追想の山々1070  up-date 2001.07.08

奥穂〜ジャンダルム〜西穂 登頂日1994.08.19-20 晴 単独
涸沢岳(3110m)奥穂(3190m) ジャンダルム(3163m) 間ノ岳(2907m) 西穂(2909m)   
●東京自宅(0.15)===沢渡(4.00-5.00)===上高地(5.35)−−−横尾(7.35)−−−本谷橋(8.25)−−−涸沢(9.25-35)−−−穂高岳山荘(10.50)−−−涸沢岳往復
●穂高岳山荘(4.15)−−−奥穂高岳(5.00)−−−ジャンダルム(5.50)−−−天狗のコル(6.40)−−−天狗ノ頭−−−西穂高岳(8.00-8.10)−−−西穂高山荘(9.10)−−−上高地(10.30)===東京へ
  

1日目 5時間25分 2日目 6時間15分  
   緊張の岩稜縦走=(57歳)
奥穂山頂よりのぞむジャンダルム(1989年8月撮影)
北海道山行から帰り、余った夏休みの残りを、ジャンダルム登山にあてた。他の登山者とくらべて私のザックの何と貧弱なことか。足元を見ればジョギングシューズ。上高地から横尾までは朝の散歩道だ。人の気配の薄い北海道の山から帰ってすぐだから、行き交う登山者の多さがひときわ目を引く。

横尾から梓川を渡り、屏風岩を仰ぎながら坦々とした登山道を行く。遅足の登山者を次々追い越し、休憩ポイントの本谷橋もノンストップで通過。涸沢で小休止を取っただけで一気に穂高岳山荘まで登り着いた。上高地からの所要時間は5時間15分。
空模様が怪しくなってきたと思ったら、雨が降りだした。さいわい3時過ぎには上がった。カメラだけぶら下げて涸沢岳まで登ってみた。笠ケ岳、黒部五郎岳が藍色のシルエットで望め、また大キレットの一部や北穂、大喰岳、目の前には奥穂と前穂が去来する霧の間から、険しい山容を見せてくれた。そして明日踏破するジャンダルムはとりつくしまのないような威圧と険しさで聳えている。  

夜明け前の4時15分、ライトを持って小屋を出た。霧雨がライトに浮かぶ。濡れた岩場が心配になる。危険を感じたら岳沢新道を上高地へ下山のつもりで出発した。  
最初のとりつきから険しい岩稜の登りではじまる。ライトで照らしながらペンキ印を慎重に追って、鎖や梯子を攀じて行く。途中でペンキ印の確認ができず、ルートを外したが、早く気がついてすぐに修正できた。

穂高岳山荘を見下ろすが、まだ人の動く気配はない。奥穂山頂へ着いても、まだ夜は明け切らず人影もなく、黒々としたジャンダルムが目の前にあった。昨日、小屋の従業員が、『奥穂から西穂までは10 時間は見ないといけません』と話しているのを耳にした。コースの手入れも十分でないから、鎖が抜けていたり、ペンキ印が消えたりして危険な箇所も多いから慣れた人と一緒に行くのがいいとも言っていた。  

靴はジョギングシューズ。後は西穂
雨の方はたいしたことはなく、次第に雲が消えて曙光が満ちはじめていた。夜明けの山の大気は、まったく信じられないくらいに透き通っている。この爽やかさは高い山の上以外では絶対に味わえないものだ。

計画通りジャンダルムへ向かう。穂高連峰には何回も足を運びながら、その険しさに二の足を踏んで、奥穂高岳〜西穂高岳のこのコースだけが長く残されてしまった。いつかは踏破したいと念じ来たが、齢を重ねて体力やバランス感覚の衰えない今のうちにと思い、ようやくその気になった。  

奥穂ピークから下降して行くと先ず最初が馬の背である。両側が険しく切れ落ち、その下は千尋の谷底、さすがに足のすくむようなスリルを味わいながら、一歩々々三点確保、あわてるな・・・そう自分に言い聞かせて慎重に前へ進む。縦走後の感想は、このコース中、馬の背が一番怖く、難所であった。途中引き返したい誘惑に襲われたが、ここまで歩いて来た厳しい岩稜を思えば、戻るのもまた一層不安が大きい。乗りかかった船、とにかく前進あるのみ。 

一歩 一歩、一瞬一瞬に全神経を集中して岩稜を攀じり、下り、へつって行く。 足下には誘いこむように切れ落ちた、奈落の絶壁がロを開けて待っている。もしコースを外して、進むも戻るもできなくなったらピンチ、手足の筋肉は緊張が張り詰めているが、動きは案外しなやかだった。足元を確認し、取るべきコースを見定めながら目標をめざす。  

