追想の山々1078  

1993.05.15登頂記録   2010.05.16登頂記録
日本300名山 信州百名山
池口岳(2392m) 登頂日2010.05.16 曇りのち晴   M氏同行
登山口(5.50)−−−面切平(6.40)−−−黒薙(7.40-7.50)−−−道標(8.50)−−−ザラ薙−−−休憩(9.20-9.25)−−−池口岳(10.50-11.40)−−−休憩(12.30-12.40)−−−ザラ薙(13.00)−−−黒薙(13.50)−−−面切平(14.40)−−−山の神−−−登山口(15.15)
所要時間 休憩含む9時間25分 池口岳 三等三角点 地図 光岳
黒薙からの池口岳
池口岳が信州百名山93座目というM氏に同行。私にとっては17年ぶりの池口岳である。

中央高速飯田ICを出たあと、国道125号線を南下していくと、左側に“池口岳”の表示がある。見落とさないようにしてここを左折、このあとも池口岳への表示に注意しながら池口集落へと進む。かつて遠山要さんの住んでいた池口集落最後の1軒家から未舗装の林道に変わる。ダートを3、4分走ると池口岳登山口となる。車が4台ほど止められるスペースと簡易トイレがある。すぐ先のプレハブ建物の周囲にも駐車スペースがある。

当然のことながら、登山口の場所は17年前と変わってはいないが、しっかりとした道標が設置されている。
登山口までのアプローチで車が少し迷ったりしたため、予定より1時間近く遅くなってしまった。ロスを取り返すべくすぐに出発する。

17年前の記憶は薄れてしまったが、登山道の状態は様変わりに良くなっているのを感じる。300名山ブーム、それに信州百名山人気によるものだろう。
国土地理院の地図を見ると、17年前には登山道は標高1234メートル三角点までしか記載されていなかったが、現在の地図には池口岳山頂まで記載されている。つまりその後コースの整備が進んだということだ。

池口岳山頂
ルートを誤らないよう、踏み跡を慎重に拾いながら登ったのが嘘のように、何の不安もない。ただ脚を運んで行けばいいだけだ。山の神は気付かずに過ぎてしまったらしい。面切平の表示がある。以前は面切平なんて知らなかった。なにしろこの山に関して、参考になるような資料はほとんど入手できず、登るときには地図と遠山要さんのアドバイスを頼りにしていた時代だった。
小さなアッブダウンをまじえながら高度を稼いでいく。小さいながらこのアップダウンは帰りには辛く感じることだろう。残雪をまとった中央アルプスが遠望できる。しらびそ高原の先に懐かしい奥茶臼山ものぞめる。

地図にも載っている黒薙のガレまで1時間50分、17年前の1時間半より少し時間はかかっているが、まずまずのペースだ。ガレの頭にある三角点で小休止とする。ガレの先に見える池口岳、鶏冠山は山頂付近に雲が絡んでいるが、山頂に着くころには晴れてくれることを祈る。遠山郷の谷を挟んで熊伏山が淡い緑に包まれているのも見える。

黒薙から長い下りとなり、そのあと何回かアップダウンが待っている。歩いても歩いても高度を稼げないところだ。登りとちがってエネルギーの燃焼が少ないので汗はかかない代わりに寒さを感じる。重ね着するのも面倒でガマンしてそのまま先へ進む。幸いにも雲が切れ始めて青空が広がってきた。展望が期待できそうだ。

ザラ薙を過ぎ、植生もコメツガ、ダケカンバなどに変わって高山の雰囲気が濃くなってくる。記憶では台風による倒木が折り重なるようにして踏跡を遮っていたこのあたり、きれいに片付いてまったく問題なく歩けるようになっていた。林床や倒木は柔らかな緑のコケに覆われ、幽邃の雰囲気が南アルプス深南部という独特の世界を醸し出している。

