追想の山々1084  up-date 2001.08.13

十勝岳(2077m)美瑛岳(2052m) 登頂日1990.08.08 晴 単独
日高町===望岳台(6.45)−−−十勝岳(8.55-9.05)−−−美瑛岳(10.30-40)−−−下山道合流(11.10)−−−ポンピ沢(11.30)−−−望岳台(12.40)===狩勝峠===トムラウシ温泉野営場
所要時間5時間55分  1日目 ****** 2日目 ****** 3日目 ****
   1990年・北海道の山旅(その3)=(53歳)
激しい雨裂を見せる十勝岳

早朝5時、日高町の宿を出た。昨夜は激しい雷雨が長時間つづいた。  

道標を確かめながら望岳台に向かう。川の水が赤土をかき混ぜたような色をしている。
十勝岳温泉への道を見送り、望岳台への間道へ入ると、しばらく走ったところで望岳台へ通じるゲートが閉鎖されている。望岳台へ行けないと計画が目茶目茶になってしまう。ゲートに道路管理の職員がいた。聞いてみると昨日の集中豪雨で道路が一部水没したため閉鎖したとのこと。これから状況を確認に行くのだという。
私の自動車のナンバーを見て 「東京からですか?とりあえず後をついて来て下さい。もし通れなかったら戻ってもらいますが」 ということでゲートを開けてもらった。再びゲートが施錠され、ジープの後に従った。土石が橋脚を埋めているところもあったが無事望岳台側へ抜ける事が出来た。あの場面で折よく職員に出会ったのが幸いだった。

望岳台着6時半、まだ早いせいか人影はない。望岳台から上は霧で何にも見えない。妻を残して一人十勝岳へ出発する。
緩い勾配を歩き始めると、道は流石の散乱する河原さながらに荒れ果てている。昨夜のすさまじい豪雨で土砂が流され、どこが登山道か見当がつかない。左に見えるリフトを目印にして登って行く。深くえぐれた亀裂を渉ったりしてリフト終点まで来た。上を見ても下を見ても、ただ霧が見えるだけ。  
リフト終点からは勾配も急になり、相変わらず道ともわからぬ斜面を登って行く。上空の霧が晴れ一瞬青空が顔を覗かせる。避難小屋がすぐそこにあった。ここまで高度差300メートル、 所要時間30分余、まずまずだ。  

昨年の噴火により避難小屋からコースが変更されて、小屋裏の涸れ沢を左に大さく迂回して急な登りとなる。  
雨の被害はさらに激しく、道はずたずたに流され見る影もない。荒れた斜面を残されたペンキ印を頼りに登る。霧が動いて急速に青空が広がり出した。青空に白く噴煙がたなびいている。ツタヅ岩と書かれた大岩を通過。豪雨の生々しい爪痕が雨裂となって至るところに走る。やがて稜線を間近にしたざくざくの火山砂礫地となる。一歩登って半歩ずり下がるような急登に喘ぐ。左手に美瑛岳が姿を現した。今まで惜しむように霧の中に姿を隠していただけに、あっと言う間に晴れ上がった空の下に現れたさまは、まさに演出効果満点だった。そして右手高く火山特有の鉄錆色をした十勝岳が山頂を突き上げていた。

十勝岳山頂
噴煙が目の高さになってやっと砂礫の胸突く登りが終り台地状の稜線に立った。草木一本ない乾燥した火山灰の斜面が広がっている。ガスに巻かれたら方向を失う恐れがありそうだ。
美瑛岳、鋸岳、十勝岳の展望を目にしながら、しばらくは平坦な火山灰地の稜線を進む。異様な乾燥地帯はまるで月の砂漠だ。
十勝岳への鼻のつかえそうな急登にとりつく。まず雨で大きくえぐり取られた深い亀裂を越える。崩壊しそうな側壁に怖々と足をかける。しばらく深さ3メートル以上はあろうかという雨裂の縁を行くが、砂地がいつ崩れるかとびくびくする。昨日の雨の激しさを思う。崩れたら砂と一緒に埋まってしまうだろう。豪雨の前にはそれでもきちんとした道があったのだろうに。  

危険地帯を通過したあとは、亀裂の中を選んだ。砂だけが流され、その下の堅い部分が露出してむしろ歩きやすい。その代わり傾斜はまるで壁をはい上がるように急だ。 
悪戦してやっ と肩に出ると岩石の中にロープが張られ、頂上へ誘導していた。
頂上付近はまた霧が去来して風が冷たい。ロープ沿いにひと登りすると十勝岳の頂上に到着、山頂は岩の塊だった。
三角点標と山名表示がたっている。雲が邪魔して展望はない。岩陰で寒い風を避けひと休みしてから美瑛岳へ向かった。

