追想の山々1075  

戸隠 西岳(2053m) 登頂日2010.09.26 曇り M氏同行
奥社参道入口駐車場(4.45)−−−奥社(5.25)−−−百間長屋(6.15-6.20)−−−八方睨(7.05-7.15)−−−コル(7.45)−−−休憩(8.30-8.35)−−−西岳(9.35-10.05)−−−コル(11.45)−−−休憩(12.05-12.20)−−−八方睨(12.50-13.05)−−−奥社(14.25)−−−駐車場(15.00)
地図・・・高妻山  三角点は無し
これが4回目の西岳登山です。

1回目 1993.10.28
  2回目 2003.09.09  3回目 2003.10.08  4回目 2010.09.26
西岳の岩稜
今回は信州百名山97座目というM氏に同行。
秋晴れの天気予報だったが結果は曇り、期待の展望には見放されてしまった。

過去に3回登ったコースは≪鏡池スタートでP1―西岳―八方睨―奥社−鏡池≫のコースだった。今回は同行M氏の選択で奥社からの往復、私にとってはこのコースでの西岳は始めてのこと、過去の西岳とは違った楽しみがあるかもしれない。

奥社参道入口の駐車場を4時45分スタート、懐中電灯の灯りで奥社への参道を行く。奥社につくころには明るくなってきた。
登山の無事を祈って神社へ参拝してから登山道へ入る。

八方睨までの道は前月にも歩いたばかり、最初から急登がつづく。急登が緩んだあたりで太陽が顔を出す。
50間長屋、100間長屋の窟を過ぎ、西窟の岩屋を過ぎるといよいよ連続する鎖場の到来だ。
足がかりを拾い、腕力を駆使して岩場を一つ一つクリアしていく。上空は青空、展望期待に胸が膨らむ。

本院岳の鎖場を攀じる
何箇所もの鎖を無事クリアし終わると、いよいよ難所の蟻の戸渡りだ。いつもどおりナイフリッジを敬遠して巻き道を選択、巻き道と言えども決して気は抜けない。スリル満点である。もしこの鎖が外れたら・・・・なんていう縁起でもないことが頭をよぎる。リッジ最終部分はまさに一歩外したらあの世へ真っ逆さま、本日のコース中いちばん恐怖心にかられるところだ。
戸隠では先月も滑落死があったばかりで他人事ではない。

無事八方睨のピークへ立つ。目の前には名峰高妻山がどっしりと鎮座している。これから目指す岩稜西岳方面は緑が荒々しい素肌を覆っているが、その衣の下は峨々とした岩の塊、南側斜面は斜面というより垂直に切れ落ちた岩壁である。
西岳は本院岳の陰に隠れてここからは見ることができない。遠くに見える白馬岳などを眺めているうちガスが上がってきた。また晴れるさ・・・と期待を後に残して八方睨から西岳への稜線へ入る。

笹や草の露でたちまち腰から下、そしてジョギングシューズがびしょ濡れとなってしまう。そのため寒さを感じる。200メートルの高度差をコルめがけて下っていく。二つ目のコルが最低鞍部と思われる。

展望は完全にガス覆われてしまった。西岳への稜線も見通せない。
最低コルから西岳へはたかだか高度差300メートル程度の上り、しかし大きなアップダウンではないものの、上り下りを何回も繰り返し、鎖にしがみついての登りは、思った以上に体力消耗を進める。

踏み倒された笹に脚を滑らせ、狭い岩の隙間を抜け、絶壁の縁を慎重に通過し、いよいよ岩稜のハイライト本院岳の鎖場となる。

岩溝のようなところに長い鎖が設置されている。下から見上げると垂直に感じる。岩の凹凸に脚場を求め、腕力を最大限発揮して上り終わると、ヤレヤレという開放感がある。

本院岳を過ぎると目標の西岳はもうすぐ、ピークという雰囲気が薄い山頂は、表示がなければそのまま通り過ぎてしまいそうだ。
過去3回とちがって標柱が立っていた。以前はダケカンバの枝に山名板がぶら下がっていたが、今はそれも見あたらないし、その付近は座るスペースもなかったのに、藪が少し伐り払われて数名は座して休めるほどになっていた。以前の記憶とのちがいに、しばしこれがほんとうに西岳?と疑ってしまった。

