追想の山々1110  up-date 2001.09.20

森吉山(1454m) 登頂日1991.08.06 妻
こめつが山荘(5.30)−−−6合目分岐(6.00-05)−−−一の腰(6.30)−−−森吉神社(7.00)−−−避難小屋(7.20)−−−森吉山(7.50-8.15)−−−森吉神社(9.00)−−−一の腰(9.20)−−−こめつが山荘(10.20)===乳頭温泉郷へ
所要時間 8時間35分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
   1991年・日本300名山めざして東北の山旅へ(その3)=(54歳)
森吉山山頂


空を見上げると雲量50パーセント、期待していたほどには晴れていない。 
昨日二ツ井町から阿仁へ向かう途中、三角錐を圧しつぶしたような一 際高い山容が見えた。それが森吉山であった。深田久弥が日本百名山に入れたかった山の一つだ。  

朝食をとって5時半こめつが山荘横のキャンプ場を突っ切って登山道に入った。すぐにブナ林を切り開いたスキー場を横切る。じめじめした樹林の中へと入って行く。30分ほどで勘助道コースと一の腰コースの分岐、6合目に着く。この付近は一見ブナの樹林に見えるが、20メートルほど奥へ入ればブナ林を伐採したスキー場のゲレンデだ。  

分岐から滑りやすい急勾配の沢状の道になる。足元に気をつけながら30分で一の腰の稜線に立ち、均整のとれた森吉山が目に飛び込んで来た。並ぶもののない独立峰のように抜きん出た姿を目にして、深田久弥が日本百名山候補に上げたわけが分かるような気がする。両翼を精一杯広げた巨鳥のようにも見える。  
はるかに連なる山並みがある。展望は山頂での楽しみにして先へ進む。  
急坂をいったん大きく下った鞍部が、勘助道コースから上って来た雲嶺峠である。雲嶺峠あたりから花が見られるようになる。タチギボシ、ハクサンボウフウ、クルマユリ・・・お花畑のつづく平坦に近い稜線をたどると立派な森吉神社がある。ここが前岳である。神社裏手には、社を守るようにした巨岩がある。一角には小屋というには立派すぎる建物があって、中を覗くとステ ンレス製の流し台、石油ストーブまである。窓も二重アルミサッシュで 4〜50人は楽に泊まれそうだ。  

神社からは湿原状の小平地が次々と現れ、高山植物も豊富だ。1000メートルを少し超えたばかりだが、中部地方の高層湿原のような雰囲気がある。湿原植生のイワイチョウも咲いている。  
森吉山の肩にある避難小屋周辺は、キンコウカが風に揺、ミヤマアキノキリンソウも今が盛り。既に夏は終って山の季節は秋へ移行中のようだ。ハクサンフウロ、ツリガネニンジン、ヤマリンドウと確認しながら最後の登りにかかる。  
稚児平の広い平地に出ると山頂はもう目の前だ。  
7時50分山頂に立つ。登山口から2時間20分だった。回りにはハイマツやナナカマド、ミヤマハンノキなどの高山性の低木があるだけ。岩の露出した山頂は好展望台だった。ゆっくりと展望を楽しむ。岩手山、八幡平、秋田駒ヶ岳、真昼山地。歩いて来た稜線も一望できる。明後日登る予定の秋田駒ヶ岳もはっきり見える。
頂上には石のお地蔵様が4体、ただの石と見まがうほど風化してし転がっていた。首を失った無惨なものも見られる。  
三角点に触れ、記念写真を撮ってから山頂を辞した。  

避難小屋まで下って山頂を振り返ると、10数分前までいたとは思え ないほど遠くなっていた。一の腰でもう一度森吉山に別れを告げ、来た道をこめつが山荘へと下って行った。

山荘の管理人にお礼を述べて、田沢湖高原乳頭温泉キャンプ場に向かった。  
阿仁から国道を東へ進むにつれて雲が多くなり、峠では雨が降っていた。田沢湖で休憩してから、乳頭温泉国民休暇対の野営場へ。大さなキャンプ場で関東をはじめ、遠隔地ナンバーの自動車も多く大賑いだ。ここでもテントを張らずに、設営済みのハウス型テントを借りることにする。大きなテントで二人では勿体ないくらい、二晩過ごすのに不足はない。荷物を運びこみ、まずは温泉だ。乳頭温泉五湯のうち、今日は孫六温泉へ入ることにする。鄙びた小屋がけのような温泉は、湯量豊富でこれぞ温泉という感じがする。
明日はこの北東北の山旅で一番歩きでのある和賀岳である。天気が気になるが、好天を期待して寝についた。