追想の山々1097  up-date 2001.09.03

石狩岳(1727m)音更山(1932m) 登頂日1992.08.16 妻
音更川沿い林道登山口(5.15)−−−登山道入口(6.10)−−−十石峠(7.30-35)−−−ブヨ沼(8.10)−−−音更山(9.10)−−−シュナイダコース分岐(9.45)−−−石狩岳(10.10-25)−−―シュナイダーコース分岐(10.40)−−−カクレンボ岩(11.05)−−−二十一の沢(11.55)−−−二十一の沢出合(12.30)
所要時間 8時間35分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
   1992年・北海道の山旅(その6)=(55歳)
石狩岳山頂


東大雪石狩連峰の中にあって、高さにおいてはニペソツに譲るものの、堂々たる巨躯と貰録でやはり石狩岳こそ盟主ということができよう。  
渡道してからラジオの天気予報で“この週末にかけて道内の天気は悪くなる材料はない”と大いに喜ばせておいて、石狩岳登頂前夜もまた雨だった。  

夜明けを待って糠平湖畔の野営場から自動車で登山口へ向かった。  
昨日のニペソツと同様、十勝三股から林道に入る。直進するニペソツ登山口方面への林道と分かれ、右に大きくカーブする音更川沿いをさかのぼる。  
ジープに送られて下車したばかりの女性3人がいた。こんなところで何をするつもりだろう、朝早くから森林浴か散策でもするのだろうか。そう思って女性に気を取られていて石狩岳登山口の標識を見落としてしまった。  
『林道は台風の被害で損壊し、下山予定地のシュナイダーコースまで入れない。石狩岳登山口から500メートル先で走行不能となる』というガイドブックが頭にあって、とにかくその通行止めになるところまで入って見ることにした。下山後妻にはその通行止めの地点まで迎えに来てもらうため、場所を確認しておく必要もあった。  
ところが通行止めもなくシュナイダーコース下山予定地の二十一の沢出合の河原まで自動車が入ってしまった。そこが二十一の沢出合とも知らず、通行止めはまだ先だと思って河原にいる登山者に 「石狩岳登山口はまだ先ですか」 と聞いてしまった。 「来る途中で標識に気がつきませんでしたか。ここは二十一の沢出合です。シュナイダーコースの登り口ですよ。十石峠からのコースは、2〜 3キロ戻ると標識がありますからすぐわかりますよ」と教えてくれた。
河原には数台のマイカーやテントが張られていた。私のコースとは違うが何人か石狩岳へ登る仲間があることを知って心強い。教えてくれたその人は私と同じコ ースで歩くということだった。林道を戻ると確かに標識があった。女性3人のいた地点である。すでに女性の姿はなかった。  

背後はユニ石狩岳
出足からつまずいてしまった。
冴えない空模様であるが雨は落ちていない。昨日ニペソツで教えてくれた「このあたりの山は登ってみると上は晴れていることが多い」と いう言葉に期待をかけた。            
5時15分登山口を出発する。自動車が十分通れるような林道が長々とつづていている。水筒に水を入れてない。そのへんで入れればいいと思ってきたが、この先手近に水を得られるところがあるかどうかわからない。林道を雨後の水が小さな流れを作っている。溜まり水となっているところで、コップに掬って水筒に詰めた。この上に人家がある訳でもなし、汚いことはないだろう。  
1時間ほど歩くと雑草が目立つようになり林道終点となった。
道標で樹林の山道に入ると早速笹かぶりだ。雨具の上下をつけて露を防ぐ。  
水場の標識を見てから自然林の登りとなる。笹や草の露が煩わしい。高木帯を抜けて小広い岩轢の空間に出ると、頭上の覆いが外れたように明るくなった。この明るさなら雨の心配をしなくてよさそうだ。すぐ上に女性の声がする。追い付くと中年の3人パーティーで、東京からだという。今朝ほどジープから降りた人たちだ。私と同じコースを縦走してシュナイダーコースを降りる予定らしい。「縦走は難しいから、妻は十右峠からユニ石狩岳を登って、同じ道を戻るのだ」というと、「大丈夫、一緒に縦走しよう」という。しかし簡単に追従しなくてよかった。この先が厳しいコースだった。  

音更山々頂
女性を追い越し、ナナカマドなどの低潅木帯を露に濡れながら行く。今まではあの女性たちが露払いをしてくれたが、今度は私達がその役目である。それから十石峠まではたいしてかからなかった。石狩地方と十勝地方を結ぶ峠である。峠はすっかり霧に閉ざされて展望のないのにがっかり、それは登る前からわかっていたことだ。ところが奇跡のようにすう−っと霧が剥がれはじめると、1〜2分もたたず目の前にユニ石狩岳が姿をあらわした。富士山のように整った山容、頂上への登山道も見える。妻に「あれが登山道だ、あれを登って行けばいいのだ、よく見て頭に入れておくよ うに」と教える。妻はここからユニ石狩岳を登頂し、登って来た道を 戻ることになっていた。  

私がこれからたどる縦走路の一部は見えるものの、石狩連峰の全体感は掴めない。後から追いついた女性パーティーや、私に登山口を教えてくれた登山者に先立ち、妻と別れて縦走にかかった。  
早速ハイマツ漕ぎがはじまる。幕営の大荷物だと、このハイマツをく ぐり抜けて歩くのはさぞかし骨が折れることだろう。一つ目のピークで振り返ると、妻はまだ十石峠にいた。大きく手を振るとそれに答えて来た。
再びハイマツをこいだりしながら起伏を繰り返し、コブの上でもう一度振り返ると、妻の姿はなかった。どうやらユニ石狩岳へ向かったようだ。私も先の長いコースを考えてペースを上げた。  
砂轢地に出てふと足元を見るとコマクサだ。砂礫いっぱいに群落を作って花びらを開いていた。砂礫地を下ってダケカンバ帯に入ると、間もなく稜線唯一のキャンプ地『ブヨ沼』に着いた。テントが2張りあったが人の気配はなかった。ユニ石狩岳は霧にかすんでいた。  