蟻の戸渡の岩場
一休みしてから来た道を戻る。

この山行で奥社から西岳−P1−鏡池を目指す登山者、またその逆コースの登山者
、かなりの数の登山者があった。この7、8年の間に西岳への登山者もずいぶん増えたようだ。インターネット上での情報によるものかもしれない。
私が初回(17年前、1993年)登ったころは目ぼしい情報はほとんど見当たらず、不安な思いを抱いて登ったのを思い出す。

山はどこも同じだが、特にこの西岳は一歩誤れば大事故につながること必定、下山は上り以上に慎重に行動し、休憩込みの10時間で無事駐車場まで帰着した。


《2003.0909》 と 《2003.10.06》 の西岳登頂はこちらへ 


戸隠 西岳(2053m) 登頂日1993.10.28 快晴 単独
東京(2.30)−−−戸隠鏡池(6.30〜7.40)−−−楠川徒渉(7.55)−−−天狗原(8.25)−−−最初の鎖(9.10)−−−熊の道場(9.30)−−−無念の峰(10.05)−−−P1(10.30)−−−西岳(11.00-11.30)−−−本院岳(12.00)−−−最低コル(12.50)−−−八方睨(13.30-40)−−−戸隠奥社(14.30)−−−髄神門−−−鏡池(15.10)
所要時間 7時間30分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
   繰り返す岩場のスリルと、消耗する体力に耐えて=(56歳)

右がP1のピーク
戸隠連峰。その山容は悪魔の巣窟を思わせる。私の知る限り妙義山とともに怪異奇峰の代表であろうと思う。絶壁の上にそそり立つ岩稜、古来霊山、修験道場として山岳信仰の対象となってきた歴史豊かな山であもる。
その険悪さとは裏腹に、麓の高原は観光開発が進んで多くの人々を呼び寄せ、日本三大野鳥棲息地としても知られる。
戸隠連峰は、おおよそ3つの山域に分けられる。北から見て行くと
@高妻山から一不動、八方睨まで    
A八方睨からP1まで
BP1から一夜山ということになる。  

Bには登山道が拓かれていないので一般の登山者は立ち入ることができない。今回は「八方睨〜P1」の間を縦走しようというわけである。
峨々険悪な戸隠連峰の中でも、最も危険を伴う厳しいコースとして、過去にも多くの墜死事故を起こしているところである。

岩山への自信はないが、西岳は信州百名山として、また戸隠連峰最高峰として、いつかは登らなければという思いを抱いてきた。戸隠村役場に山の様子を尋ねた。雪は降ったがたいしたことはない、ただ一般のハイキングコースではないので、十分に気をつけること、それと稜線登山道が崩壊した箇所があるが、応急の道をつけておいたから歩けるだろうとうアドバイスをもらった。また、登山コースについては、案内書はすべて『八方睨からP1』へとなっているが、この点を聞くと、その逆コースが歩き良いという返事だった。

真っ白に霜を置く鏡池の池畔から仰ぎ見ると、朝陽に輝く戸隠連峰にはわずかに雪が見える。あの程度なら役場の人の言うとおり問題ないだろう。しかし、いつ見ても取り付くしまもないような険阻な岩山である。あの山稜のどこにルートがあるのだろう。眺めていると緊張が沸々と湧き上がってくる。  
高原の冷気を胸一杯に吸い込んで出発した。  
登山口を間違えて40分ほどロスをしてしまった。

鏡池から舗装道路を南へ進むと、『西岳登山道』の標識を見る。
岩山戸隠連峰、右が本院岳
楠川の徒渉点まで約200メートルの高度差を下る。草も木も真っ白に霜を置いている。かなりの冷え込みのようだが、あまり寒さは感じない。  
楠川を飛び石で徒渉すると、雑木林の中を急登して行く。登り切ったところに牧草地が広がっていた。
戸隠連峰は常に視界から消えることはない。牧草地からブナの林に入って行く。足裏の落ち葉に心地よさを意識しながら、歌でも口ずさみたいような明るい気分である。                        

