追想の山々1086  up-date 2001.08.16

猿ケ馬場山(1875m) 登頂日1996.04.28 単独
白川村荻町合掌集落(4.50)−−−林道から尾根取付(5.30)−−−林道横断(6.30)−−−尾根上1178m(7.00)−−−休憩10分−−−帰雲山(8.50)−−−猿ケ馬場山(10.00-10.20)−−−休憩10分−−−帰雲山(11.10)−−−1178m(12.10)−−−林道横断(12.25)−−−林道(13.00)−−−合掌集落(13.40)
所要時間 8時間50分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
   コンパスを頼りの残雪期登頂=(59歳)
広々とした猿ケ馬場山頂上


猿ケ馬場山も日本三百名山踏破への難関と考えていた。登山道の拓かれていない猿ケ馬場山へ登るのは残雪期しかない。
例年にない多雪の影響で、残雪もまた多いという。そんな条件下、不安が大きかった。
ガイドブックの類いも皆無。山岳雑誌などでわずかな山行記録を参考にする程度。それも年ごとに残雪の状況などが違うから、その情報をうのみにして行動するわけにはいかない。登山の取りつき点一つさえ判然としない。  

猿ケ馬場山に登る登山者の多くは、登頂経験者や地元の精通した人の指導やアドバイス、または引率によって登っているようだ。私の頼りは2万5千 分の一の地図と体力だけ。事前に白川村宛に情報提供を求めて見たが、役に立つものはなく、ただ予定していた林道が除雪前で、自動車の進入不能ということがわかっただけだった。  
地図を綿密に検討して私なりの登路を定めた。それは荻町合掌集落のはずれの林道から入って2キロ行く。そこで尾根伝いに1178メートルポイントへ登り、北東へ派生している主尾根へ取りつこうというプランを立てた。薮は?雪は?重要なことが何ひとつわからない。この尾根を選んだ理由は、林道からの取付が比較的わかりやすそうだということだけだっ た。  

昨日確認しておいた林道入口まで、妻に送ってもらう。  
4時50分登山開始。自動車通行止めの表示はないが、残雪がそのままで通行は無理だ。残雪に何日か前の薄い足跡が確認される。
登り勾配の林道を約40分、ヘアピンカーブを過ぎた先、高度計が700メートルを指そうとする付近で目標の派生尾根の末端を確認する。雪に赤布を立ててから尾根へ取りついた。コンパスを144度に合わせる。最初は地肌の部分が多い。薮も心配したほど密ではない。それも笹薮ではなくて潅木だから、隙間があってたいした抵抗もなく登って行く。  
快晴無風、気温も高くて絶好の登山日和、稜線上の見通しも良好まちがいなし。今回は偵察のつもりだったが、うまく行けば山頂制覇も可能かもしれない。  

頻繁にコンパスで方向を確認するが、尾根筋はほとんどぶれることなくコンパスどおりに延びている。しばらく登ると杉植林帯となり、はっきりした踏み跡に合流した。森林作業道と思われる。薮を分けるのに比べれば比較にならないほど楽になっ た。  
標高850メートル付近、尾根が屈曲するあたりから雪が多くなって来た。地図を確認してコンパスを120度に修正、1178メートルポイントをめざす。次第に地肌は見えなくなって道は雪の下に消えて行った。ときおり赤布をつけながら忠実に尾根を行く。  
偵察行のつもりはすっかり忘れて、思いは猿ケ馬場山々頂へ馳せている。ときおり褪色した布片を発見する。かつてこのコースで山頂をめざした人のあったことを物語っていた。私がこのコースを選定したのは誤りではなかった。  

林道から尾根にとりついて1時間、予期せぬ林道へ飛び出した。この林道は地図には載っていない。どこから来ているのか見当がつかないが、もしかすると今朝ほどたどった林道の延長かもしれない。  
林道を横断したとろから林床は雪の世界に変わった。美しいブナ林が広がり、幹の根元に空いた穴をのぞくと、深さは2メートル以上もある。  
尾根を外さないように気をつけながらも、なるべく歩きよさそうな斜面を選んで行く。急斜面はキックステップを繰り返す。  
立ち止まって周囲の地形を確認し、コンパスと併せて進路を確認するという基本動作を励行する。低木はすべて雪の下に隠れ、ルートを自由に選ぶことができる。ブナの根元に空いた穴と、芽だし前の樹林の光景がすばらしい。
自分の足跡が残るので下山の心配はないと思うが、気温の上昇で消えてしまうこともあり得る。安心は禁物だ。心配なところでは赤布を忘れないように残しながら登って行く。急な登りがつづくが、緊張しているためかあまり疲労を感じない。
尾根がやや複雑になってわかりにくいところもあるが、そんなときは高い方の尾根を目標に登って行くと、予定のコースを外れることはかった。  

高度計を見るといつの間にか1178メートル点を通過していた。コ ンパスの進路も南方向へ大きく変わっていた。  
急なブナ林の登りはまだつづく。突如、本当に突如という感じで予期せぬ一筋の足跡に出会った。高度計を見ると間もなく1336メートル点に着こうかというところである。私とは別のルートで歩いた跡だ。足跡の様子から昨日のものと推測される。下りの足跡の方がはっきりしていて、2〜3人のものと思われる。天生峠から猿ケ馬場山を登頂して、こちら側へ下って きたものだろう。ということはこの足跡をたどれば猿ケ馬場山へ行きつくということだ。トレールは雪が蹄まっていて、一人ルートファインデイングをしながらキックステップで登ってきたのに比べれば、ずいぶん楽になった。  

