追想の山々1101  up-date 2001.09.05

上河内岳=かみごうちだけ(2803m) 登頂日1992.08.29-30 単独
●畑薙第一ダムゲート(13.30)−−−オオ吊橋(14.00)−−−ヤレヤレ峠(14.20)−−−ウソッコ沢小屋(15.00)−−−中の段(15.35)−−−横窪小屋(15.55)
●.横窪小屋(4.55)−−−水場(5.50)−−−樺の段(6.00)−−−茶臼小屋(6.30)−−−稜線分岐(6.40)−−−お花畑(7.25)−−−上河内岳(8.00-8.50)−−−茶臼小屋(9.45)−−−横窪小屋(10.50-11.00)−−−ウソッコ沢小屋(11.50-12.00)−−−ヤレヤレ峠(12.35)−−−大吊橋(12.55)−−−ゲート(13.25)
1日目 2時間25分 2日目 7時間40分(除山頂休憩) 3日目 ****
   南ア南部、秀麗な三角錐の山=(55歳)
上河内岳山頂、左から聖・赤石・悪沢岳
高塚山を下山してから、接岨峡温泉へ立ち寄り温泉会館で入浴。湯はなめらかで肌がつるつるして気持ちいい。まだこの後荷物を担いで、上河内岳途中の横窪小屋まで数百メートルの標高差を登る仕事が待っている。のんびりしているわけにもいかず、カラスの行水で温泉を飛び出した。  この先、林道は一般車乗り入れ禁止の表示が出ている。3日程前に井川村役場に道路の状況を電話照会したところ、『乗り入れ禁止になっているが、ゲート等で通行止めにはしていない。勝手に通行して落石等の事故があっても責任は負わないということです。全部舗装はしてありますが・・・・』とう返事だった。  
温泉会館のおばさんに尋ねると、ここから井川村までは30分程度で行けるという返事に安心する。  
小さなカーブの連続する、標高1000メートルの峠道を無事越える と、南アルプス公園線に出た。山間の小村でも、峠道を越えて来た後では広々とした天地に見える。南アルプス公園線で畑薙ダムまでは何回か走った道で不安 はない。昨秋の台風被害によって、南ア公園線も土砂崩れで寸断していたが、すっかり補修を終わり、予定より少し早い午後1時、畑薙第一ダムに着いた。夏山最盛期を過ぎて、登山者の姿も少なく静けさが戻っていた。  

快晴のダム湖は回りの緑を吸い込んで、エメラルドグリーンが一層濃く深く、満々と水をたたえている。3年前の晩秋、光岳登頂のため今回と同じ上河内沢のコースを登った。あの厳しい登りをこの暑い盛りに登るのかと思うと気が重いが、今日は横窪小屋までのコースタイム4時間弱。日暮れまでに着けばいいからのんびり行こうと自分に言い聞かせ、かんかん照りの中を歩き出 した。
横窪小屋
登山届けを林道ゲートのポストに投入。大吊橋までは乾燥した砂利道だが、幸いに自動車の通行も少なく、砂塵をかぶらずにすんだ。25分ほどで大吊橋の入口に着く。はるか足下に、引き込まれるようなエメラルドグリーンの湖面を見ながら、ゆらゆらと揺れる吊橋を渡る。対岸に着くとそのまま急登の山道が待っている。その急登も15分前後で、送電塔に着くと右へ向きを変え、山腹をトラパース気味に樹林の中を巻いている。木の間にときどき湖面が見えたりするが眺望はない。ひと汗かいて明るい空間に出たところがやれやれ峠。ヤレヤレ峠とはいかにもいい加減な名前だが、歩きはじめて1時間、確かにやれやれという気持ちは実感である。

峠からはこれまでの登りを帳消しにする200メートルの下りが、上河内沢までつづき、沢に降りてしぶきを上げる渓流を見るとほっとする。岩の隙間からホースで湧き水が引いてある。まず一杯とる。横窪沢までは湧き水も豊富で飲み水には不自由はしない。  
第一吊橋で左岸に渡り、第二、第三吊橋と進んで、大きな登り降りもなく楽にウソッコ沢小屋に到着。小屋に人影はない。楽な登りとは言え、汗は止ることなく流れるばかりである。水が豊富過ぎて、ついつい飲み過ぎて水と汗の悪循環が始まりそうだ。  
のんびり歩いて来たつもりでも、予定の半分くらいの時間しかかかっていなかった。ひと休みすると出発した。今日の行程が時間的にずれた場合はウソッコ沢小屋でもいいと考えていたが、まだ時間は十分ある。  
ウソッコ沢の吊橋を渡ると、鉄梯子を登り継ぎ、じぐざぐの厳しい登りとなる。道の整備はいいものの、いやになるような長い急登である。帽子まで汗でびっしょりだ。しかしここも半分ほどの時間で登り切って、標識板のある横窪峠に立った。すぐ目の下に今夜の泊まり場『横窪小屋』 を見てほっと安堵感が湧く。たいした行程ではないが、高塚山をひとつ登って来てさらにここまで登って来たのだから、疲労感もやむを得ない。  
小屋前には一人用のテンとが3張りと、柴犬を連れた親子二人のテント。ほかに人影はない。3年前に通ったときにはなかった新しい2階建ての小屋(小屋とは言えない立派な木造2階建)が建っていた。トイレも同様に新築され快適な宿泊地に変身していた。新築の小屋は戸閉めされ、解放されているのはボロ小屋の方で、今夜の利用者は私一人だけらしい。  
窓覆いをしている板戸のつっかい棒で持ち上げると、真っ暗な小屋の中に光が差し込む。見回して一夜の寝場所を定めてから、夕暮れにはまだ間のある外に出て、担いで来た食料で早い夕食にした。上空は澄み渡った秋の空だ。深夜1時に東京を発ってきた寝不足で、まだ外が明るいうちに寝袋に入った。夜中に目が覚めて空を仰ぐ。プラネタリュウムを見るような星の数だった。

