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佐武流山(2192m) 白砂山(2140m) 地蔵山(1802m) 堂岩山(2051m) ワルサ峰(1870m)
2009.09.21 | 秋山郷からの新設ルートを登る |
1992.07.25〜26 | 白砂山・佐武流山 密藪に敗退 |
1994.04.29〜30 | 白砂山・佐武流山 残雪期に登る |
ワルサ峰・佐武流山 登頂日2009.09.21 晴・・・・・M氏同行 秋山郷から新設されたコースを歩く 登山口駐車場(4.50)−−−林道分岐(5.40)−−−桧俣川への下降点(6.02-6.10)−−−渡渉(6.20)−−−物思平(7.10-7.15)−−−ワルサ峰(8.05-8.15)−−−坊主平(9.05)−−−苗場山分岐(8.50)−−−佐武流山(9.45-10.15)−−−苗場山分岐(10.55)−−−ワルサ峰(11.30-11.45)−−−坊主平(9.05)−−−物思平(12.25)−−−渡渉(13.00-13.10)−−−桧俣川への下降点(13.25)−−−駐車場(14.30) |
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この拓かれたルートを一度歩いて見たいと思っていたところ、信州百名山の追い込みにかかっている知人M氏と登るチャンスがやってきた。 思えば残雪期に山なれた人だけに許された山頂も、それほど苦労することなく日帰りできる山となり、今回も多くの登山者が登っていた。 奥志賀林道から秋山郷切明温泉へ、さらに勾配のきつい舗装道を少し上がって、和山温泉方面への道を見送り405号線へと向かうと右手に佐武流山登山口がある。林道入口が登山口だが、ゲートが閉じられていて一般車は進入できない。駐車スペースは100メートルほど先の左側にある。 4時50分、林道ゲートをすり抜けて出発。寒い。懐中電灯で足元を照らしながら15分も歩くと、空が白み始めてきた。林道1キロごとに標識があり、3キロ表示の先で林道が二分する。道標にしたがって直進。分岐からまた1キロごとの表示が始まり、2キロ表示の先で檜俣川への下降点となる。1時間15分の林道歩きはかなり長く感じる。ここからいよいよ登山道の始まりだ。 一気に檜俣川まで急降下するのかと思ったら、ゆったりとした勾配で下流側の河床へと下っていく。100メートル余の高さを10分ほどかけて下り檜俣川の流れに突きあたる。最近雨が降っていないこともあり水量は少ない。張り渡してあるロープにつかまり、石伝いに靴を浸すことなく渡渉する。
檜俣川渡渉から50分余で物思平となる。小広いスペースで最初の休憩ポイントとなる。ワルサ峰へ60分の表示。2、3分の立ち休みで出発する。 物思平からは尾根上にルートがつけられている。木の根、岩などの急登がつづき、足を休ませる楽なところはほとんどない。足場の間隔も一歩一歩異なり、大きな段差を何回も繰り返す。体力を消耗する登りが長々とつづく。ブナの目立つ樹林はいかにも人の手垢のつかない天然林の風情が残されていて気持ちいい。 ロープのフィックスされた岩場を3回ほど登ったり降りたりして、高度を稼いでいく。背後には岩菅山方面の景観が競りあがってきた。上空は真っ青な空、山頂からの展望に期待が膨らむ。