樹相は相変わらずブナの原生林であるが、はっきりと稜線上に乗ったことがわかる。  
どこが1336メートル地点だったのだろう。傾斜が緩んできたのを見るとすでに通り過ぎてしまったようだ。  
左に黒木の山体が見えて来た。それはおおらかでゆったりとした頂稜だった。コンパスを合わせるとそれが猿ケ馬場山だった。ようやく手の届く距離に憧れの山をとらえるところまで来た。  
足跡はほとんど平坦となった広い尾根を、ブナの間を縫うようにして大きく右に湾曲して行く。樹林が途切れて広大な雪原となり、一気に展望が開けた。雪原の平坦地で初めて本格的な休憩にした。時刻は歩きはじめて3時間余、午前8時を回ったところ。ここまでは順調そのものでおおいに満足しながら朝食のお握りを食べたり、足に絆瘡膏を貼ってマメの手当をしたりして15分の休みをとった。目の前には帰雲山、その先にはこんもりとした、むしろ鈍重とも言える猿ケ馬場山を望める。猿ケ馬場山は二重に重なった山稜の手前が三角点峰、奥が最高点の本峰であろう。明瞭な足跡が雲帰山へのルートを示し、上部でブナ林の中へ消えてい た。

帰雲山
風は少し冷たいが、上空は雲ひとつない快晴。さあ行こう。腰を上げる。  
小さなピークをひとつ越え、雪原の鞍部からキックステップをきかせて急斜面を登って行くと、再びブナの原生林へ入った。間もなく帰雲山だった。稜線上の一地点に過ぎないような平凡な山頂で、ブナに囲まれて眺望はない。山頂の東隅に数本のアンテナと小屋があった。  
帰雲山は1585年、大地震により崩壊し、ふもとの城下町を一瞬のうちに埋没させ、死者数千人を出したということでその名を知られている。順調に行けば山頂まであと1時間半というところだろう。休まずに先へ向かった。  

帰雲山から方角を90度変え、わずか下ってから山頂へ向かっての登りとなる。それほどきびしい登りではない。  
稜線上を忠実にたどる私の設定コースとちがい、足跡は沢状のル ートをとったり、またトラパース気味に行ったり、やや複雑な動きをしているが、もう地図を確認することもなく、ただ足跡を拾って行動した。よく観察すると地図では知れないちょっと複雑な地形になっていて、足跡がなかったら迷いやすいと思われる。  
樹相は帰雲山の先でダケカンバに変わり、やがてシラビソの混成林となり、高山の様相を呈して来た。  
近づく山頂を前にして、たかぶる気持ちを鎮めるように、シラビソ樹林の途切れた雪上で小休止をとる。ダケカンバが消え、後は雪上に先端2メートルほどをあらわすシラビソだけの世界に変わった。気がつくと背後には優美な白山の山容が競り上がっていた。  
シラビソの存在もまばらになり、やがて傾斜がほとんどなくなって眼前に広い雪原状の空間が展開した。ついに来たのだ。誰の手も借りず、猿ケ馬場山の広大な山頂の一角に立つことができたのだ。1827メートル三角点は4〜5 メートルの深い雪の下、確認することはできない。

最高点1876メートルはもう少し先だった。  
猿ガ馬場山はまだ遠い
ゆっくり足を運んで、山頂到着は10時。私一人の力では及びもつかないと思われた山頂に、今こうして自力で立つことのできた喜びが体一杯に広がった。  
ここ何年にもわたり、どのようにして登ったらいいだろうか、思案を重ね、ときにはどこかの山岳会にでも入って、そのチャンスを得ようと真剣に考えたこともあった。山岳雑誌等の小さな情報でも役に立つものはないかと細心の注意を払って来た。しかし結局のところ自分の力しかないことがわかっただけだった。恋い願いつづけてきた年月を思えば、まだ帰路を残しているとはいうものの、今こうして無事山頂に立てた感激はひとしおのものがある。  

シラビソの技にでも、山頂を示す表示の一つくらいあるのではないかと探して回ったが、それらしいものは発見できず、最初は本当にここが山頂かと疑ったほどだった。広い円頂の最高点らしいところを山頂と決めて記念写真を撮った。  
山岳展望も一つ一つ山名を指すのは地図を見てもなかなかむずかしい。はっきり確認できるのは白山、別山とそこから北へ連なる三方岩岳、 笈ケ岳、大笠山など。北には特徴もなく見わけにくい峰頭が連なるが、人形山や金剛堂山方面であろう。そして東方目前に天生峠からのルートのある籾糠山。  
人っ子一人いないがらんとした山頂で、景観をしっかり目に焼き付けてから、再び訪れることはないであろう山頂に思いを残して帰途についた。  

雲帰山への途中、登って来る単独行の男性に出会い、ルートの情報交換をする。彼は合掌集落のどぶろく神社背後の林道から登ってきたのだったが、そんなルートがとれるのを、事前準備の段階でまったく思いつかなかった。登りの途中で足跡に合流したしたのも、多分そのコースからのものと推測される。  
さらにガイドらしい人に引率された中高年の10人ほどのパーティー、次は雲帰山で10人ほどのグループ、さらに二人の登山者。  
私ももう少し遅い時間に登れば、ルートもしっかりしてもっと楽に歩けただろうが、苦労が多ければそれだけ満足感も大きいから同じことか。
下りはやはり早い。足跡どおりにまるで砂走りでも下るように、雪をクッションにしてどんどん駆け下って行く。赤布の回収も忘れない。

地肌のあらわれた地点まで下ると、登って来たルートが判然としなくなった。コンパス確認も面倒になって、ダム湖を目がけて行けば林道へ出ることがわかっていたから適当に下る。降りた立ったのは林道取付点から1キロほど離れていた。
 
コース案内については別途HP(300名山踏破の軌跡)の「山岳別アドバイス」も参考にしてください。