ブヨ沼からはお花畑の急登で、その後も繰り返し登り下りがつづく。 晴れていれば素晴らしい眺望に気が紛れるだろうが、ただ足元に目を落 としながら黙々と歩くのみだ。森林限界を越えると稜線の涼風がここちいい。霧ではっきりしないが、見上げるとハイマツの中を直上して行く登りがかなりきつそうだ。肌寒いほどの風に吹かれてハイマツ帯の急登を辛抱して喘ぐ。厳しい登りも傾斜がゆるくなって、ちょっとした湿原状の平坦地になった。そこはすでに音更山の肩とも言うべき一角だった。チシマツガザクラがあたり一面に群落をつくって咲いている。腰をかがめてよくよく見ると、実に可憐で控えめな花である。  
前方の一段高くなったところが音更山の山頂だった。岩塊に覆われた山頂は遮るものもないピークで、天気がよかったらさぞかし素晴らしい展望が得られるはずだ。しかし石狩岳の巨体をはじめニペソツ、 ウペペも霧の中。今はただ乳白色の霧だけの世界だっ た。  

石狩岳側から見た音更山は大きい
石狩岳とのコルヘ下るのに方角がよくわからない。三角点標石の刻印から方向を判断して、登って来た道とほば直角に曲がればいいと判断。よ く見ると岩塊の上にそれらしき踏み跡が認められた。  
頂部はガスっていたのに、少し下ると霧が晴れて石狩岳へ向かう登山道が明瞭に確認できるようになった。コースを目で追うとコルから石狩岳への登りは、痩せた急峻の尾根で、その上は再び雲の中に隠れていた。  
音更山頂からの巨岩の堆積する下りで、気がつくと途中ルートを外れていた。しかしコルへのルートは見えているので不安はない。岩石帯を飛び移るようにして適当に下って行くと、正規の登山道に合した。  
コルまでは大きく下った後、まだ小さい登り降りを繰り返している。初めて前方から来る登山者と会った。振り返ると音更山が全容を現していた。ここから見る音更山は、山体は大きいが特徴のない鈍頂であった。
コルでシュナイダーコースへの下山口を確認してから、いよいよ石狩岳への急登にとりつく。かなり登りでがあるように見える。ときおり霧が薄くなると石狩岳の山頂が見えて、その山容を掴むことができた。たしかに大きく堂々たる体躯は迫るものがあった。今回渡道の最後6座目のピークまではもうひと頑張りという思いを込めて、急登の辛さも苦にせず登って行った。足元から殺ぎおちるような険しい斜面には、高山植物がしがみつき、豊富な種類で咲き乱れていた。一瞬ではあったが昨日登ったニペソツの尖峰を見て胸がときめいた。  
露岩を踏みしめ一歩一歩頂上に近づいて行くと、
見え隠れする石狩岳
すっぽりとガスの中に入りこみ視界がなくなってしまったが、岩場を越えて目を上げるとそこが山頂だった。唐突に山頂に飛び出したような到着だった。  
小さな山頂でピークの岩頭の上に三角点標石、ほかには山頂を示す標柱もなく、名山としては地味なたたずまいだった。 ニペソツと同様、ここにも慶応大学ワンゲルの目障りなプレートのあるのが不愉快だった。  
眺望はなくても遠い北国の山巓に立って、ひしひしと喜びが湧いて来る。連日ハードな山歩きをつづけて、予定の6座を登り終わった満足感に浸りながら、山頂でしばしの時を過ごした。  

シュナイダーコースの下山はなかなか厳しい下りであった。とても妻 を連れて歩けるようなコースではなかった。  
始めはハイマツなどの技や木の根の絡み合う急峻な道がつづいている。地に足がつかず、ハイマツの枯れ枝や岩角に足場を探して、サーカスもどきの危なっかしさである。この下りはあの女性3人にはかなり手ごわいだろう。彼女たちは明るいうちに無事下り切れるだろうか、心配になるほどの悪路である。ついに雨も降り出して更に条件が悪くなってきた。  
この難所を通過したあとも足にこたえるような急峻な下りは変わらず、ときには薄くなった踏み跡に不安を感じ、笹をこぎわけてようやく二十一の沢まで下り着いた。沢の空き地では雨の中、男が蕗の葉の上に正座し、山に向かって何やら唱えながら熱心に祈りをつづけていた。きっとアイヌの人の儀式だうろう。  
シュナイダーコース終点の二十一の沢出合はもう近いと思ったが、それからまださんざん歩かされた。沢に沿って下って行くが道は不明瞭で、赤布だけが頼りである。流れを何回となく徒渉するが、徒渉地点のわかりにくい所も多い。膝上までの流れは速く、そのうえ気持ち良さを通り越して冷たい。徒渉してからコースの誤りに気付いて戻ったりする。あの女性たちにもルートファインデイ ングに迷うことだろう。  
やっと広い出合に出て最後の徒渉をすると、妻の待つ河原だった。今日のコースも一般には一泊の行程だったが、時計を見るとまだ12時をちょっと過ぎたところだった。  

雨も降っているし今日は温泉宿に泊まろうということになる。客も少なく空いていた。  
露天風呂で汗を流し、大仕事をなし終えた満足感でくつろいだ。夕食は土地の材料を使った料理が並んでこれもにも満足する。畳の上に寝るのは8日振りのことだった。