次第に傾斜が増して汗が吹き出して来る。
今まで仰ぎ見るようだった戸隠連峰の岩壁が、いつの間にか水平の位置に競りあがっている。笹や雑木にしがみつくようにして高度を稼いで行くと、 巨岩の基部にたどり着き、いよいよ最初の鎖にとりついた。しかし案ずることもなく簡単に巨岩の上部に出た。そのあとしばらくは急登だが平凡な尾根を行く。  

いつかブナの樹林も消えて、岩稜の険悪さだけが目立って来た。おまけに雪も現れて来た。役場への照会でもたいしたことはない風だったし、事実この地点ではまだ不安はなかった。  
囲繞する暗褐色の岩壁の迫力が圧倒する。高度を上げて行くと、岩稜の雪は意外に多い。鎖が雪の下に隠れていたり、降雪以後人の歩いた形跡もなく、雪に隠れたルートが判然としない所もある。垂直の壁を鎖にすがって登り、絶壁の トラバースを感で探り当て、緊張は一気に高まって行く。  

危険なこの岩場を、私の技量で無事乗り切れるかどうか。退却すべきか。
行くべきか、辞するべきか、自問自答を繰り返す。この『絶好の好天』という味方は百人力以上に強い。行こう。
P1、西岳の稜線が、目の前に見えているのになかなか行き着かない。一歩踏み外せば、間違いなくお陀仏、雪の下の岩場を足で探って行くのは、私には大変な緊張だ。喉がからからになる。
鎖にすがって無事絶壁をトラバース、『熊の遊場』の棚で一息入れる。このあたりがコース中で一番緊張を強いられた所だった。
ここを下りに使った場合は更に厳しいものになったと思う。やはり役場のアドバイスは適切であった。  

西岳山頂、背後には北アルプスの連峰
見上げる岩稜がP1かと喜び勇んで這い上がって見ると、そこは『無念の峰』。まさしく裏切られた無念さである。
稜線はさらなる高みにあった。肉体的疲労感では、とっくに稜線にたどりついていていいはず・・・岩稜登攀がいかに体力を消耗するかがわかる。

無念の峰からオーバーハング気味に取り付けられた梯子で下る。雪は足首を埋める程になっている。『蟻の戸渡』の痩せ尾根を通過し、繰り返す岩場を鎖にしがみつくようにして乗り越え、雪の重みで道を塞ぐ笹を掻き分け、あるいは雪で滑りやすい急峻を笹を束ねて掴み体重を引き上げる。  

P1に立った。『ようやくにして』という思いが強かった。登山口から3時間、岩山を承知で、それなりの心構えをもって来たつもりだが、その予想を越える難路であった。もし雪がなかったら、もっと楽な気分で登れたのかもしれない。
緊張感から解放されて四囲の展望に目をやる。これからたどる険しい岩稜の先には高妻山と、その後ろに冠雪の焼山・火打山。飯縄山、志賀や根子岳や浅間山。朝日岳、白馬岳から槍、穂高、乗鞍までの北アルプス。とにかく中部山岳はすべて視界にあるといって過言ではなかった。  

P1は雪に覆われて腰を下ろす場所もないので、もう少し先へ進んだ。30分ほど歩くと西岳に着いた。ここが連峰最高峰であるが、潅木に阻まれて眺望には恵まれない。さらに雪の急斜面を本院岳に向かって下り、地面の乾いた南斜面を見付けて、ここで初めて休憩を取った。槍のよ うに尖った本院岳を目の前にして軽い昼食を取り、スケッチをしたりして30分ほどを過ごした。