聖岳方面の展望
テン場の先にある、水場への案内表示を過ぎて岩場を2ヶ所通過する。固定ロープがあるが危険を感じるように岩場ではない。
10分ほどの休憩をとり、気合を入れなおして山頂への最後の急登にかかる。この急登は半端ではない。まさに胸つく急峻な登り、長い行程を歩いてきた脚にはかなりこたえる。ときおり残雪がコース上にあらわれるが、それはほんのわずかなものだ。原生林の雰囲気が漂う中を一歩一歩登って、残雪斜面を登りきると加加森山からのコースが合流して展望の稜線となる。ここは山頂の肩という感じで、残雪輝く南アの山々が目に飛び込んでくる。池口岳のピークは目の前、とりあえず山頂を踏んでから、そのあとここに戻ってゆっくり休むことにする。

残雪を避けながらひと登りすると三角点のある山頂、中高年の男女数名のグループが先着していた。山頂は樹木に囲まれて展望はない。南峰方面の様子を見てみる。こちら側からは南峰の北斜面を見ることになるがかなり積雪がありそうだ。足を延ばしてみたい衝動を抑え、記念写真を撮ったりして一服してから先ほどの展望の良い肩まで戻り大休憩とする。

願いがかなって、上空には雲のかけらも見つからないほどの好天になっていた。目の前に加加森山と光岳、それに銀嶺の茶臼岳、上河内岳、兎岳、小兎、大沢岳、赤石岳などの眺めをゆっくりと楽しんだ。

帰りは急坂を下った先で一息入れただけ、あとはほとんど休憩なしで登山口へと下った。登りでは、どんよりとした曇り空で冴えなかったカラマツの芽吹きも、下山では目を洗われるような爽やかさで青空に映えていた。


私が300名山に取組んだ当時、単独登頂が難しいとしてリストアップした山がいくつかあります。毛勝山、笈ケ岳、大無間山、カムエク、猿ケ馬場山、佐武流山etc・・・・。この池口岳もその一つでした。
17年前と今回の登頂、年月とともに山の様子も大きく変わっていくのを肌で感じた登山でした。



南アルプス深南部の山
池口岳(2392m) 登頂日1993.05.15 快晴 単独
東京自宅(22.45)−−−池口岳集落徳造平登山口(4.55)−−−山の神(5.25)−−−黒薙(6.30)−−−2000mガレ上(7.25)−−−2200mガレ上(8.25)−−−池口岳(9.05-50)−−−2200mガレ上(10.30)−−−黒薙三角点(12.20-30)−−−徳造平(13.30)
所要時間 8時間35分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
   登山者の姿も稀な静寂峰=(56歳)

倒木帯。慎重に道を拾って行く
日本三百名山の中で、池口岳は参考資料も少なく登りにくい山としてマークしていた。かつて上河内岳から遠望した池口岳は、鹿島槍ヶ岳に似た双耳峰として目を引き付けた頂である。そして私の故郷伊那谷の山でもある。

長い行程、山中に水場もなく、幕営も難しい。日の長い時期に、余裕をもって登るべく計画を立てた。
仕事を早めに切り上げて帰宅、すぐに洗腸、6時半には就覆、ひと眠りして11時前に自宅を出発した。夕方まで1日中降りつづいていた雨は上がっていた。  
中央高速道を快調に飛ばして、松川ICから深夜漆黒の矢筈峠を越えて秘境遠山郷と呼ばれる僻地の上村へ向かう。信州百名山の著者清水栄一氏は、遠山郷を信州のチベットと書いている。ここ上村から南信濃村にかけての、いわゆる遠山郷と呼ばれる地域は、ごく近年まで世間から忘れ去られたような僻地であった。独特の文化、風俗が承継され無形文化財と して貴重なものも数多く残されているという。
同じ伊那谷に育った私でも、そんな村があることは子供のころ全く知らなかった。
そのため登山者が稀にしか入らない山もあって、池口岳もその一つである。
今は鋪装された自動車道も通じて、外界と遮断された秘境ではなく、どこにでもある山村の風景と変わるところはなかった。

