追想の山々1079  up-date 2001.07.17

赤牛岳(2864m)
三ツ岳
(2845m)野口五郎岳(2924m)水晶岳(2864m)
登頂日1994.07.22-23 晴 単独

●夜行バス===大町駅===高瀬ダム堰堤上(7.00)−−−濁沢(7.20)−−−烏帽子小屋(10.00-10.10)−−−三ツ岳(11.00)−−−野口五郎小屋(12.35)
●野口五郎小屋(4.00)−−−東沢乗越(5.00)−−−水晶小屋(5.30)−−−水晶岳(5.55-6.10)−−−2742mコル(7.00)−−−赤牛岳(7.50-8.10)−−−2105m(9.20-35)−−−奥黒部ヒュッテ(10.10)−−−平の渡(11.25-12.20)〜〜〜平の小屋(12.30)−−−河原で休憩15分−−−黒四ダム(15.15)===扇沢===大町駅(16.37特急あずさ)
所要時間  1日目 5時間35分 2日目 11時間15分 3日目 ****
   ニ日目、17時間の行程を1日で歩く。会心の山行=(57歳)
赤牛岳と遠く剣、立山

昨夏、赤牛岳を目ざしたが、予想外の荒天に遭遇して水晶小屋から経路を変更し、新穂高温泉へのエスケープを余儀なくされた。  

どこから入山しても3日を要する赤牛岳は、そうたびたび計画することはできない。再度の挑戦は昨夏と同様、
ブナ立尾根→水晶小屋(泊)→赤牛岳→平の小屋(泊)→黒四ダム
という山中2泊のプランであった。  

早朝の大町駅前には、夜行列車で到着した登山者がたむろしている。駅頭で登山計画を提出したところ、『水晶小屋はアルバイ トが集まらなくて営業していません』との話にびっくり。
ブナ立尾根から登りはじめると、初日は烏帽子小屋泊が一般的で、健脚者でも野口五郎小屋泊、一日目に水晶小屋まで行く人はほとんどいない。
私は荒天の中、初日に七倉山荘から水晶小屋まで歩いた実績もある。今回はスタート地点が高瀬ダムで、七倉スタートに比べればアプローチが1時間半ほど短い。初日、余裕をもって水晶小屋まで行く予定だった。水晶小屋休業による計画変更には、少々動揺せざるを得なかった。
選択の余地なく手前の野口五郎小屋泊しかない。その分二日目の行程が長くなるが仕方ない。  

赤牛岳から水晶岳を振り返る
高瀬ダムへ通じる七倉のトンネルゲート開門が6時30分。     
歩けば2時間を、タクシーはたった10分余で高瀬ダム堰堤上に到着した。トンネルを抜け、ダムの吊橋を渡って南沢までは平坦な道を30分、濁沢の吊橋は昨年から壊れたままだ。吊橋手前の最後の水場に水がない。晴天つづきで涸れていた。
ブナ立尾根に取りつく。登山道脇に咲く花は、薄紫のツリガネニンジン。
アルプス三大急登と言われるブナ立尾根も3回目ともなると、案外苦にならずに登って行く。1900メートル地点、ほどよいところで短い休憩を1本。今日のゴールは野口五郎小屋だから急ぐ必要はない。烏帽子小屋手前の小平地は、いつも通りの高山植物が迎えてくれた。 コイワカガミ、タテヤマリンドウ、ウサギギク・・・・  
烏帽子小屋では「早い」と言って感心してくれた感じのいい小屋主と、2,3の会話を交わしてから出発。
三ツ岳登りのだだっ広い砂轢帯には、期待したとおりのコマクサの群落が、開花期を迎え咲き競っていた。三ツ岳で小休止。ゆっくり歩いて来たつもりだが、この分だと小屋着が早過ぎる。
今回目標である赤牛岳の巨大な稜線を目でなぞりながら、その行程をイメージする。
野口五郎小屋手前の登山道は、箒で掃いたように綺麗だった。ミヤマキンバイ、ミヤマキンポウゲ、イワギキョウが群落となって、小屋へは花のプロムナードだった。野口五郎小屋へは本日一番の到着。ひと休みしてから野口五郎岳山頂へ行ってみた。4回目の山頂である。広い山頂から鷲羽岳、ワレモ岳、水晶岳、赤牛岳などの山岳展望を楽しんだ。

3時45分、目覚めて小窓から外をのぞくと、東の空に薄明が兆していた。寝静まっている中を、音を立てぬように気を使って小屋を抜け出した。
懐中電灯を頼りに野口五郎岳へ。山稜へ出ると野口五郎岳の陰になっていた満月が、煌煌と輝き、北アルプスの山々をあまねくその光で照らしていた。森閑として海の底のような景観であった。  