ワルサ峰の標識には苗場山分岐まで35分と表示されている。目指す山頂までは、その先まだまだ長い。 ワルサ峰からは小さな突起を一つ越え、さらに大きく下ってまた登り返すことになる。左手に深く切れこんだ谷を見おろし、左右の展望を楽しみながら歩けるこのあたりは実に気分がいい。 表示にあったとおり35分で苗場山との分岐に着く。ここには『西赤沢源頭』、『水場10分』の表示がある。長野・群馬の県境でもある。ここから県境稜線を山頂へと最後の登りが待っている。これがかなり長く感じる。 分岐では休憩を取らずに先へ進む。 落葉樹や低潅木類は紅葉の色合いも増して、すでに秋の風情が濃い。草紅葉を感じさせる茶褐色の苗場山も目の高さとなったきた。 コメツガ、ダケカンバなどの樹林へ入ったり、再び開けた東方の展望に目を奪われたりしながら、最後の登りを踏ん張る。勾配はそれほど強くないのが幸い、疲れた脚もスムーズに前に出る。 勾配がなくなってほっとしたところが佐武流山の山頂。二等三角点とともに背丈ほどもある立派な標柱が立っている。かつて秘峰といわれていた山頂にしては、三角点がやや傷んでいるのが気になった。
灌木の小枝1本見えなかった雪の山頂を思い起こすと、今立っている山頂はあっけないほど地味な佇まいで、戸惑いさえ感じる。 同行のM氏はこれが信州百名山88座目の山だった。東方に開けた山々の山座同定などでしばらくのときを過ごす。苗場、越後三山?、巻機山、谷川連峰の山、奥白根山、皇海山など、はるか彼方には飯豊連峰と思われる山影も。 30分ほどで山頂をあとに下山にかかる。 展望に優れるワルサ峰付近で休憩方々、もう一度山岳展望を楽しんでから、檜俣川への長い下りを、ひたすら下っていった。 行程は長かったが、快晴に恵まれて満足の登山だった。 |
白砂山・佐武流山 登頂日1994.04.29〜30 晴 単独 ●自宅(1.50)===野反湖(5.55)−−−地蔵石仏(6.53)−−−堂岩山(9.30)−−−2042mピーク(9.55-10.05)−−−白砂山(10.55)−−−1927mコル(12.05)・・・幕営 ●幕営地(4.55)−−−沖の西沢の頭(5.25)−−−赤樋山(6.00)−−−佐武流山(6.55-7.05)−−−10分休憩−−−赤樋山(7.56)−−−西沢の頭(8.35)−−−幕営地(8.55-9.35)−−−白砂山(10.45-11.10)−−−休憩10分−−−2042mピーク(12.05-12.15)−−−地蔵石仏(14.10)−−−野反湖(14.45) |
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所要時間 | 1日目 6時間10分 | 2日目 9時間50分(含)休憩 | 3日目 **** | ||||||||||||
再挑戦、残雪山行快哉の佐武流山=(57歳)
前年の夏、暑さの中を猛烈な薮こぎと脱水に精力を使い果たし、山頂を確認することなく無念の退却をしてから1年近くが過ぎた。、 再びあの困苦にチャレンジする気概は失せていた。だが300名山を登りおおすには何としても登らなければならない山、そしてあくまで人の手は借りずに単独でやり遂げなくてはならない。 この奥深い峰は、どんな脚力をもってしても、山中一泊が避けれらな いというのが、前回実績から得た教訓であった。 単独で幕営、山中には一滴の水もないという厳しい条件を克服するのが、最大の難題であった。 あれ以来、単独でどう攻めるか、その構想ばかり考えてきた。 飲料水をどう確保するか。 1.白砂山まで2回に分けてポリタンクで水20リットル程度運び上げて、1日目白砂山々頂付近に幕営、そこから佐武流山を往復して同じ場所に二目目幕営という、山中2泊のプラン。 2.残雪期に山中1泊で狙う。しかし未経験の残雪期単独幕営は不安が大きすぎる。 残雪期登頂を選択するならゴールデンウイーク。 思案を重ねた結果選んだのは残雪期のチャレンジだった。 日本三百名山を狙う登山者の前に、大きく立ちはだかる難しい山の最右翼に上げられるほどの佐武流山である。どっちにしてもそう簡単に登頂を許してくれそうにないことだけは確かだ。私にとっては残雪期の佐武流山は、大きな冒険であった。雪上テント泊を体験するために、厳冬期の2月、越前岳で雪上幕営をしてみたりした。