山奥にわずかの戸数が点在する池口集落、その奥にさらに離れた一軒家がある。 それが遠山要さん宅であった。池口岳西尾根コースは遠山家の持山から始まり、登山道をつけるのに力を注いできたのが要さんであった。
遠山家から奥に向かって伸びる1車線の林道を自動車を進めた。登山口はその林道行き止まりの地点より少し手前にあった。うっかりすると見落としてしまいそうな標柱が立っている。ここが標高約1000メートルの徳造平だった。  
徳造平の登山口に立つころには夜もすっかり明けて、素晴らしい青空が広がっていた。山間の冷気が身を引き締め、念のために熊よけの鈴も腰につける。ここから標高差1500メートル、長い長いいわゆる西尾根コースをたどって池口岳へ向かった。

やや急な登りの後、すぐに傾斜は緩くなって30分程で山の神。一礼して先を目指した。  
桧植林の中の道は予想外にはっきりしている。『これなら心配はない』とほっとした気分になる。このあたりが遠山要さんの持ち山である。登山道というより、作業道としてよく整備されている。だらだらとした勾配がつづく。  
桧の植林帯を出て落葉樹林や潅木帯に入って来ると、踏み跡が薄くなり、代わりに赤布の目印が多くなって来た。ルンルン気分が一気に緊張感に変わってくる。突然踏み跡が消える。キョロキョロ・・・右直角方向に赤布が見える。微かな踏み跡が確認できる。
木立の奥から体をぶっつけ合うような鈍い音が聞こえてくる。熊だったら大変と、首にぶら下げた呼子を吹き鳴らす。潅木の芽吹きも始まったばかりだ。  

緩慢な登りが山道らしい急登に変わり、ひと頑張りするとガレ場の上に出た。ここが地図にある黒薙らしい。登山口から休憩なしで2時間、標高差約900メートルを稼いだ。地図を見ると山項まで水平距離で約半分、標高差であと500メートル。この調子なら頂上までわけない、ある登頂記では8時間かかったとあったが、あと2時間もかからないように思われた。黒薙の縁からは鶏冠山から池口岳が堂々と迫る。霜柱の立つ急峻なガレを横断する一筋の線、これは鹿の歩いた跡だ。  

休憩なしで先を目指した。横たわる鹿の死骸にぎくっとして足がすくむ。肉は狐や鳥についばまれたのか、あばら骨だけになっていた。気温が低いせいかまだ生々しさが残っている。  
帰路に不安を感じる箇所には赤布をつけながら進んだ。交通の不便さ、登山道の未整備、長い歩程・・・一般ハイカーにはやや難度の高いこの山を訪れる登山者は、未だにごくわずかしかないようだ。池口岳を攻める代表的なコースは二つ。ひとつはこの西尾根と、もうひとつは光岳から加々森山を経由して池口岳直下に出るコースである。どちらにしても 一般登山道はなく、ルートファインディング、体力、経験等ある程度の熟練度が要求されるのである。  

シラベの原生林が南アルプス深南部の重厚さを漂わせてきた。原始の香が匂いたつような静寂な中で、一入孤独感が身にしみる。苔蒸した原生林に折り重なる倒木、道型も不明瞭。またいだりくぐったりを繰り返す登りとなって、いままでのように捗らない。池口岳の手ごわさ、素顔を現してきたようだ。
背後の樹間から真っ白い中央アルプスがかいま見える。
2000メートルのガレまで一息と踏んだのは甘く、高度100メートルを稼ぐのに1時間近くかかっていた。
池口川側が切れ落ちて痩せた背稜をたどり、ロープの固定された露岩を越える。  
2200メートルのガレまで更に1時間、残雪も現れて来た。この2200メートルのガレから見る池口岳は双耳の姿ではなく、黒木に覆われた三角錐で、気品ある山容でどっかりと腰を据えていた。  
再び露岩を越える。  
シラベの梢越しに仰ぐ空は、あくまで碧く深海の底を泳いているようだ。ガチガチに氷化した雪に滑らないよう気を使う。  
加々森山方面からのコースの交差する地点(いわゆるジョイント)と 思われるあたりで樹林が切れると、思わず「あっ」と声を上げてしまうような展望が飛び込んで来た。ここは池口岳の肩ともいうべき地点である。光岳から上河内岳、聖岳にかけての残雪の山々であった。
しかし、今は山頂を極めることが第一、その展望を横目で眺めるようにして取り付いた雪の急登が、山頂への最後の登りだった。ひとしきり喘いだ急登の末、その先にはもう登る坂はなく、池口岳北峰の頂上だった。肩から15分ほどだった。