水晶岳の山頂へ届いた曙光は、見る間に山腹をかけ下る。黒々としたモノトーンの影絵は、急速に色彩を取り戻して行く。山々は一斉に朝の輝きの中にその個性豊かな姿を出現した。険しい岩溝の陰影一つ一つまでも鮮やに浮かび上がる。
暁光に染まり、東沢乗越から水晶小屋への登りにとりつくころ、朝風に乗って襲うように霧が稜線目がけてかけ上ってきた。またたく間にあたりは乳白色の世界に変ってしまった。あの展望は早暁のほんのひとときのドラマだったのか。

水晶小屋へはコースタイム2時間を1時間30分、急いだわりには時間がかかっていた。とにくか今日は長丁場、できるだけ時間を稼がなくてはならない。
水晶小屋〜奥黒部ヒュッテは健脚向きの1日行程だか、その1.5倍の野口五郎小屋〜平の小屋を歩かなくはならない。
べールが1枚1枚はげて行くように、水晶岳の山頂が再び姿を見せはじめた。水晶岳への岩の道は花々が華やいで咲いている。その中にチョウノスケソウを発見した。初対面の花であった。

6時前、北アルプス中心部の水晶岳南峰に立ったときには、天空に雲のかけら一つとしてなく、正真正銘さえぎるもののない大展望が待っていた。息を吸い込んだまま、しばらく呼吸も忘れるような大パノラマであった。涼風が気持ち良く吹き抜け、瞬く間に汗が引いて行く。すがすがしいばかりの山頂の眺め。北アルプス屈指の展望台の名に恥じない。狭い山項の岩に腰を下ろして朝食をとりながら360度のパノラマを楽しんだ。こんな贅沢な朝食がまたとあろうか。  
これからたどる赤牛岳、その先には立山、剣岳をはじめ、白馬から南へ連なる後立山の諸峰、西には長大な薬師岳の山稜が目一杯に横たわる。さらに南へ黒部五郎、笠、三俣蓮華、鷲羽と著名な名峰が競い、その背後には絵のような槍、穂高、大天井、常念が。はるかに乗鞍、御嶽、目を凝らせば富士山、八ヶ岳、 南アルプスまで確認できる。雲の平は箱庭のような空間を占めて、高天原の山小屋も朝陽に光っていた。久々に味わう会心の展望である。目に入る大半の山々は、この足で踏んだ頂であることに満足し、20分の休憩で山頂を後にした。  

赤牛岳山頂
水晶岳北峰はピーク直下を巻いて、高度差200メートルのガラ場を急降下。鞍部の雪田で道が分かりにくかったが、雪田の長径方向を横切ると、再びがら場の登路につながった。
赤牛岳の名のとおり、赤褐色の岩石が埋め尽くす道を、稜線に出たり、 ときに巻いたりして目指す頂に近づいて行った。  
足下の花々を愛で、目立った起伏もなく、最後に巨岩の堆積した急登を越えると、赤牛岳は目の前に迫った。いったん小さなコルに下ってから、最後の登りとなる。日本三百名山の中でも、体力を要する山としてリストアップしていた頂が、今手の届くところにあった。

一度は敗退した赤牛岳に、今登項を果たすことがてきた。よろこびが溢れる。広い山頂は明るく解放感に満ちていた。
山名表示もなく、積み上げられたケルンの上に、登頂記念につけられたプレートが一つ。まったく無垢で飾り気のない山頂だった。水晶岳から3時間のコースを1時間30分ほどで歩いて来た。時間はまだ7時40分、早朝の澄明な大気、肌にやさしい涼風。あたりは水を打ったような静けさが支配し、しんとして音もない。しばらくは放心の境地で展望を貪り、シャッターを切りまくった。
ここは薬師岳の展望台だった。威風堂々、正面から陽を受けた薬師岳は、4つのカールも鮮明に浮かび上がり、褐色の肌が輝やいている。水晶岳は既に遠かった。  
四方八方、山々のめぐらすこの景観をしっかり記憶しておくため、射るような視線を注ぎつづけた。いっときの間を置いて落ち着いてから、知っている山々をひとつひとつ確認して行くよろこびはたとえようもなくうれしいひと時だ。  

