追想の山々1072  up-date 2001.07.10

男鹿岳(1777m) 登頂日1992.06.06 晴 単独
東京自宅(3.30)===西那須野IC===林道ゲート(6.30)−−−川見曽根(7.40)−−−見晴台(8.30)−−−笹の沢(9.40)−−−男鹿峠(10.45)−−−男鹿岳(11.50)−−−男鹿峠−−−笹の沢(12.50)−−−見晴台(13.35)−−−川見曽根(14.10)−−−ゲート(14.45)===自宅へ
所要時間 8時間15分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
   往復40キロの林道をジョギング登山=(55歳)
男鹿岳山頂は笹藪の中だった

日本300名山の中で、一般登山道が拓かれていない山の一つと聞いていた。藪漕ぎもあるらしい。やや慎重を期して出かけた。

福島・栃木の県境に連なる男鹿山塊には、大佐飛山(1908m)日留賀岳(1849m完)鹿又岳(1817m)等男鹿岳より高い峰があるのに、あえて日本三百名山に選定されたのは、あるいはルートもなく人の手垢に汚されずにきた原始性が買われたのだろうか。

1週間前、日留賀岳から男鹿岳を目指したが、日留賀岳から先の藪に阻まれて退散させられた。その男鹿岳への再挑戦である。今度は塩那道路を使って男鹿峠から山頂往復にすれば難しくないだろうと推測する。

いざ出掛けてみると塩那道路板室側をわずか3キロ進んだところで施錠されたゲートにより行き止まりだった。ここから峠まで20キロから25キロ、とてもこれを歩いて往復することなど思い及ばない。妻も一緒に出掛けて来たのにこのまま引き返すのも口惜しい。
ゲートが開かないものかとガチャガチャやってみたが、鉄製のゲートはびくともしない。ゲート200メートル手前の広場に戻って考えた。天気もいいし、新緑を楽しみながら林道を歩くのもいい。どうせ自動車が通ることはないだろうし、適当な時間散歩気分で歩くのも楽しいかもしれない。  
男鹿岳へ登る予定は放棄して、ゲートから林道をぶらぶら歩きを始めた。  

昨日まで激しく降った雨上がりの林道は、しっとりと水気を含み、木々の若緑は一層鮮やかである。舗装こそされていないが、通行止めにする必要もないくらいよく手入れされた道で、勾配もゆったりとしている。林道は急勾配を避け、山の襞をほば等高線に沿って大きな円曲を描いて行くので、直線距離の何倍もの距離を歩くことになる。  
要所々々に、林道始点の板室から終点の塩原までの総距離50.8キロに対し、この地点が何キロかを示す標識が設置されている。1時間10分歩いた地点に『川見曽根』の標識がある。ここで高度差250メートルの稼ぎだ。標識にある男鹿岳ははるか彼方、1時間10分歩いて、その何分の一にしかなっていない。

尾根の張り出した鼻から、延々と伸びる林道が見通せる。それは気の遠くなるほどはるか彼方へ伸びていた。左に大きく聳える青い山は大佐飛山。青い山が幾重にも重なり合い重なりあっている。山頭火の『分け入っても分け入っても青い山』の句が浮かんだ。林道は緩く上り、また緩く下ってどこまでも果てしがない。

『見晴台』はゲートから起算すれば7.7キロ。ここまで2時間経過。稼いだ高度約400メートル。目前に大佐飛山が一際大 きくなって追っている。堂々としてなかなかいい山だ。道々、タラの芽を見つける。これは帰りに採取する楽 しみとして歩みを進めていく。延びる林道は、高度を上げながらまだ遥かにつづく。

歩き始めて3時間余、『笹の沢』の標識は15.1キロを表示していた。ゲートから13キロである。妻はここで折り返すことにした。タラの芽や山蕗を採りながらゆっくりゲートまで戻ることにして、私はもう少し先まで行って後日のために様子をみることにした。笹の沢での時刻が9時40分だったが、ゲートの自動車まで遅くても午後3時までには戻る約束で別れた。  

一気にダッシュをかけるようにして、林道を先へとたどった。大きくうねる林道からやっと男鹿岳が姿を現した。その距離はまだまだ遠く、とても約束の時間の中で行き着くのは不可能に見えた。ほとんど勾配を意識しなかった林道は、蛇行を繰り返しながら傾斜が強くなって来た。男鹿岳山項に立てなくても、再訪のときのために林道等の様子が分かっただけでもいいと、頭では納得したつもりでいても、やはりここまで来て山頂を踏まずに帰ることが、惜しい気持ちが強くなるのはいたしかたない。  
男鹿峠まで頑張って見て、その上で時間との兼ね合いで最終結論を出すつもりである。  
バイクが追い付き、追い越して行った。バイクならゲートを擦り抜けることは簡単だ。私もマウテンバイク(自転車)があれば半分か、3分の一の時間ですむのに、と考えながら歩いて来た。  

再び平らな道に変わり、男鹿岳への県境尾根の下を沿うようになると、 男鹿峠はもうすぐだった。  
林道が尾根と接する地点に到達して、男鹿岳への取り付きを探すと、薄い踏み跡がすぐ見つかった。こから山頂往復2時間弱と見ると、3時までにゲートまで戻るのはほとんど不可能に近い。時間が過ぎれば妻が心配することがわかっていて約束を破る訳にもいかない。  
帰りの時間を計算しながら、登れるところまで登ってみよう。薮こぎを想定して長袖シャ ツを着用、カメラだけ持って出発した。笹薮の中のそれとわかる踏み跡をたどる。尾根を外さない注意さえしていれば迷う心配はない。赤布の目印が心強い。私も持参の赤布を要所につけて行く。  

登りだしたらもう途中で引き返すなんていうことは、頭の中からどこかにすっ飛んで、とにかく時間内に往復してしまうべく、がむしゃらに前進あるのみ。軍手でモグラのように笹をかき分け、笹に掴まって突進した。  
一応のピークに立って山頂かと思われたが、樹木の間から前方にもう一つの高みが見えた。足跡不明の笹を踏みつけ、ルートを外して残雪の上を伝い、倒木を跨ぎくぐり、尾根が急に左に折れて、ひとしきりの深い笹の登りが終わって、ほっとしたところが山頂の一角だった。黒木と笹の広がる山項は、際立った凸部もなくどこがピークとも決めかねるような山頂だった。
少しだけ切り開かれた北東の隅に、山岳会か地元町村が立てたのか、新しい山名表示板があり、その奥には笹に隠れるような三等三角点があった。 山頂は樹木に囲まれて眺望はない。
無理な強行軍だったが、登りにくい山頂を踏破し得た満足感が広がった。  


時間にせかされて、踵を返すと飛ぶようにして下山にかかっ た。下山途中、日光連山、残雪の谷川連峰らしい山々が目に入ったが、ゆっくり確認する暇はない。男鹿峠に戻りザックを背負うと、半ば走るようにしてゲートに向かった。こんなに歩いたのかと思うほど帰りは長い長い道だった。
フルマラソンに比べれば楽なものだと言い聞かせて、林道をほとんど走りつづけた。ジョギングシューズが役に立った。
妻の待つゲートに戻ったのは、約束の3時寸前だった。
コース案内については別途HP(300名山踏破の軌跡)の「山岳別アドバイスも参考にしてください。