追想の山々1104  up-date 2001.09.08

金北山=きんぽくさん(1172m) 登頂日1995.09.09 単独
新潟港(6.10)〜〜〜両津港(8.30)−−−登山口の道標(10.05)−−−コース不明−−−登山口道標へ戻る(10.35)−−−大佐渡ロッジ(11.50)−−−マトネ(12.40)−−−水場表示(13.40)−−−金北山(14.25)−−−避難小屋(15.20)−−−白雲荘(15.35)−−−15時50分、自動車に拾われる===金井からバスで両津港へ
所要時間 7時間 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
   佐渡島。両津港から徒歩で山頂へ=(58歳)
マトネから金北山を見る(右手のピーク)

 
東日本に位置する日本三百名山で、最後に残ったのがこの金北山だった。(ただし信州百名山最後に登るために温存している、故郷の“経ケ岳”を別として)  
標高は1000メートルを少し超える程度の低山である。本州からわざわざ訪れるハイカーも少ないためか、ガイドブックや情報もほとんど見あたらない。5万図で見ると山頂へのコースは二つあるようだ。


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@バスで大佐渡ロツジまで一気に上って、ここから金北山まで縦走して行くコース。所要時間はほぼ6時間。ただしバスが運行するのはお盆を挟んで3週間だけ。
下山は
(a)再び大佐渡ロツジへ戻るか
(b)白雲荘経由で金井町のバス停まで歩く。この場合は下りとは言え、バス停まで4時間以上の車道歩きとなる。

A金井町までバスで行き、そこから大佐渡ラインを白雲荘までタクシー で上がり、ここから山頂を往復。往復徒歩2時間強の楽々コース。
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大佐渡ロツジへの季節バス運行はすでに終了している。いっそのこと両津の港から全部歩いてしまったらどうだろうか。地図を眺めると何だか歩けそうな気がする。
5万分の1地図には記されていないが、観光協会発行のイラストマップには、 曲がりくねった車道とは別に、途中標高250メー トル前後の地点からドンデン山方面へのショートカット登山道が記されている。これを使えれば、ばか長い車道歩きが半減されて大幅な時間節約となる。  
確かなことはわからないまま、後は現地の状況次第と割り切り、自前の足を信じてとにかく行ってみることにした。

マイカーで深夜の関越道を走り、新潟港発6時10分のフェリーで佐渡両津港へ向かう。
両津港が近づいてデッキに出て見ると、今日歩く予定の佐渡ケ島の背稜、つまりドンデン山から金北山、白雲荘にかけての山並みが一望される。大佐渡ロッジへうねうねと上がって行く自動車道はもとより、大佐渡ロッジ、金北山頂上のドーム、白雲荘などもはっきりと見える。両津港から大佐渡ロッジまで、徒歩でもさほど問題にするほどの距離には見えない。ロッジから金北山への稜線も、起伏は多いが6時間というのはちょっとサバの読み過ぎではいないだろうか、2時間もあれば楽々歩けそうに思われた。

そんな呑気な気持ちで、フェリーから見える山を眺め、歩程時間を目算し、帰りのフェリー時間を考えていた。  
両津から標高250メートル登山口まで・・・・約1時間
登山口から稜線まで・・・・・・・・・・・・・・・・・50分  
稜線から金北山まで・・・・・・・・・・・・・・・・・1時間30分
同じコースを下山すれば、往復で約6時間。8時30分から歩きだせば午後2時半には両津港へ戻って、3時10分のフェリーに間に合う。根拠もない試算だったが、これがいかにいい加減なものであったか、このあといやというほど思い知らされることになる。無計画、行きあたりばったりへの仕返しということだ。

両津港で下船すると、不要な着替え等をコインロッカーに放りこみ、 さっそく出発。足はジョギングシューズ、荷物はデイバックという軽装。イカの一夜干し作りをしているおばさんたちに 「大佐渡ロツジはこの道でいいですか」と尋ねる。 「いいけど、どこへ行くの」 「ドンデン山から金北山へ登ってきます」 「歩いてか?」そう言っておばさんたちは不思議そうに顔を見合わせていた。そんな無茶なという顔だったのだ。
しばらく町中を歩いて、念のためもう一度地元の人に確認してみた。 「その道は5キロ先が地滑りで通れませんよ」 「自動車ではなく、歩いて行くのですが、それでも無理ですか」 「監視の人がいて、危ないから通してくれないよ」まさか人も通さない地滑りとは、どんなすごい地滑りなのか。ダメなら諦めることにして行って見るより仕方がない。 