残る今日の行程はまだまだ長い。去りがたい思いを残して山頂を後にした。  
東沢へ向かって急崩壊する斜面に、危なっかしくつけられた道を降下して行く。薙を通過し、広い稜線になったところで、赤牛岳に「さよなら」とつぶやく。再び訪れる機会はないかもしれない。正面に黒四ダムを目にしながら下って行くと、やがて道は潅木帯へと入って眺望はなくなった。
黒四ダム湖畔までの長い長い道を、ただひたすら足を運ぶ。潅木帯は最初のうちは薮が張り出し、沢状の歩きにくい道だったが、目的を達した充実感にそれも苦にならない。  
やがて森林帯に変わる。点在する大小の岩は苔蒸し、黒木の森は幽玄でもあり、陰気でもあった。この読売新道は歩く人も少なく、静寂なコースと言われるが、下山途中で1人だけ行き会った。  
歩きやすい道となって、刈り払われたばかりの急坂をかけ下ると、奥黒部ヒュッテだった。赤牛岳から5時間のコースタイム、これを3時間で下れればと思っていたが、所要約2時間だった。時刻は10時10分。 
奥黒部ヒュッテの前は広い河原になっていた。ヒュッテで平の渡の時間を確認する。12時20分の渡に間に合えば、平の小屋に泊まらず、今日中に東京まで帰ることも不可能ではない。ヒュッテから渡船場までのコ ースタイムは3時間、もし2時間で歩ければ間に合う。私の脚なら多分歩けるだろう。

やや疲れを感じていたが、休憩なしで渡船場へ向かった。  
ヒュッテからしばらくは河原沿いの平坦道がつづき、これなら楽々だと気を許したのは大間違いだった。木梯子の架けられた高巻きが次々と待ち構え、3〜4段も昇ると、もう足が重くてひと呼吸入れないと次の足を持ち上げることができない。  
山の斜面から流出する水を、目につくたびに飲んで行く。その量は一体どのくらいになっただろうか。すでに脱水状態に近づいていたのかもしれない。  
またか、またかと思えるほどに、木梯子のしごきがつづく。左手黒部川の流れはやがて瀞となってどうやらダム湖の末端まで来たようだ。  
しかし渡船場らしいものは見えない。遠くに遊覧船がリターンして行くのが見えた。
朝から何千回、何万回と反復して働いてきた脚の筋は、すでに疲労の極に近かった。それでも道が平坦になったときだけ、いつものスピードにかえった。
11時35分、渡船場到着。ヒュッテからわずか1時間25分だった。12時20分発まで1時間近い時間が良い休憩になった。昼食の梅干だけがうまかった。

平の渡し
ダムの対岸に渡船し、長い階段を上がって平の小屋で冷水に浸けた桃の缶ジュースを飲むと、体の隅々に染みとおっていくようだった。計画ではここでの宿泊を考えていたが、まだ12時30分、黒四ダムの終バスには時間がある。疲労はあるが十分間に合う時間だ。
平の小屋から黒四ダムまでコースタイム3時間、念のため小屋で所要時間を尋ねると2 、3時間見ればいいという。
奥黒部ヒュッテ〜平の渡しをコースタイムの半分で歩いたのだし、これからはダム湖畔に沿った平坦道であろうから、うまく行けば2時ころには黒四ダム堰堤着と読んで小屋を後にした。
平の小屋〜黒四ダムも標準時間の半分で歩けると思ったのは、これまた大間違いだった。

複雑に入り組んだ入り江を大きく迂回したり、あきもせずに繰り返す高巻きには、さすがにうんざりして来た。歩けども歩けども巨大なダムの堰堤は見えて来ない。1時間30分経過、2時間経過・・・。もう到着していいはずだ。木梯子は脚が交互に上がらず、一段ごとに脚をそろえて昇る始末。
黒四ダムの堰堤が見えてきて、もう一息かと思ったのに、道はまた入り江を高巻いてダムからどんどん遠ざかってしまう。
木橋の架かる大きな沢のそばで、そろそろ黒四ダムが近いと見当をつけて、裸になって体を拭き新しい衣服に着替えた。あと10分か15分と思ったダムはまだ遠かった。水流の沢を一つ、二つと渉り、いったいどうなっているんだ、そんな思いで歩いて行くと、ようやくロツジクロヨンの前に出た。ダム堰堤はすぐ先かと思ったら、ここからさらに30分近くもあった。

初日、水晶小屋まで入っていれば、今日の行程ももっと楽だったろう。
2時にはダムに着けるだろと楽観したのは、とんでもないことで3時間近くかかって3時15分だった。
ダムについたとたん、安堵感から足裏のマメが痛みだした。今日中に帰京しようと頑張り過ぎた。
観光客の中を脚を引きずってトロリーバス乗り場へ直行。扇沢から大町駅へ。16時37分発のあずさで当夜帰宅した。  

それにしても、野口五郎岳から黒四ダム、コースタイム17時間を11時間で歩いてしまったのだ。その上当日東京の自宅へ帰宅というのは、 いくら健脚とは言えハード過ぎた。そんな反省とはうらはらに会心の山行、完全燃焼の山行に心は満ち足りていた。
コース案内については別途HP(300名山踏破の軌跡)の「山岳別アドバイスも参考にしてください。