追想の山々1093 up-date 2001.09.02

オプタテシケ山(2013m) 登頂日1992.08.11 単独
白金温泉(4.45)−−−林道入口(5.00)−−−登山道入口(5.30)−−−美瑛富士避難小屋(7.50-8.00)−−−ベベツ岳(8.40)−−−オプタテシケ山(9.25-40)−−−ベベツ岳(10.20)−−−避難小屋分岐(10.50-11.00)−−−美瑛岳分岐(11.20)−−−−ポンピ沢(12.05)−−−望岳台(13.20)===白金温泉野営場
所要時間 8時間35分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
   1992年・北海道の山旅(その2)=(55歳)
オプタテシケ山と遠くニペソツ山方面をのぞむ
オプタテシケとはアイヌ語で「槍がそれた山」という意味だという。

今回の北海道山旅を機にドーム型の大きなテントに変えた。洗腸作業も楽で、快適な夜を過ごした。

朝、4時45分白金温泉野営場を後にオプタテシケヘ向かう。『日帰りはまず無理である』というガイドブックの記事を気にせず日帰りの軽装。
当初の計画では妻も一緒に登り、美瑛富士避難小屋に一泊して翌日オプタテシケを登頂するつもりだったが、渡道一日目が雨でつぶれてスケジュールが狂ってしまった。日程を追い付くために単独日帰りを敢行することにした。日帰敢行と大袈裟なことを言っても、私の足なら心配することはない。その間、妻には望岳台から雲の平付近の高山植物観賞散策で時間をつぶしてもらう。  

野営場から国立青年の家の前の静かな舗装道路を行く。雲ひとつない空に十勝連峰のシルエットがくっきりとうかがえる。噴煙がゆったりと流れてい様子も見える。15分歩くと、美瑛岳登山口の標識の立つ林道入口だが、林道はゲートが施錠されていた。乗用車が1台止まっているのは登山者のものだろう。  
砂利道の林道が一直線に伸び、その先端に美瑛富士が青空に美しい容姿を見せる。林道は二分し、指導標にしたがって左手の支道に入る。支道を緩く登って行くと、山腹をかき上がるようにしてようやく山道へ入った。ゲートから1時間半のところである。笹の刈り払いもよくで きていて、これなら快適に歩けると思ったのは甘すぎた。2〜3日前の大雨の影響が残り、ぬかるみ、水たまりの繰り返しで、その上粘度質の黒土はつるつると滑ってどうしようもない。潅木の枝や、木の根にしがみついて腕力で登る場面が連続する。加えて潅木帯では朝露をまともにかぶり、上下の雨具を着用、防水帽までかぶる始末だ。とりわけナナカマドの朝露がひどい。夕立を浴びるがごとくで、ナナカマドを見ると足の動きが鈍るほどだ。  
矮樹の黒木と岩石の織りなす自然庭園風のところを通過するときは、 その見事さに思わず感嘆の声が出る。自然の造形とは実にたいしたものだ。  

樹高が低くなり、疎林に変わってくると高山植物が目につくようになる。累積する巨岩の岩頭を飛び移るような登りに変わった。眼前が明るく開けてきてようやく悪路も終わった。ここで始めて同年配の登山者に会う。私同様オプタテシケを日帰り往復だという。「頂上まで往復できるかどうか自信ありませんが」とつけ加えていたが、健脚者と見た。ゲート前の自動車の主だった。  

ベベツ岳から見るオプタテシケ
岩場から避難小屋は近いと思ったが、それからかなり歩きでがあった。
岩石に覆われた石垣山の姿が目に入って、高山植物の種類もさらに多くなって来ると、さしもの急登も緩んで、間もなく美瑛富士避難小屋だっ た。  
そこは稜線下部のハイマツと草原の広々とした空間だった。大雨により草原の中にはいく筋もの小さな流れができ、普通なら水場のない小屋なのに、しばらくは絶好の幕営ができるだろう。小屋の周囲にはテントが 3張り、小屋を覗くと中は酷いものだった。土間も板敷きも水浸しで、まるで洪水のあとのようだ。東京から美瑛町に問い合わせたときは小屋は十分使用できるという返事だったが、見るからにつぎはぎだらけで先日の大雨には耐えられなかったのだろう。もし計画通りこの小屋泊まりで妻と登っていたら、宿泊もできず大変なことになっていた。単独行の日帰りに変更したのは正解だった。  

小屋前の広場で一休みしてパンをかじり、流れの水をコップに掬って喉を潤してから石垣山の登りにとりついた。累々とした岩石、岩屑を踏んで稜線のコースを登る。この稜線は十勝岳からトムラウシ方面への縦走コースで、道の状態は良好、登山者の姿もちらほら見える。  
石垣山ピーク南側を巻き、鞍部へ下ってからベベツ岳への登りにかかった。三角錐のオブタテシケが迫ってくる。思いのほか早い時間に山頂に立てそうだ。  
ベベツ岳は特徴もない稜線途中の突起程度の頂だったが、そこに立つと目指すオプタテシケが急降下の鞍部を挟んで鋭く聳えている。冷たく感じるほどの涼風に吹かれ、快晴の稜線を気分よく足を運ぶと、小屋までのきつかった登りも忘れてしまう。  

