こんなひどい薮では正確なコースをとるのは不可能。  
帰りの目印にコメツガの樹皮を削り取って目印に残し前進する。ジョギングシューズの紐が何回結び直しても、足元の薮にからんで解けてしまう。  
高低差で200メートル余を下って、ようやく最低鞍部に立った。それにしても帰りが思いやられる薮だった。  
小ピークまでの登りは、唯一ほっとする草つきの登りだが、それもつかの間、その先東面のガレを右手に見ながら、相変わらずの薮漕ぎがつづく。  

笹薮に腰高くらいのトンネル状の空間がある。いわゆる獣道である。ときには獣道を選びながら、両手で左右に薮を分けながら進む。汗をかいているのかどうかも分からないが、いつもの山歩きと違って疲労感が著しい。足と手を総動員しての体力消耗は激しい。稜線のどこかで幕営するためには、むやみに水を消費してしまうわけにはいかない。持参のパンも食べる気がしない。  

ときおり背の低くなった笹の中に立って、稜線上の自分の位置を確認してみる。沖の西沢の頭はとっくに過ぎている。  
獣道に深入りしてしまった。どんどん下って行くと突然進みようのない密生した薮に突き当たってしまった。もとの位置まで戻る。再び方向を変えて薮を掻き分ける。ここまで来る間、幕営可能な小平地もほとんど無かった。ここから先にも果たして幕営地が探し出せるかどうかわからない。赤布もとてもつけ切れるものではなく、思い出したようにときどきつけるだけになった。

曲がりなりにも登山コースとして、それらしい形が残っていたのはいつ頃までのことだろうか。コメツガの幹には時折赤や白のプラスチック板が打ち付けられているのに出会うが、勿論踏み跡などは残っていない。古びた赤布もあったりする。近年佐武流山を目ざしている登山者が、いかに苦労をしているかがよくわかる。
年間に訪れる登山者は何人くらいを数えるのだろうか。日本三百名山の中でも5本の指に入る難しい山だ ろう。  

やや平坦になった薮の中、直進方向に高度を落として行っているのがわかる。そっちへ下ってはいけないようだ。周囲を見回すと佐武流山らしいピークは左方直角に折れた先、すぐ近くに見えた。きちんとしたルートのある道ならば、30分もあれば行き着けそうだった。  
獣の気配、また熊!と驚いて目をやると今度はカモシカだった。数十メートル先の樹木の陰からじっとこっちを見ている。カモシカとわかって安心する。  
幕営可能地はみつからない。喉の渇きに我慢できずに水の消費も進み、残された水の量からしても稜線上での幕営は難しい。
帰りの時間を計算しながら前進。もう自分の位置も判然としない。どこに佐武流山があるのか見当がつかなくなった。
帰途を考えると、もはや体力的には限界であった。ポリタンクの水も残り少なくなって行く。多分通常の登山者の倍近い速度で、ここまでがむしゃらに頑張って来ているはずだった。山頂にかなり近づいていることは間違いないような気がする。

無念だが引き返すことにする。踵を返してからの帰途は、気が遠くなるほど遠かった。  
あれだけつけて来た赤布もほとんど探し出せない。ルートファインデイングをしながらの厳しい歩きが続く。しかし何故か往路にくらべ、昔のルートの面影が残る所をうまく拾える。  
白砂山への最後の200メートルの高度を前にしたコル手前、小ピー ク近くにたき火跡の残る空き地を見付ける。なんとかテントー張りは出来そうだ。朝から10時間を越える重労働に、もう一歩も歩きたくない。ここで幕営をと考えるが、水がほとんど残っていない。渇きに耐えて一夜を過ごすのも辛い。
時間的にはなんとか白砂山までは帰れる。  
見とおしのきく草つきの急斜面途中で、一休みしながら最後高低差200メートルの登りの難路をじっくり観察する。200メートルの登り斜面は薮が濃く、深く、いったん突入すると方角が分からなくなってしまうのは今朝経験ずみである。念のためコンパスで方角を確かめる。
薮に入ると今朝歩いたコースにもかかわらず、どこを歩いたのか全くわからないのだ。忠実に稜線をたどっている積もりなにの、いつか斜面を斜上している。頼りにしていた赤布も全然見つからない。手前に向けて倒れた笹薮を下から分けて登るのは、想像以上にきつい重労働で、この私でも2〜30歩も歩くと、もう息が切れ呼吸を整えないと次の一歩が出ない。  

歩いても歩いても登り着かない。ただがむしゃらに夢中ではい上がりつづけた。
私の赤布が見つかった。赤布が目に着いたのは、これで4つ目か5つ目だった。鎌での刈り払いも、樹皮の削り跡も全く見付けられなかった。  
もう一つ赤布を見つけた。コースは間違っていなかった、ほっとする。その赤布から急に道が平坦になり、丈の低い踏み跡の認められる笹になった。赤布から右に直角に曲がったのにも気づかずに歩いて行くと、標識のある山頂、白砂山だ。助かった。あの赤布が一番最初につけたやつだった。直角に折れる目印につけたものだった。疲れ果てていた目には、そのことすら気がつかずにぼんやりと目にして歩いていのだ。
『助かった』というのが実感だった。  

苦労して歩いた佐武流山への稜線を、しみじみと眺めた。今朝より眺望はずっと鮮明だった。危険地域を抜け出た安堵間に、ペたんと座り込んで夕暮れの展望に目をやりながら、しばらく放心したように時間を過ごした。  
もう一歩も歩きたくなかった。でも水がない。思い切り水が飲みたい。暗くなるまでにはまだ1時間はある。そうだあの水場まで下ろう。あそこならテントも張れる。1時間半前後で行けるだろう。そう思い直して白砂山を後にした。  

水場までは堂岩山を越えなければならない。ふだんならば駆け下ってしまうのに、今は足が動かない。ゆっくりゆっくり下り、堂岩山へのわずかの登りは休み休みの長い登りだった。  
まだかまだか、途方もなく長く感じる道程を終わって、夕闇が迫るころ水場に着いた。2分ほど下った沢に降りて冷たい水をコップに掬って、心行くまで飲んだ。どんな飲み物もこの甘露には及ぶまい。  
疲れ過ぎと、脱水状態で食欲は全くない。パン1個を水でやっと喉に流し込む。のろのろした動作でテントを張り体を横たえると、もう身動 きするのもいやだった。  

深夜12時前、寒さで目が覚める。上空は星空が素晴らしかった。  
寒さで寝つかれない。標高1800メートル、荷物を軽くするためシュラフを省略、セーター1枚でも一晩くらい過ごせると思ったが、それは少し甘かった。稜線幕営だったら渇きと寒さでもっと辛い思いをしたことだろう。無理してもここまで下ったのはよかった。  
どうせ寝られないのならこのまま野反湖の自動車まで下りてしまおう。懐中電灯の明かりでテントを撤収し、野反湖へ向かった。懐中電灯がなければ一歩も歩けない深夜に、とぼとぼと歩く登山者に、知らぬ人が見たら幽霊と間違うかもしれない。遠くに湖畔の灯火が見える。ときおり獣が動く気配がする。  
2時、湖畔に降り立つ。自動車に入ってシュラフにくるまると、安心感に深い眠りに落ちて、目が覚めた時にはすでに日は高く昇っていた。
数多い私の登山歴の中でも、最もハードな山行の一つであった。