く展望)・・・そぎ落としたような絶壁の下部には、ブナやカラマツ樹林の黄葉が絨毯のようにひろがっている。目の前には本院岳と左に高妻山、右には飯縄山が模型のように見える。遠く横手山や根子岳、浅間山。さらに遠く八ヶ岳、南アルプス、中央アルプス、富士山まで見通せる。
はるかに真っ白な谷川連峰、その奥には越後三山であろうか。高妻山の左には火打山、焼山、天狗原山も既に冬の装いであった。黒姫山の頂もある。
岩稜の背後には北アルプスの高峰群、蓮華、朝日、白馬岳から唐松岳、五竜、鹿島槍、針の木岳から裏銀座、槍、穂高、乗鞍と連なる。
 
縦走路は岩の稜線を忠実にたどっていた。雪のないところでは踏み跡は比較的明瞭で、ルートの心配はほとんど感じない。  
鎖で本院岳のピークに立つ。縦走の終点『八方睨』まではまだ遠い。本院岳から最低コルまで高度差300メートルの下りにかかる。ここからが大変だった。                      
ピークからは垂直に近い壁を鎖にすがって、体重を腕に任せて下降して行く。日陰に入ると雪もかなり深くて、膝下あたりまで埋まるところもあった。再び緊張感がみなぎって来た。  
突然登山道の崩落箇所に突き当たった。これが役場の人が話していた箇所だろう。巻き道を探したが見当たらない。まさかここからもと来た道を戻る元気は既にない。
無理でも先へ進むしかない。南斜面は断崖絶壁、北斜面の笹薮をトラバースして崩落箇所を通過するしかない。もしかすれば新しい巻道がこの下に見つかるかも知れない。そんな期待もあって背丈を越える雪の笹薮へ踏み込んだ。頭では『低いほうへ行き過ぎてはいけない』と分かっていながら、たちまち低いほうへ体がもって行かれる。稜線直下をトラバースしているつもりが、気がつくとよく滑る笹に引っ張られて、いつの間にかかなり下降してしまったようだ。この後はただがむしゃらに高い方を目指して笹薮を漕いだ。スパッツのない足は雪にまみれ、靴の中もすっかり濡れている。流れる汗が目に染みる。やっと稜線まで戻ると崩落箇所はすでに通過して、再び明瞭な登山道へ出ることができた。  

ほっとしたのもつかの間、これまで忠実に稜線につけられていた登山道だが、1 カ所だけ北斜面をトラバースしたところがあった。深い笹と潅木の間につけられた登山道は、雪に覆われて道型の区分がつかない。不安が広がる。トラバースはどのくらいの距離があるのか見当がつかない。感を頼りに進むと、それは兎の足跡に重なって行く。そうだ兎の足跡を追えばいいかもしれない。倒木を踏み越え、倒れた笹を払いのけ、一抹の不安を抱きながらも兎に託して10分も行くと、幸いにも稜線の登山道に出ることができた。  

行く手の稜線には、もう険しい岩稜は見当たらなかった。ようやく緊張感の解けるのを感じる。しかし体力の消耗も激しかった。以前、佐武流山の薮漕ぎをしたときに似た疲労感に襲われていた。脱水が伴っているのだ。
コルに向かって小さな凹凸を重い足を引きずって進んだ。  
コルからの日当たりのいい道は雪もなく、晩秋の陽光がやさしく包んでくれる。ゆっくりと一歩一歩八方睨へ向かった。疲れた足には200 メートルの登り返しは、長い長い登りだった。最後は笹や潅木を掴んで攀じり、好展望台の八方睨にはい上がった。
10何年前には建っていた小屋は倒壊して、コンクリートの土台が痕跡を止めるのみだった。  

苦労して歩いて来た岩稜が、紺碧の空とは対象的に、悪魔のような黒々とした岩肌を晒し、縞模様についた雪が一層険しさを表していた。  
縦走の苦しかったことも忘れて、限りない眺望にひとときを過ごした。 八方睨からは、ぐんぐん飛ばして奥社へ下りつくと、神社のアルミの柄杓になみなみ2杯の水を飲み干した。
ひと仕事やり遂げた満足感に包まれて鏡池へ帰りついた。


《2003.0909》 と 《2003.10.06》 の西岳登頂はこちらへ