追想の山々1094  up-date 2001.09.02

天塩岳(1558m) 登頂日1992.08.12 妻
天塩岳ヒュッテ(8.05)−−−新道連絡分岐(8.30)−−−沢コース分岐(8.45)−−−水場(9.05-10)−−−前天塩岳(10.00)−−−天塩岳(11.15-35)−−−避難小屋−−−丸山−−−連絡道入口(12.50)−−−旧道コース合流(13.15)−−−天塩岳ヒュッテ(13.35)
所要時間 5時間30分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
   1992年・北海道の山旅(その3)=(55歳)
天塩岳山頂


夜明けを待って二泊した白金温泉野営場を後にした。
旭川まで戻り、士別町から朝日町経由で天塩岳登山口ヘ。旭川市郊外から、雲ひとつない日の出前の空に十勝連峰が藍色のシルエットとなって映しだされていた。鋭峰のオプタテシケが左端に、美瑛富士・美瑛岳・十勝岳とつづく山並みに、運転しながら目を離すことができない。  
国道40号、和寒町は濃霧の底に沈んでいた。『朝霧は好天の兆し』で、その心配を振り払う。早朝の和寒町を抜け士別町で国道と別れて朝日町岩尾内湖畔を走り、天塩岳ヒュッテへの指導標を見て林道へ入る。この林道との分岐で直進方向が閉鎖され、『愛別町方面通行止』の表示が出ていた。本当はこの道を来る予定だった。
砂塵をもうもうと残して林道を疾駆、工事現場の先で二分する林道をよく確かめもせず右の道へ進入する。木材運搬のトラック運転手に尋ねると道が違っていた。分岐に戻ると左にちゃんと「天塩岳ヒュッテ」の道標が立っていた。
緑のトンネルを走る心地で、分岐からたいした時間もかからずヒュッ テの建つ広場に到着。二棟の宿泊棟は天塩岳ヒュッテと、もう一つは営林署の小屋で、どち らも登山者が利用できる。自炊設備やトイレも整った登山基地だ。ジ ープと乗用車が1台、人の気配はなく、夏の陽が降り注ぐ広場は、ポカ ンとするような空間だった。北海道に渡って初めての真夏らしい天気に、今日はいい山歩きが適いそうだ。所要6時間強、標高差800メートルのコースは、妻にも丁度手頃といったところである。  

旧道登山口を示す大きな道標から登山道に入った。  
ほとんど勾配を感じさせない歩きいい道が沢伝いに延びている。清冽な流れ、染まるような深い緑、耳に快いせせらぎの音、二回ほど小橋で流れを渡り返すと、右手に新道コースへの連絡道が分かれている。我々は左手をさらに流れに沿って前天塩岳を目指した。  
ゆっくりした登りをつづけると、沢コースと前天塩岳へのコースが分かれる。沢コースを見送ってその先の水場で休憩にした。  
流れを手で掬って飲む冷たい水が、体中に染み通るようだ。妻は流水をそのまま飲む私を見て「大丈夫か」と聞く。都会育ちの妻には、町中を流れる川の水でも飲むような感覚しか持てないようだ。東京の水道よりよほど奇麗 だというという説明にコップの水を手にした。  

天塩岳
しばらく沢伝いに歩いたあと、いよいよ本格的な前天塩岳への急登に変わった。胸のつかえるような登りをひたすら足を持ち上げて行く。前方潅木の茂みが薄くなって明るさが増して来ると、稜線に近づいたことを知る。もう少し、あとひと頑張りと妻を元気づけて、涼風の吹く潅木帯上部へ抜け出た。  
しかしそこは稜線ではなく、岩礫と枯死したハイマツ帯の八合目とおぼしき地点だった。岩礫のすぐ上が頂上かと思ったが、傾斜が緩んだり強まったりしながら、何回も騙されながら見た目以上のきつい傾斜を攀じ、後方に遅れた妻を意識しながらも、ようやく傾斜が落ちつくと、すぐ先の一段登ったところに前天塩岳山頂があった。暑寒別岳、オプタテシケ山とハードな山行を2日続けたあとで、さすがに足に疲労を感じる。
2〜3分遅れて妻も到着。急登の取り付きから休みなしのワンピッチで登り切ったのは立派だった。
涼しい風に吹かれて、遮るものもない山項からの展望は、登りの苦労を忘れさせるに十分だった。眼前に天塩岳から丸山へと帰路に取る馬蹄形コースが一望できる。  

天塩岳の山頂には小さく人影がある。目標はその天塩岳である。もうひと頑張りしなくてはならない。
岩礫と白骨化したハイマツの中、天塩岳とのコルへ下る。下った分、登り返すことを考えると、早くコルに着いて欲しいが、なかなか最低鞍部にならない。  
コルに着いて天塩岳の山頂も近いと思えば足の重さも気にならない。天塩岳への登り、南側草つき斜面に高山植物を見ながら、ハイマツ帯、そして岩稜となって山頂の一角に立つと、三角点の山頂までは一投足だった。  
前天塩岳から見えていた登山者三人が、下山の準備をしながらも、私達の到着を待っていてくれた。カメラのシャッターを押してくれたりしてから、三人は沢コースへ下っ て行った。  
山頂からの展望は文句なかった。四周に見える山々はいずれも遠いが、大雪の山々ははっきりしている。石狩連峰、斜里、阿寒と思われる山影、雲上かすかに浮かぶのは方角からして利尻山以外考えられない。  

しばしの展望に時を過ごしてから、丸山経由の新道コースで下山にかかった。山頂からガラ場の急坂に妻は手こずっていたが、立派な避難小屋から丸山へは、ハイマツ帯の中を前天塩岳を見ながら手入れの行き届いた道をたどった。  
丸山を過ぎ、急な下りに入っても、相変わらず前天塩岳は付き合いよ くいつまでもその姿を見せていた。  
旧道コースヘの連絡道で今朝ほどの道に合した。あとは清流の瀬音を聞きながら天塩岳ヒュッテまで足を運ぶだけだった。  
この山行が今回の北海道山歩きの中で一番の好天であった。  

来たときと同じ道を走って、旭川市の手前で国道40号線と分かれて39号線へ。愛別町、上川町を経由、層雲峡青少年旅行村の野営場へ入ったのは、午後4時前だった。上川町あたりから行く手に聳え立って目を引く山があった。優しさと鋭さを併せ持った特徴的な孤峰、それが次に登るニセイカウシュッペであることが直感的にわかった。  
盛況の野営場で渡道5泊目を迎えた。  
明日の天気予報は全道的に雨。一日停滞となるのは痛いが、まだ日程上の遅れは出ていない。3座登った後の一日の休養もいいと言い聞かせて、あすは休日と決めた。予備日は3日ある。焦ることはない。

予報通り翌日は雨。
層雲峡青少年旅行村野営場にて一日停滞。明日のニセイカウシュッペ登山に備えて、自動車で林道がどこまで入 れるか偵察に行く。既に廃校になり夏草の茂る校舎の近くに林道入口があった。無理をすれば終点近くまで入れるが、先日の大雨で道の傷みが激しいので、あまり無理をしない方がいいだろう。そのあと層雲峡まで行って温泉に入ったり滝を見物したりしてのんびり過ごした。