GWしょっぱなの29日、怖れと不安の交錯するなか、満を持す思いで出発した。 野反湖畔からスタート。 ザックの中にはアイゼンの外、緊急時用の携帯無線機も入れた。防寒衣類も十分。肩にずっしりと重い。白砂山の道標から登山道へ踏み入ると、そこはもう残雪の上だった。先行者があればと期待したが足跡は見えない。白砂山までのコースについては、よもやの心配はして来なかったが、この雪でうまくルートを拾って行けるだろうか。雪で途切れがちな道も、しばらくは問題なかったが、一面の雪に道も林床も区別がつかなくなって来た。 樹林の中をいったんハンノキ沢まで下ると、対面の山腹に取りつく道があるはずだ。夏道とは様子が違っていて、昨夏の記憶は役に立たない。雪の斜面を少しづつ下って沢へ降りたところが、運よく対岸へ徒渉する粗末な丸木橋だった。 雪上にかすかな足跡を見つけた。相当日数がたっていて、よほど注意しないとすぐ見失ってしまう。万一にそなえて、用意した赤布を要所につけることにした。 薄い足跡を丹念に追って切明との分岐、地蔵峠を通過、道は相変わらず残雪の下だ。足跡の主はこのコースに精通 しているらしく、ときおりあらわれる夏道にうまいこと繋げて歩いていたが、私一人ではとてもそうはいかない。とうに前進を諦めていただろう。 快晴、陽差しが燦々ときらめいている。 ところでどこを幕営地にするかはずいぶん考えた。というのは、体力的には初日かなり奥まで進むことは可能だが、それだけ重荷を背負って歩く距離が長くなり、体力の消耗を来す上、2日目荒天に変じた場合の退却が難しくなり、リスクを大きくするというハンディを負うことになる。あながち目的の山頂に近づいておけばいいというものではなかった。 潅木や樹林の中を右に左にコースを振りながら、少しづつ高度を上げて行く。突然樹林を飛び出すと、平坦な眩しい雪の原だった。陽差しで足跡が解けて消えていた。ルートが確認できない。地図とコンパスで方向を確かめて、不安を抱きながら進んで行くと夏道を見つけ、またわずかな足跡を拾えるようになった。 岩堂山手前の水場に到着。しかしまた足跡が消えてしまった。コースを確認できる目印も何ひとつ見つからない。 不安なまま、最後に潅木の薮をかき分けると、シラビソの点在する円頂に出た。そこはすでにハイマツやシャクナゲの植生する岩堂山のピークだった。分厚い雪に覆われている。初めて展望が開けて、白砂山手前2042メートルピークヘの尾根が長々と伸びている。見とおしもきいて、白砂山まではもうルートの心配をしなくてもいい。
白砂山まで、尾根上は露出した夏道や、痩せた岩や、細った雪堤を迷いようもなく安心して進んだ。 小さい起伏を二つばかり越えて、急な登りを喘ぐと2042メー トルピーク。ここで始めて白砂山の三角錐が視界に入ってきた。そして待望の佐武流山も、プルッシャンブルーの空にその山頂を競り上げていた。予想したとおり全山雪に覆われている。佐武流山の山容は平凡だった。周囲の山から遠望するとき、特徴のない山容のため、それが佐武流山だと指呼するのが難しい。 明日はあの頂に立つという決意を胸に、次のピーク白砂山へ向かった。100メートル下って200メートル登り返す最後の急登はきつい。雪の急傾斜は用心のためアイゼンを装着した。 どれが三角点峰か判然としないまま、一番奥にあるピー クまで来てから、すでに通り過ぎてしまったことを知った。そのときはもう佐武流山へのコースとなる稜線分岐直前だった。 佐武流山への稜線はすべて雪に覆われていて、そこには足跡一つない。すべて自力で踏破していかなくてはならない。 稜線分岐に立ってしげしげとコースを眺めた。だだっ広い稜線は雪原となって、思わず歓声を上げたいような景観を展開していた。前回遮二無二突入して行った、あの笹の密生したジャングルはどこにも見当たらない。方向さえ定かでなかった稜線も、今は一目瞭然であった。進路を遮るあの悪魔のような密生した笹や潅木類はすべて雪の下だった。
