追想の山々1092 up-date 2001.09.02
南暑寒荘(4.00)−−−第二吊橋(4.25)−−−雨龍沼(5.05)−−−展望台(5.50〜 6・00)−−−南暑寒別岳(7.05〜10)−−−暑寒別岳(8.35〜40)−−−南暑寒別岳 (10・00)−−−展望台(10.50)−−−雨龍沼(11.20)−−−第二吊橋(11.50)−−− 南暑寒荘(12.00) | |||||||
所要時間 8時間00分 | 1日目 ***** | 2日目 **** | 3日目 **** | ||||
1992年・北海道の山旅(その1)=(55歳)
前夕、フェリーで苫小牧港へ着いた。 翌朝ビジネスホテルを未明に出て暑寒別岳を登る計画だったが、台風崩れの低気圧の影響で激しい雨が予想される。渡道第一座目から出鼻をくじかれてしまい、この日は南暑寒荘に入るだけとして、暑寒別岳登頂は翌日に変更。 苫小牧から雨の降り続く高速道を走って滝川IC、R275で新十津川村そして雨龍町へ。ガソリン給油、食料を購入して尾白利加川沿いの林道をさかのぼって南暑寒荘へ向かった。林道はよく手入れされて何の心配もなく、通行止ゲート手前の駐車場に入った。 ここでテント泊の予定だったが、こやみなく降りつづく雨と、大雨洪水注意報を考えて『南暑寒荘』への宿泊を申し込んだ。管理人は「雨がひどいようだったら町まで下りてもらうかも知れませんよ」とことわりを言って手続きをしてくれた。オープン2年目の山荘は、外観はもとより中も清潔そのものだった。素泊まり専用の山荘だが、温水シャワーの設備までついて500円は安すぎる料金だった。 居心地いい南暑寒荘の夜、窓からは星空が見えていた。台風一過、 好天の期待に胸を膨らませて、また寝についた。 未明3時前、遠く雨龍町の灯火が瞬いている。やや風はあるようだが、まずまずの登山日和と思われた。 午前4時。既に足元は明かりを必要としないほどに白んでいた。北海道の夜明けは早い。妻と二人、まだ寝静まっている山荘を後にした。 山荘から10分余で林道が終わり、吊橋でペンケベタン川を右岸にわたって山道に入る。しばらく登高すると『白竜の滝』道標に導かれ滝壷近くまで降りて滝を見物する。ごく平凡な小滝だった。 滝を過ぎて登山道に戻り、もう一度左岸に渡り返してから本格的な登りとなる。期待に反して雲量が多く、思いのほか青空の広がり具合の遅いのに苛立ちながらも、早朝の山の大気を胸いっぱい吸い込んで足を運ぶ。 明るく開けた笹原の広がる高原的な景観に変わると、そこはもう雨龍湿原の一角といってもいいところだった。北海道の尾瀬にたとえられて、その存在が急速に知られるようになって来たということだ。 笹原を抜けると霧に中に浮かぶ湿原が目の前に広がった。 『雨龍沼』の標柱が立つ大きな沼には、さざ波がたっていた。無数の池塘が点在し、木道の延びる景観は尾瀬ケ原そのものであった。雲間から南暑寒岳の左半身がうかがえる。 湿原の朝風に吹かれながら一本道の木道をたどる。花の季節は過ぎたのか、もともと少ないのか、タチギボシの紫花が目立つくらい。池塘の水面にオゼコウホネが浮いていた。 30分余で霧の湿原を横断すると、南暑寒岳への登りにとりついた。丸太で土止めした階段から、急登ひと登りで立派な展望台に着く。限下には今歩いて来た湿原が、薄く霧のヴエールをかけて広がり、鏡片を散らしたような大小の池塘が鈍く輝き、一本の木道が細い筋となってうねっていた。これがさんさんと降り注ぐ太陽の下にあったら、さらに倍加して美しくあろうと思われる。
雲に巻かれた山項からの展望はまったくない。主峰暑寒別岳をはじめ、利尻山までもと期待していた展望は、ただ想像するのみであった。 ここから暑寒別岳往復は道が険しい上に、往復5時間を要する。妻の足ではやや負担が重く、私一人暑寒別岳へ向かい、妻はのんびりと南暑寒荘へ戻ることにして別れた。 暑寒別岳へはいきなりがれた急降下から始まった。200メートルほどの高度を下って笹の刈り分けの平坦道がしばらくつづく。なだらかな緑の斜面に、霧を透かして水面の輝きが映る。池があるようだ。勿論これは雨龍湿原ではない。窪地には残雪も見えてようやく高山植物も顔を出して来た。特にアキノキリンソウはほとんど途切れることなく暑寒別岳までつづいていた。 霧に見え隠れする二段の高みへ向けて登って行く。南暑寒岳へのゆっ たりとした登りと違って、暑寒別岳へはいくつもの厳しい登りを繰り返 して近づいて行かなくてはならなかった。 いつか霧は雨と風を伴い、雨具の上から寒さが伝わって来る。ヒグマにも注意を払わなくてはならない。ときどきあらわれるお花畑に張りつめた気持ちを和らげながら、ときには痩せ尾根の岩稜、あるいはそぎ落ちた薙の縁では足元に気を配って暑寒別岳本峰を目指す。 本峰と見られる盛り上がりの手前、去来するガスを通して荒々しい岩壁が潜んでいるのが見える。優しく穏やかな山容しか想像していなかった山の、もう一つの険しい側面を見た。 山頂への最後の登りを控えた窪地状の草原は、風も遮られて小さなお花畑となって、チングルマやヨツバシオガマ等が咲き競っていた。しばらく花を楽しんだ後、岩稜をひと登りすると暑寒別岳の頂上だった。1500メートルにも満たない標高ながら、山頂は寒い風が吹き抜けとても真夏の気候とは思われない。眺望もゼロ。 狭い岩稜のピークには立派な標名坂が立っている。それに並んで記念の写真を撮る。展望盤もあるが雨に濡れて字が読めない。一等三角点標石を確認して、寒さを逃れるように山頂を辞した。 暑寒別岳を後にして南暑寒岳へ帰る途中、ほんのいっとき雲が切れて南暑寒岳が姿を見せてくれた。何にも見 えずに終わったのでは、遠くから訪ねて来た登山者が可哀想というもの、神の憐憫の情だったのかもしれない。しかし主峰の暑寒別岳は最後までその姿を見せてくれなかった。 南暑寒岳から暑寒別岳への往復は2時間50分、コースタイムのほば 半分の時間だった。この間一人の登山者にも会わなかった。 雨龍沼を抜けて下りにつくと、 途中東京からの中高年男女の団体20名ほどが登って行った。 南暑寒荘には先に下山した妻が待っていた。昼食後、ようやく日の差し始めた山荘を後に、大雪オプタテシケ山登山口の白金温泉へ向かった。 旭川から美瑛町を経由、白金温泉野営場到着は午後4時だった。野営場には東京をはじめ遠近のナンバーの自動車が並び、色とりどりのテントが並んでいた。私たちもテントを設営してから温泉に浸かりに行った。 |