美瑛岳から十勝岳(左)と富良野岳(右)をのぞむ
美瑛岳へのコースも霧が去来している。だだっ広い砂礫の中のルートを、わずかの晴れ間に素早く目に焼き付けた。何もわからずに草木一本ないあの砂礫の中、目隠し状態で方向を見失ったら大変だ。不安が募る。
十勝山頂から岩の道を急降下する。こっちへ向かって来る高校生のパーティーがあった。この辺りは雨の被害も少なく、ゆるい下りは踏み跡も比較的はっきりしていた。霧も案じたほどでもない。
しかしそれもつかの間、再び濃い霧に視界を閉ざされてしまった。踏み跡がわからない。霧を透かして方向を見定めると、左方に棒抗が見える。見落とせばそのまま直進してしまうところだった。火山灰地の中にイワブクロが一株。
どうもルートがはっきりしない。濃淡に変化する霧の中に棒杭を探す。頭の黄色い杭だけが頼りである。霧の薄くなるのを待って次の杭を探す。流されかかった杭もある。  
足首まで埋まるような火山灰の急坂は、完全に登山道が消失し、無数の雨裂が走っている。辛うじて識別できる先程のパーティーの足跡が頼りである。  
不安を感じて戻る事を考える。無理をする必要はない。そう思いながら杭の見えるのを待つ。薄ぼんやりとした杭が見える。またそこまで進んでみる。『高校生が歩いたのだ、大丈夫だ』そう自分を励ます。
たいした時間ではなかったが、長い時間霧の中を歩いた気がした。さきほどより霧が薄くなって砦のような険しい岩山が左上に見えて来た。鋸岳らしい。十勝岳から200メートル近い標高を下った地点にいるわけだ。その分霧が薄くなったのだろう。美瑛岳との最低鞍部はもうすぐだ。
砂礫地からしっかりした登山道に変わりほっとしたころ、前方に晴れ上がった青空が目に飛び込んで来た。 
悪路を無事に通過し、左に鋸岳を見ながら稜線通しに鞍部につくと、再び蒼々とした空に変っていた。登山道脇には高山植物が咲き乱れ、舞台は大転換した。  

 
美瑛岳山頂 美瑛岳 
鞍部からは岩の登りとなる。十勝岳方面の霧も見る見る雲散霧消して雨裂の縞模様も鮮やかな十勝岳があった。岩稜の美瑛岳とその向こうにオプタテシケ山、遥かな大雪連峰の中にトムラ ウシ山もあった。
美瑛富士へ直進する道を見送り、岩頭を巻くようにして左の岩場を登れば美瑛岳の頂上だった。巨岩累々とした頂上は絶好の展望台であった。
地獄を思わすボンピ沢の赤茶けた谷、無機質に聳える十勝岳、美瑛富士は目の前、オプタテシケの三角錐はほれぼれする。トムラウシ、旭岳。

大パノラマに満足して山頂を辞した。
下山はピークの岩場からストレートにポンピ沢目指して下る。岩轢の道がやがてハイマツ帯となり花も多く目につくようになる。このコースは砂礫でないため、雨の被害は少ないようだ。登山道の点検員らしい二人が速足で登って行った。  
ポンピ沢で顔を洗い汗を拭う。美瑛岳がはるか上にあった。  

予想もしない難所に突き当たった。
潅木帯の登りとなりしばらく行くと大きな溝が立ちはだかっている。その溝は雨が降ると山腹の水を集めて流れ下る水路のようだ。今は水はない。その流水路が豪雨でさらに大きくえぐれ、どうやって対岸に渉ればいいのか見当がつかない。
溝の近くで道が消えている。溝の幅は7〜8メートル、深さは4〜5メートルもある。側壁は垂直に切れ落ち、砂地のその壁には足がかりもない。上流、下流に目をやってみるが渉れそうなところはない。どこまでも下流に行ってみるか。あるいは美瑛岳、十勝岳と元の道を引き返すか。これから何時間もかけて戻るなんてそれは無理だ。下流に行っても下手をすると道に迷ってしまうだけだ。  
うろうろしながら何とか渡れる場所をと探した。溝の中に降りられれば、あとは何とか登れそうなところがある。岩が少しばかり出っ張ったところを見つけた。通常はそこがルートになっているように思われる。途中で転落してもそう大怪我になることもあるまい。ここしか通過できる地点はないと決めて、慎重に壁を降りる。最後2メートル程を飛び降りると、ざらざらと壁が崩れ落ちた。  

ポンピ沢の流れでで汗を流す
辛うじて溝を渉った先が雲の平という散策路でメアカンキンバイが美しい。目を引くのは大柄なエゾオヤマリンドウの群落だった。
リフト終点で登りのときの道に合流する。
妻の待つ望岳台へ帰着したのが12時40分。9時間40分のコースを6時間で歩いた。荒れたコース条件を考慮すればよく頑張ったと言えるだろう。
管理人らしい人が、山は集中豪雨で道が消えてしまい、初めての人はとても歩けない。それに今日はガスっているようだから危険だというようなことを言っていたという。それを聞いて妻はずいぶん心配して待っていた。。  

新得町から今夜の宿泊地トムラウシ温泉野営場へ向かった。