北から西北西へゆるやかに弧を描いた稜線が、再び真北へ向かって急傾斜で落ち込む下降点まで来ると、佐武流山がさらに近づいてきた。頑張れば今日のうちに往復できそうにさえ見えた。 標高差で150メートル急下降したところが、白砂山〜佐武流山をつないでいる稜線の最低鞍部1920メートル、ここが今日予定の幕営地である。 あとわずかでコルという地点で、大きな足跡が稜線を横断している。素人目にも明らかに熊の足跡だった。爪跡まではっきりと残っている。たった今通って行った可能性もある。思わず周囲を見回した。 足跡は一頭だけで子連れではない。テント設営地点と数十メートルの距離しかなかったが、いまさら予定変更もできない。 熊に一抹の不安はあったが、まさか襲ってくることもなかろう。そのときはそのときと腹を決め、西側のシラビソやダケカンバが風よけになりそうな場所を選んで、簡易テントを張った。積雪3メートルはあるだろうか、薮の小枝1本雪の上には出ていなかった。テントからは佐武流山を居ながらにして望むことができる場所だった。 一人の登山者も上がってこない。今夜はこの山深い山中で 一人過ごすことになりそうだ。 雲が広がり風も強くなって来て、雪が舞いはじめた。ときどき突風性の強風にテントがはためく。思わず体を固くする。念のためロープで張り綱を補強した。 テントの内側に付着した水蒸気が凍りついていく。霰がテントをたたく。なかなか寝付かれない。ありったけ着込んだがそれでも寒い。いつかうとうとして目を覚ますと2時、強風に雲が早い。雲の切れ間から月が出たり隠れたりしている。シュラフを頭までかぶって明るくなるのを待った。 湯を沸かしたりして出発の準備にかかる。4時になると夜明けの気配が漂いはじめる。頭上には薄墨を流 したような雲の動きが急である。佐武流山も見えたり隠れたりしている。4時半過ぎるとテントの中がすっかり明るくなった。 外へ出て見てびっくりした。何と先程まで手の届きそうな所を、黒雲が流れていたのに、嘘のような風はやみ紺碧の空が広がっていた。何という僥倖、これで登頂はまちがいなし。 荷物をできるだけ軽くして、4時55分勇躍出発した。 夜の冷え込みで凍った雪にアイゼンの爪が気持ち良く効く。まずは目の前の急斜面を登る。急斜面とはいうものの、無雪期この稜線上唯一薮から解放された草つきコースである。慎重に登りきると、後は比較的なだらかな勾配を沖の西沢の頭を目指す。 東側は急峻に切れ込んだ谷、西側はシラビソ樹林という痩せた尾根に変わった。 谷側に張りついた雪堤や、稜線の岩場、あるいは急崖の危険を避けて樹林の薮をこいだりしながら前進していった。 広々とした雪原に出た。夏に挑戦したときは方向感さえ失う猛烈な笹薮と戦ったところだ。折しも小さく波打つような起伏の雪原に朝陽が眩しくあたって来た。あまりの美しさに思わず感嘆の声を上げ、その風景をカメラに収めた。 アイゼンが雪を噛む小気味いい音を供にして、気分よく広い雪尾根を登ったところが最初のポイント沖の西沢の頭である。所要時間はほば予定どおり30分。目の前には次のポイント赤樋山、そして稜線は大きく弧を措いて屈曲し、その先には手前に二つのこぶを控えた主峰佐武流山が、澄明な冷気に朝陽を浴びて眩しく聳えているのが見える。 『早くあの頂へ』気が急いて休む間もなく前進。 赤樋山手前は大半が潅木の薮こぎであった。しかしどことなくコース らしい様子が感じられて、笹の密薮に比べればはるかに楽である。カモシカの足跡も本能的に人間と同様、歩きいいところを選んでいた。痩せ尾根の東側は、岩肌を暁光に赤く染めぬき、剥き出しの急崖が一気に谷底まで落ち込んでいた。 赤樋山には6時きっかりに到着。これも予定どおりだった。シラビソの幹、目の高さに「赤樋山」というプレートとがある。無雪期だと相当な高さだろう。この前はまったく気がつかなかった。 ここでコースをほぼ直角に左へ変える。いよいよ佐武流山へ向かってまっすぐ進んでいくわけだ。シラビソの中を縫うようにして鞍部へ下っていく。ここも広い斜面で見通しがないと苦労するだろう。