ドンデン山への道路標識を見て県道を左折。「この先全面通行止」の表示が出ていた。  
両津高校の前を過ぎ、小さな集落を抜けたりして、爪先上がりの道は山へ向かって入って行く。稲穂の実った田園も途切れて、5万分の1地図で車道が橋を渡って右岸から左岸へ移るところで、破壊された巨大なコンクリート塊が道を封鎖していた。勿論自動車は通れないが人なら通れる。監視員の姿もない。地滑りの爪あとが生々しい。橋も道も無残に引き裂かれ、切断され、隆起し、亀裂が無数に走り、路面が碁盤の目のようにひび割れている。畑仕事のおじさんが「ここが一番ひどいが、あと200メートルも行けば何ともない」 と教えてくれた。  

地滑り現場はすぐに終わった。2車線の立派な道路だが、1台の自動車も通らない。左手に涼しげな渓流の音を聞きながら早いピッチで足を運ぶ。イラストマップにあった登山道入口まで、時間的にはかかりすぎの気がしたが、右へ大きくカーブするところに“登山口”の表示が見つかった。これで長い車道を大佐渡ロツジまで歩かなくてもすむ・・・・・と思った。
登山道のとりつきは、しっかりした道形で不安を感じさせるものはない。登山道はすぐに二又になっていた。感で左の道を取る。渓流をせき止めた小さなダムの左岸を通り、沢沿いを遡って行った。二つ目の堰堤を過ぎたところで、ぱったりと道形が消えてしまった。右から支沢が入り込んでいるが、これを辿るのはとても一般コースとは思え ない。仕方なく戻ることにした。最初の二又まで戻り、今度は右の道を進んで見たが、すぐに道は途絶えてしまった。登山口表示の車道へ戻る。35分のロスとなってしまった。

こうなると後は車道を延々と歩き、大佐渡ロツジから金北山へ縦走して行くという選択しかない。時間もすでに大幅に食いこんでいる。フェリーから眺めながら目算した行程タイムは、根拠のない空想であったことを悟る。  
さらにジョギングまがいに足を早めて、曲がりくねり、勾配のある車道を上って行く。金北山やその稜線が次第に競り上がる。車道をあきあきするほど歩かされ、時計の進み具合にいらつき、果たして金北山を登頂できるかどうか、そんな不安を抱いて大佐渡ロッジを目ざすうち、登山の楽しみどころではなくなってきた。  

ようやくロッジ下まで来ると、広場にドンデン山の標柱がある。標高約900メートル。港のゼロメートルから900メートル登ったわけだ。 時計を見るともう12時直前だった。3時間半近くかかっている。水道を見つけて栓をひねると、清水のような冷たい水だった。空のまま持ってきた水筒も、ここで満タンにした。
ここから金北山までの所要時間は、資料によると6時間。半分の3時間で歩いたとして、その後の下山は金井町まで歩き、急いでタクシーで飛ばしても予定のフェリーにぎりぎり。厳しい。どうしたらいいか・・・・歩きながら考えよう。  

金北山縦走コースの取りつきまで、不安になるくらい車道を下って行った。目の高さだった金北山への稜線が、再び見上げる高さに遠のいて行く。ロッジから金北山稜線との間には、大きなタルミがある。地図の見落しであった。所要6時間というのは、あながちオーバーとは言えない。どこまで下るのか、はらはらさせられたが、やっと道標があらわれ、 舗装車道から分岐する幅広の林道に入った。ところが林道は細くなりながら、なおも下って行く。
ぱらぱらと予想もしない雨が落ちてきた。雨も気になるがとにかく前へ進まなくてはいけない。帰りの時間を睨みながら、行けるところまで行ってみるしかないだろう。山頂を踏むのは無理な気がして来る。
かなり下ってから(標高差約300メートル)ようやく最低鞍部となった。稜線への登りに入る。登りついたところがマトネと呼ばれるピークだった。芝草の快活なピークで、金北山への稜線が一望できる。フェリーからの眺めより起伏が大きく、思ったほど楽ではなさそうだ。東西に海が広がっている。歩きだしてから4時間余、ここではじめて腰を下ろして3分間の休憩をとった。