朝5時。夜明けの冷気が気持ちいい。不要な荷物は小屋に残して出発。眠気を覚ますようないきなりの急登から今日の登高がはじまる。  
上河内岳を往復して今日中に帰京するのは健脚向きの行程だが、私にとっては気楽な部類である。山頂まで標高差1200メートル、下山は1800メートル。余裕の気分で急登の足も軽い。樹間の道は暁光も遮られがちで、夜の名残がまだとどまっていたが、垣間見える東の稜線上には、いつしかはっきりとした陽光の兆しが見えはじめた。やがて朝陽が昇る。梢越しにきらきらと光陰が踊る。  
3年前の晩秋、この登りを喘いだ日の事が思い浮かぶ。重荷、厚い雲、人影もなく孤独感に耐え、その先への不安にのしかかられての一歩一歩は、ことさらに辛かった。いく度休みを重ねてこの坂を登ったことか。
上河内岳
急登が終わって黒木樹林を抜けると、山腹のトラパースとなって茶臼小屋が見えて来た。ホソバトリカブトの紫花が一面に咲き乱れ、空はどこまでも澄みきっている。茶臼小屋の水場でコップになみなみの冷水を一気に飲み干す。テント場にはファミリーパーティーが1組。野営場を突っ切り稜線に登りついた。茶臼岳、聖岳などが一斉に目に飛び込んできた。ここは風衝地帯、 涼しさを越して寒風が肌を刺すようだ。ここでゆっくり休憩を入れたいところだが、そんなことより早く目指す山頂に立って眺める大展望の誘惑の方が大きく、そのまま足を運んだ。  

砂轢地の中、上河内岳への踏み跡をたどった。
“お花畑経由巻道”の道標がある。一方稜線通しの踏み跡もある。ためらいもなく眺望がよさそうな稜線通しへの踏み跡を選んだ。ハイマツの稜線上は360度の視界いっぱいに山々が取り囲んでいた。この角度からの上河内岳は鋭いビラミッドで天を突いていた。  
比較的明瞭だった稜線のトレールは、いつのまにかハイマツの中に消えてしまった。踏みしだかれ、樹皮の剥がされたハイマツにコースを求めて、強引にハイマツを漕ぐ。朝露のナナカマド、ミヤマハンノキのトンネルで雨具着用。再びハイマツ、いよいよ踏み跡もかすかとなり不安が増すが、ここまで来て引き返すのも癪だ。視界がいいから迷う心配のないのが救い。無理やり前進。こうなると稜線の眺望どころではない。あの『巻道』という表示は“巻き道のほかに、巻かずに山頂へ達する道がある”という暗黙の案内ではないのか。それがこんな酷い道で、騙されたような気持ちでやや焦りを感じるころ、左手下方に明瞭な登山道が目に入った。そこを目がけて薮の中を急下降すると亀甲状土の北端だった。これが正規のルート『巻き道』で実に快適な道である。  

ダケカンバの点在する高山植物帯はとりどりの花で目を休ませる暇もない。途中お花畑と呼ばれる草地。お花畑というにはやや規模も小ぶりで、ウサギギクが目立つばかりで種類は少ない。ほかにはコガネギク、コゴメグサが少し見える。  
お花畑の先から勾配が強くなり、岩稜の登りとなって来た。通称“竹内門”を過ぎれば上河内岳はいよいよ目の前、ひとしきり頑張るとピークへの分岐だった。山頂を仰いで「あと15分」と見て歩き出したが、わずか5分余であった。  

 
山頂展望・・・笊ケ岳、御坂山塊、富士山 山頂展望・・・左から茶臼岳、易老岳、光岳、池口岳、 加々森山
遮るもののない山頂は大展望台であった。  
雲ひとつないこの快晴は、最近の山行でも久々のものだった。澄明度も申し分なし。ザックから地図を広げると早速山座同定に没入した。  
兎岳・小兎岳・中盛丸山・聖岳・赤石岳・悪沢岳・千枚岳と南ア3000メートル前後の諸峰。西には恵那山から中央アルプスと御嶽、その背後には遠く加賀白山が浮かぶ。北へ鳳凰三山・八ヶ岳・茅ケ岳・奥秩父・大菩薩連嶺・・・背後は浅間山か。東方には、笊ケ岳・青薙山・御坂山魂・七面山・山伏、そして一際高 く富士山、南に目を転じると、茶臼岳から易老岳〜光岳、加々森山・池口岳、さらに大無間山・小無間山・信濃俣・黒法師岳。
光岳小屋の青い屋根、聖平の新しい山小屋、二軒小屋と田代ダム、眼下に畑薙ダム。伊那谷には遠山郷あたりと思われる集落も見えていた。  

標高差1800メートルの下山も足は軽かった。途中横窪小屋に残し た荷物をまとめて、快調に畑薙ダムを目指した。