そのためかテープなどの目印が多い。 下降の途中から見る佐武流山の姿は、平凡ながらなかなか見栄えがする。無雪期だと、薮の中でとてもこの姿を目にすることはできないだろう。 鞍部まで降りると、いよいよ佐武流山まで標高差200メートル、最後の登りにかかる。べったり雪のついた斜面を適当に登って行けばよさそうだ。ところどころ申し訳程度にシラビソやダケカンバが見えるのみだった。正面から朝陽を受けて早くも雪は緩みはじめ、アイゼンの雪団子をピッケルで頻繁にたたき落とす。ジクザグを切りながら一歩一歩憧れの山項に近づいて行くのを実感しながら登って行く。 山頂手前にある二つの突起のうち、最初のコブに登り着く。ありがたいことにこの先も稜線はすべて雪に覆われている。一気に広がった展望に興奮が高まる。ここから山頂までは獣の足跡さえない処女雪原そのものであった。最高の舞台を行く役者の気分だった。 穏やかな下りから再び登りとなる。これを登ったところが頂上だ、そう思ってアイゼンの前爪を雪の斜面に蹴りこみ、ピッケルを使って慎重に登って行く。『着いた』と周囲を見たが、広い雪原には何の標識も見当たらない。ここが一番高そうだが、尾根はまだ先へ伸びている。 さらに進むと、尾根はまだ緩やかに登っていた。もうこれ以上の快適さはないという爽やかな尾根だった。眩しい無垢の雪面、息をきらすような傾斜ではないし、展望もほしいまま、幾度となく夢に見て来た頂を目前にして、現しがたい幸せ感が押し寄せていた。
時計は7時を指すところだった。 ついにやった、日本三百名山の中でも、登頂困難の最右翼とされ、怖れ、不安を抱きつつ、誰の力も借りずに今単独でその山頂に立ち得た喜びが、沸々としてこみあげてきた。 氷の浮く水筒の水が喜びの祝杯だった。なによりも美味い乾杯だった。 早速記念写真を撮ってから、ゆっくりと眺望を味わった。残雪期でなければ叶うことができない眺めだった。 目の前に苗場山、鳥甲山。西には志賀の山々や白根山、頚城三山、高妻山、黒姫山。北アルプス連峰も確認できる。巻機山や越後三山方面・・・・ 下山の長いコースを思えば、枚挙にいとまのない眺望にいつまでも酔 いしれていることはできない。それに
心を残し、10分間の滞頂で、後ろ髪を引かれながら山頂を後にした。二度と訪れることのない頂を何度も振り返った。こんな達成感はいつ以来だろうか。 赤樋山ピークへの途中で、腰を下ろしもう一度しみじみと佐武流山を眺めた。登頂を厳しく拒み寄りつきがたかった威厳の山が、今は掌中にした玉のように、身近でいとおしい自分の山のような温かさで聳えていた。 登って来る登山者に何人も出会う。 幕営地への帰着は予定より30分早い8時55分であった。無事の帰着にほっとして、アイゼンを外した。 再びずっしりと重いザックを背負い、目の前の標高差150メートルの急登を登った。登頂の余韻はいまだ消えず、この急登も苦にならなかった。 白砂山からの下山路では、さらに登ってくる登山者の数が多かった。ほとんどのパーティーが第一日目白砂山付近に幕営、二日目に佐武流山往復、三日目下山という日程だった。 登りでは、岩堂山までのルート探しに苦労したが、下山は大勢の登山者の足跡がしっかりとルートを作ってくれていた。 すべて自分一人の力でなし得た自信と誇りが、この山を一層忘れ得ぬものにしてくれることだろう。 【参考】 ◎薮こぎ愛好者以外は残雪期がいい(展望も楽しめる) ◎残雪期、白砂山までのルートをしっかり調べておくこと ◎出発は連休の2日目がいい(先行者のトレールをあてにできる) ◎白砂山〜赤樋山は稜線東寄りを歩けばコースを外す心配は少ない ◎3日行程として、幕営はあまり奥まで行かない方がべター コース案内については別途HP(300名山踏破の軌跡)の「山岳別アドバイス」も参考にしてください。 |
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