恋して久しい山頂に今ようやく立つことができた。
残雪の山頂も、登頂記念プレーとのつけられたシラベの根元付近だけに地肌が見えていた。
少ない資料を漁り、タイミングを狙い、単独行で登頂した喜びは大きかった。登山口からほとんど休憩なしの4時間10分だった。  
シラベに覆われた山頂は、展望はないものの、いかにも南アルプスらしさの漂う落ち着きと静けさが支配していた。四等と書かれた三角点標石があった。何と標石の頂部には「+」ではなく「×」の刻印があった。一等三角点黒法師岳の×は有名だが、四等ながらこれも希少なものだと思われる。  
南峰方向へ少し進んで見たが雪が多くて無理のようだ。梢を透かして鶏冠山と、そのはるか先に釣り鐘様のピークは黒法師岳だろうか。幾重にも重なる山々が紺碧の空の下に連なっていた。  

足の指に寒さが加わってきたのを潮時に、下山にかかることにした。 好展望の肩まで下って、ここで倒木に腰を下ろしてたっぷりと展望を楽しむ。ここでの圧巻は何と言っても目の前にドーンと聳立する南アルプス南部の高峰群・・・加々森山から光岳、茶臼岳、上河内岳、兎岳、聖岳、赤石・・・・わけても上河内岳と兎岳の迫力には圧倒される。スカイブルーの下、残雪は陽に照り返り、岩は鈍色に輝いている。岩と雪の鮮やかなコントラスト、山の眺めが最も美しい時期であろう。赤石山脈南部のこの眺望は、笊ケ岳と共に屈指のものと言われる。再び訪れることはないかも知れない遠く厳しいこの頂に、去りがたい気持ちを残し、来た道を忠実にたどって下山にかかっ た。  

2200メートルのガレを通過した先の倒木帯で展望が開ける。中央アルプス駒ヶ岳、宝剣岳、空木岳などが真っ白い。ピークに特徴のある奥茶臼山も見える。明日はあの奥茶臼山へ登る。  
快足でとばして2000メートルのガレから黒薙まで1時間かかった。この間は登りも下りもほとんど時間的には変わらなかった。  

ひと休みして、後は登山口まで下り一方だと思って腰を上げた。とこ ろが以外にアップダウンが繰り返している。登りには気がつかずにひたすら登ったつもりだったのに、意外な錯覚である。

傾斜が緩んで尾根が広くなって来ると、ルートが分かりにくくなって来た。登りのときは殆ど踏み跡を外さなかったのに、下りでは何回か道を見失って修正しなければならなかった。薮が少ないことが、かえって何処へでも足が入って行ってしまうからだ。赤布がついていなかったら、とても一人では歩けないコースだった。  

池口岳西尾根コースを拓いた遠山さん宅へ立ち寄った。「今日、遠山さんの造られた登山道から池口岳を登ってきました。お礼を言わせて貰おうと思って寄せてもらいました」 と、手土産を添えて挨拶すると、大変喜んでくれた。 遠山さん宅からは、池口岳が額縁のように映えていた。朝5時に登りはじめて、池口岳を往復して来たことを話すと 「そりゃ健脚だ、こんな早い人は初めてだ」 と言われてしまった。  
先日のゴールデンウイークには20人ほど入山していたとのことだった。
コース案内については別途HP(300名山踏破の軌跡)の「山岳別アドバイスも参考にしてください。