夜はすっかり明けて、きれいな青空が広がっていた。厳しい中にも、背後の奥穂高岳や前穂の姿を振り返る余裕はあった。忠実にペンキの○印を追って行く。
昨日小屋備え付けの書籍の中から、このコースに関する資料を読み返し、必要な所はメモに抜き取り、頭に入れて来たのだが、現実に歩いているコースとその資料の記述とがうまく合致しない。ガイドブックの限界を感じる。  
ペンキ印は概ねはっきりしていて、迷うことはなかったが、ガイドブックと重ならない部分でやや不安になる場面は何回かあった。  
一人、険しい岩稜を縦走している自分の存在に、ある種の誇りのよう なものを感じる。振り返ると奥穂高山荘から奥穂の頂上をめざす登山者の姿が小さく見えてはじめた。  

馬の背を無事通過し、ロバの耳を過ぎ、ジャンダルムへの岩塊を踏み越えて行く。ジャンダルムピークへは、ロバの耳側から登ろうとしたが、ロッククライミングのできない私には無理だ。ピークへ登ることができないのではないかとがっかりしながら、ピーク下を天狗岳側へ巻いて行く。すると簡単に登れるルートがあった。
念願しながらも私には無理だと思い、なかば諦めていたジャンダルム3163メートルの山頂に、今立つことができた。5時50分だった。残っていたわが国最後の3000メートル峰踏破でもあった。  
あたかも朝の陽光が山々を染めはじめ、秋を思わせるようなひと刷けの雲があった。奥穂高岳の登山者へ向かってヤッホーを送る。  
冷んやりとした山の大気、槍ヶ岳、奥穂、前穂のシルエット、笠、野口五郎、富士山、南ア、霞沢岳、焼岳、西穂、乗鞍、御嶽、はるかに奥美濃の山々。みずみずしい展望に緊張を解いて、ひとときの休息を取った。  

ジャンダルムを後にて先へ進む。すぐ先には広い岩の広場があって、ここの展望も素晴らしい。ここでも大パノラマを写真に収める。  景観に見とれながらも、慎重に三点確保を守り、馬の背以降は不安を呼び起こすような場面もなく、また危険にさらされるような失敗もなく、ジャンダルムから40分で天狗のコルヘ着いた。
ここまでくればひと安心、ここからは岳沢ヘエスケープすることだってできる。

さてここからルートの後半である。鎖で垂壁を攀じ、ハイマツの道を登るとすぐに天狗岳の頂上だった。ここでの展望も目を見張る。青空の中に槍の鋭峰がきりっと展望を引き締めている。
ジャンダルムはすでに遠のき、代わりに西穂がぐんと近くなって来た。  
長い鎖を頼りに、スラブを下降、間天のコルに降り立つと、 再び険しい岩塊の登りが待っている。これを登れば間の岳山頂、振り返るといつしか奥穂や槍には雲がからみはじめていた。  

間の岳からの下降は、岩くずのがらがらした沢状の下りで、足場が悪く落石の危険が大きい。慎重に足を運んで下って行くと、今日はじめての登山者に出会った。西穂高山荘から朝3時に出て来た、3人パーティーだった。  

このあと次々と出現する岩頭をいくつ越えたことだろう。岩頭を一つ越えるごとに西穂高岳が近づいて来る。二人連れ、4人パーティー、単独者、ジャンダルムヘ向かう登山者と擦れ違う。ガイドに引率された私くらいの年配の5人は、足元が頼りなくて見ていても不安を感じる。無事馬の背を越えて行くといいが。

岩稜縦走最後のピーク西穂高岳には、数人の登山者が弁当を広げていた。来し方を振り返ると、すでに湧きたつ夏雲に四囲の山々は大方姿を消していた。  
これでスリルに満ちた岩稜の縦走は終った。あとは独標を越え、西穂山荘へいくつもの小ピークを上り下りして行くのみ。  
独標からの道は普通のハイキングコースとなり、ロープウエイで上ってきたらしいハイカーや観光姿の人達、老人、子供、大変な人の数であった。  

西穂山荘から上高地への下山道をとった。何組ものパーティーを追い抜いて、一気にかけ下った。  

『東北の山がいい』とか、『北海道の山が好き』とか、おりおりにその魅力にとらわれ、これこそわが情感を震わせるほどの山だと思ったりするが、再び北アルプスや南アルプスの3000メートルの稜線を訪ねると、やはりこれが日本を代表する山岳という思いを深くす る。  
下山後3〜4日してから、同じコースを縦走中の女性が転落死したと ニュースが報じていた。 
 
     
 天狗岳スラブと奥穂高岳  ジャンダルム付近  ジャンダルム(涸沢岳から)
     
 西穂高岳 岩峰の尖端を超えて行く  ジャクダルムピークにて記念写真