さて今日の予定を決めなければならない。計画外だが21時発のフェリーがある。こんな遅い時間になることは、はじめから考えていなかったが、これだと翌朝までに帰宅できる。金北山を目指すことに決めた。下山は金井町へ下るのが一番時間効率がいいようだ。一刻もむだにできない。早々に腰を上げた。
大陸からの季節風で、北斜面は険しい山肌を見せるが、本土側はおおらかに樹林が広がっている。
がれの縁を通り、芝生の緑に身を投げ出したい誘惑をはねのけ、下り、また登り、ただひたすらピッチを上げて進んで行く。
思い出したように雨がパラパラと来るが、雨具を着るほどでもない。  
『あのピークまで頑張って休もう』そう思ってガンバリ、結局ピークで腰を下ろすのはたった1分程度。いくつピークを越えただろうか。足が重くなってきた。車道をジョギングまがいに飛ばしたつけが回ってきたようだ。スピードも少し鈍ってきた。水筒の水も少なくなってきた。  
広い芝草の鞍郡に立派な御影石の標識がある。矢印の一つが水場を示している。少し行ってみたが距離が不明で、時間が惜しくてあきらめた。  
御影石の草原からガラ場を登りながら振り返ると、マトネのピークは遠ざかり、ロツジも遥かに小さく、歩いてきた来た距離を実感する。
それにしてもこの6時間の縦走路を、2時間もあればと踏んだのは、もう思い上がり以外の何ものでもなかった。時間は刻々と過ぎて行く。ひとつのピークを巻き、潅木林へ入り、アスナロの巨木の茂る陰湿な道を過ぎる。木の間に金北山ピークのドームが見えてきて、もうすぐと期待したのに、まだまだ道はつづいて行く。湿地と沼の縁に出た。沼からしばらくは平坦な道で足が休まる。やがてガスの流れる急な登りとなり、ひと頑張りするとようやく山頂だった。山頂全体を占めるような大きいドームが威圧するように建っている。自衛隊のレーダー基地である。この地域全体が航空自衛隊の管理地となっていて、ドームや施設に挟まれるようにして、神社やニ等三角点があった。両津や金井町、真野湾などが俯瞰できた。  
山頂着は2時25分、ロッジから金北山まで2時間35分だった。  

これから金井町まで車道を4時間ほどかかるだろうか。休む間もなく下山にかかった。車道が山頂まで伸びていて、この道を下って行くのだが、下りも足にこたえる。              
自衛隊の施設のところで、ホースから勢 いよく水が流れ出しいる。コップもある。一杯目は夢中、2杯目は頭の芯に染みる、3杯目でようやく冷たい水のうまさがわかった。  
自衛隊専用道路のゲートまで来ると、自動車や人の声が聞こえて来た。白雲荘ドライブインだった。観光バスが10台以上、両津港を見下ろす展望台で、観光客がにぎやかにたむろしていた。時刻は早くも3時半を回っている。バス停のある金井町までは、延々とした車道歩きが残されている。この先3時間はかかるだろう。意を決して再び歩き出す。観光バスが追い越して行く。  

歩きはじめて15分、幸いにも通りかかったAコープの自動車に拾われた。運転手は奈良天理高校を卒業、私の故郷の隣町、箕輪町にも6年勤めたことがあるという。  
20分ほどでバス停まで送ってもらった。
待つ程もなく来たバスで両津へ向かった。  
最終便の前のフェリーに悠々と間に合うことが出来た。親切な運転手に感謝。  
正味歩いた時間は7時間前後だったが、時間にせかされ、休憩らしい休憩もとらず、いつも以上にペースを上げて歩いた。肉体的にも精神的にも、消耗しつくした山行であった。普通に歩いたら倍の時間はかかっただろう。