ベベツ岳からは150メートル下って200メートルの急登が待っている。鞍部への下降取りつきのガレ場で突然キタキツネが現れた。餌をねだるように離れないので、ザックからパンを出してちぎって投げ与える と、ためらわずに食いついた。次を催促するようにじっと私を見ている。
通りかかった登山者に狐と一緒に写真を撮ってもらったり、 稜線に出てからはすっかり余裕が出て来た。
広い鞍部に降りてほっとする間もなく、 いよいよ最後の急登である。しかし所詮200メートルほどの登りは思ったほどのこともなく、オブタテシケ山頂に着いた。野営場から4時間4 0分だった。  

オプタテシケ山頂
美瑛富士避難小屋を拠点としたピストン組も去って、山頂は私一人のものだった。遠望した容姿そのものに、狭い山頂は独立峰のような趣があり、抜群の展望台である。しかし好天のわりには眺望はもうひとつで、旭岳を主峰とする大雪方面は綿雲にまといつかれていた。その雲の隙間からときおり旭岳、トムラウシなどが見え隠れする。間近には端正な美瑛富士と美瑛岳が縦に連なる。その背後遠くに夕張山地がかすむ。 群青色の石狩連峰ニペソツ山。  
爽やかな涼風に吹かれ、15分の滞頂の後帰途についた。  

3年前、十勝岳〜美瑛岳と歩いたとき、「もうひと足延ばせばオプタ テシケ山を踏めたのに」とも思うが、そのひと足を惜しんだ結果、またこうして訪れる機会を持てたとも言える。
山頂から一気に鞍部へ下りつくところで、オブタテシケを日帰り往復する言っていた同年配者が登ってきた。「早いですね」といわれたが、その人もなかなかの足達者である。

下山は避難小屋から再び往路を戻る予定だったが、あの悪路を思うと二の足を踏んだ。地図でコースの歩程時間を計算し、ちょっと遠回りにはなるが、美瑛岳コルから望岳台へ下るコースをとることにした。
避難小屋を右下に見送り、美瑛富士の山腹をつま先上がりに巻いて行くと、雪田末端部を通過するあたりで、一面華麗な高山植物のお花畑が広がっていた。さらにその先でも雪田を横断。毛花と白花の交じり会うチングルマ、アオノツガザクラ、エゾノツガザクラ、エゾシオガマ、イワブクロ、エゾツツジ、イソツツジ・・・・・ 枚挙にいとまがないような種類の豊富さに陶然。帰途このコー スを選んだ幸運に感謝して、花々を堪能させてもらった。

美瑛富士と美瑛岳
美瑛岳のコルには数人の登山者が休んでいる。ここから見上げる美瑛岳の岩峰は凄みさえ感じられる。時間があれば再びあの頂に立ちたいが、 疲れてもいるし3年前の思い出だけで我慢する。あのときも快晴で、十勝岳から大雪まで眺望が見事だった。
望岳台方面へは、荒涼とした山腹を、岩のペンキ印を頼りにトラバースして行くが、縦走路の南面はあれほどいい天気だったのに、美瑛岳コルから北面は濃い霧が充満していた。トラバース気味の道が、落ち込むように一気に下降すると、すぐに美瑛岳から直接急降下して来る道と合流する。ここからはボンピ沢を経て望岳台まで以前歩いた道である。
それにしてもボンピ沢までは、下っても下ってもまだ下りつづくような、長く急な下りだった。  
前回、集中豪雨の後で道が流され、渡るのに苦労した熔岩溝には、しっかりした鎖とロープがつけられ、苦もなく越えることができた。  
見覚えのある雲の平には、メアカンキンバイやエゾリンドウが同じ場所に群落を作って咲いているのを見つけて心ときめくような嬉しさを味わった。              
そしてリフト終点から望岳台への下りも、前回手の施しようもないほ ど荒れに荒れていたのが、いまはすっかり整備されて、コースも迷いようもない見違えるような道になっていた。  

もしかして望岳台には、雲の平あたりを散策した妻が、まだいるかもしれない。もしいればその自動車に乗って、白金温泉までの1時間余の歩きが省略できる。そんなうまい話はありっこないと思いつつも、もしやと期待しながら下って行くと、紛れもない私のテラノが駐車場にあるではないか。夢が現実に・・・・。妻は雲の平を散策して、今まさに望岳台から帰ろうとしていたところだった。
コースタイム15時間を、8時間35分で歩いたが、さすがに長い行程であった。    
白金温泉で汗を流し、強行軍ながら充実した一日に満足して、白金温泉野営場に帰着した。

大雨の被害で各地の道路が通行止めになっている様子だ。それでなくても私達の行く先は、すべて雨の被害を受けやすい山の中。念のため明日の天塩岳への道路状況を地元の役場に電話照会すると、 果たして予定の道路は愛別町の先で通行止めだった。しかし1時間ほど遠回りになるが、上士別町経由で行けば登山口の天塩岳ヒュッテまで入れることがわかってほっとする。  
洗腸のあと、明朝の早発ちに備えて早めに就寝した。