追想の山々1089  up-date 2001.08.31

白石山(和名倉山)(2036m) 登頂日1992.04.28  晴 単独
東京自宅(3.15)===三之瀬(6.00)−−−牛王院平(7.25)−−−東仙波(8.30)−−−焼小屋の頭(8.45)−−−八百平(9.45)−−−白石山(10.00-10.10)−−−休憩20分−−−東仙波(12.05-15)−−−将監小屋(13.30-40)−−−三之瀬(14.50)
所要時間 8時間50分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
  残雪と踏跡不明瞭なコースを行く=(55歳)
中央奥が白石山・・・西仙波より
白石山は和名倉山ともいう。日本三百名山に選定されてはいるが、意外と地味な山である。  
雲取山から金峰山へ連なる奥秩父連峰の中にあって、その主稜から北へ外れているために、訪れる登山者も少なくひっそりとしている。私の登った日も、一日中だれにも会うことがなかった。  

三之瀬のキャンプ場に車を置いて出発する。途中将監峠への道と別れて、直接牛王院平へ向かう。500メートルの高度を稼いで奥秩父縦走路に登りついたところが牛王院平だ。  
縦走路を将監峠とは逆方向へ5分ほど進むと、白石山への分岐『山の神土』である。白石山へ向かう道ははっきりしている。ときおり雪が道を隠しているが、心配するほどのことはなさそうだ。だが雪がないと推測してジョギングシューズを履いてきたので、この先もし雪が多くなればちょっと難儀するかも知れない。

リンノ峰は北側を巻くが、かなりの残雪である。踏み抜いて大腿部まで没したりして、前途が思いやられる。  
山の神土から1時間弱で西仙波のピークに立つ。アップダウンを繰り返す稜線のずっと先に、ゆったりとした白石山が見えた。それはやけに遠くに見えた。あそこまで行って、また帰って来るのは途方もない距離に思われた。白石山は二日をかけて登頂するのが普通だという。

東仙波ピークからの下りも雪の中だった。正面に白石山を眺めながら、登ったり降りたりを繰り返す。山火事と皆伐により裸にされた稜線からは眺めがいい。伐採木の搬送に使用されたらしい赤鋳びたワイヤーの残骸が延々と残されている。  
雪に足を取られ、目指すピークへの到達は難しいかもしれないと弱気になる。

最後のピークから赤布を頼りに高木の原生林へ入る。踏み跡は消えかかり、ときには雪がそのかすかな踏み跡をも隠している。頼りの赤布を見失ってしまい、しばらく行ったり来たりしてコースを探す。『八百平』のプレートと白石山への標識を見つける。
川又コースから登って来たらしい足跡が見える。標識からは踏み跡が明瞭になってほっとする。

残雪の白石山山頂
木の幹に打ちつ けられた『二瀬』を示すプレートを見て、そのまま10メートルほど直進、何げなく振り返ると二瀬の外にもうひとつプレートが見えた。念のため戻って確認すると、もう一つのプレートの方が白石山を示していた。トラバースするようにつけられたコースには、赤布が要所要所につけられている。冬枯れの茅の草原を横切り、さらにもう一回草原を横断してコメツガの林に入る直前で白石山を示す小さな道標がある。道のない樹林の中へ分けいる。
薄暗いコメツガの密生を、身をよじるようにして樹々の間を擦り抜けて行く。一歩ごとに足が雪に沈む。  
数平方メートルの空間に出た。雪がこんもりと堆積している。そこが山頂だった。コメツガの幹にぶら下がる小さな板切れには『和名倉山』と読めた。苦労してたどり着いた山頂に喜びが溢れる。眺望も何もない取れ残されたような空間は、出口のない袋小路のような山頂だった。ときおり小鳥の囀りが静寂を破っているのみだった。
三角点は雪に埋もれていた。  

草原まで戻って、暖かい日差しを受けながら休憩。甲武信、破不山、国師、金峰、 笠取、飛龍山などがのぞめた。
八百平まで戻り、しばらく赤布を目印に、来たときと同じ道を忠実に歩いていたが、樹林の中でどうしても赤布が見つからなくなってしまっ た。ルートヘの不安が頭をよぎる。見当をつけて道を探っていると、運よく雪の上に残された自分の足跡に出会うことができた。

牛王院平からは将監峠を経由して下山することにする。将監峠から3〜4分下ったところに将監小屋があった。雲取山方面から 縦走して来たという登山者が一人、小屋の前に座っていた。今日始めて会う登山者だった。   
バイクのタイヤ跡が残る緩い勾配の道を三之瀬へ向かって下った。
けっこう残雪が多くて、ジョギングシューズは少し軽率だったような気がする。
コース案内については別途HP(300名山踏破の軌跡)の「山岳別アドバイスを参考にしてください。