追想の山々1116  up-date 2001.10.04

三方岩岳(1736m)〜笈ケ岳(1841m) 登頂日1998.04.19-20 単独
三方岩岳・1736m  瓢箪山(三等三角点)・1637m  国見山・1690m  仙人ケ岳・1747m  笈ケ岳(三等三角点)
●奈良(3.40)===白川村馬狩料金所(7.20-40)−−−ロス1時間10分−−−登山口(8.50)−−−スーパー林道接合部(9.33-45)−−−1350m(10.25-30)−−−無人観測施設(10.45)−−−三方岩岳飛騨岩ピーク(12.05-40)−−−加賀岩ピーク(13.00-05)−−−展望櫓(13.20)−−−瓢箪山肩テント泊(13.50)
●瓢箪山肩テント(5.15)−−−国見山(5.40)−−−仙人窟岳(7.00-05)−−−休憩5分−−−笈ケ岳(8.25-45)−−−休憩5分−−−仙人窟岳(10.00-10)−−−休憩5分−−−国見山(11.45-55)−−−テント(12.15-55)−−−三方岩トンネル(13.30-35)−−−スーパー林道−−−登山道接合部(14.55-15.05)−−−馬狩料金所(15.35)
所要時間(含む休憩) 1日目 5時間(ロスを除く) 2日目 10時間20分
   300名山踏破への難関を単独行で=(61歳)
左が笈ケ岳、右は大笠山・・・・仙人窟より
日本三百名山完登は大きすぎるほどの目標であったが、その長い道程も最後の行程にさしかかっていた。日本百名山を完登した後、もう目標を追いかけるような山行はするつもりはなかった。それなのにいつか信州百名山を追いかけ、日本三百名山を追って今日まできてしまった。  
これまでに登頂した三百名山は278座。残りは22座となったが、その中には『笈ケ岳』という難関があった。
三百名山を意識するようになったとき、難しい山としてピックアップしたのが ≪カムイエクウチカウシ 毛勝山 奥茶臼山 池口岳 黒法師岳 高塚山 笈ケ岳 猿ケ馬場山 景鶴山 佐武流山 野伏ケ岳≫ の11座であった。とりわけ難関と目していた山の一つが奥美濃の笈ケ岳。他の10座はそれぞれに無事登頂を果たしたが、最も不安だった笈ケ岳が残ってしまった。その笈ケ岳へのチャレンジである。

登山道はなく、薮の隠れた残雪期のみが登頂のチャンスであり、その適期は短い。今年このチャンスを逸すると、また1年待たなくてはならない。何としても今年は登ってしまいたかった。    
登山道のない山、すなわち佐武流山のときも猿ケ馬場山のときも、野伏ケ岳のときも、残雪期の安定した天候の下で登頂を果たした。今回も2日間にわたる好天を捕まえることが正否の鍵である。ただ例年と少し条件がちがっていた。それはエルニーニョ現象による記録的な暖冬で、積雪が少ない上に、春が早くて融雪の進み具合も1ヶ月以上早いとうことである。例年ならゴールデンウィークに登山者が集中するのがパターンとなってる。そしてこの時期に入山すれば必ず何人かの登山者が入っていて、トレールもつき安心して歩ける。したがって登るのはこの時と決めていたが、今年はどうやらそれまで雪が持ってくれそうにない。  
情報を入手する手だても持ち合わせていないので、自分で判断するより方法がない。インターネットでの週間天気情報を検討し、ゴールデンウイークの始まりより10日ほど早い4月19日を選んだ。果たして入山者があるか。頼りになるトレールはついているか。そして一番の心配は薮を覆う残雪の状況はどうか。心配の種はいくらでもあるが、今までも不安を乗り越えて登ってきたのだ。最悪の場合は途中撤退を覚悟して出かけることにした。  

準備は万端整えた。テントは重くなるのでツェルトにした。天気さえよければツェルトでも充分なのは、佐武流山のときに経験ずみである。アマチュア無線機も携帯。食料はできるだけ簡単にするため、料理加熱が不用のパンやビスケット、チーズ類とする。
おにぎり(初日の昼食)  フランスパン(中)1 菓子(ブリッツ)1  インスタントラーメン1  チーズ(非常食を兼ねて多めに)  ジャム  カロリイメイト1(非常食を兼ねて)  梅干し  餅3  チョコレート1  飴  パン2(二日目の行動食)  焼酎1合  つまみ(干もの)  ボカリスエット粉末1袋  

インターネットで奥美濃地方の天気予報を再度確認した上で、19日未明奈良を出た。  
一昨年登山取りつき口を下見したゴールデンウイークより10日も早いにもかかわらず、馬狩料金所付近は雪がほとんどない。あたりの状況がまるで違う。あのときは料金所の周囲一帯は深い雪に覆われていた。はたして上部の様子はどうなっているのだろうか。  

三方岩岳
夕方までに幕営予定の瓢箪山近くまで行けばいいので時間的にはゆとりがある。久しぶりに背負う重荷は約20キロ超。結構肩に食い込む。年を取ったと思う。  
料金所手前を流れる白谷橋の右岸沿いの林道から、渓流を右手に見ながら遡上するのが乏しい資料から入手した取り付きかた方だった。ふだんの年ならこの林道は深い雪の下となっているずだ。しばらく遡上してから渓流を徒渉、対岸から猿ケ馬場山への登山道へ入らなければならないが、その徒渉点がわからない。対岸に渡る橋も見当たらない。首をかしげながらしばらくすると、林道は消えてしまった。流れの縁を堰堤を越えたりしてさらに進んでみたが解らない。対岸(左岸)を詮索するように望見すると、資料にはなかった新しい林道らしい道が見える。
橋まで戻って今度は対岸に見えた左岸林道に期待を持って遡上する。出来たてほやほやの林道だ。ところが期待に反して登山口らしいものは見つからない。10分余も歩くともう林道は終わってしまい、その先は薄い踏み跡だけとなってしまった。しかたなくその踏み跡を流れに沿って薮を分け遡上する。白谷が二つに枝分かれする地点に立った。こんなはずはない。見落としたのか、コースがまったく変わってしまったのか。時間の無駄を後悔しながら戻る。  
登山口がわからなかったらスーパー林道を三方岩岳トンネルまで歩くより仕方ない。そう覚悟した。  
新しい林道まで戻って注意しながら歩いていると、山側の土手の上に小さな赤布が目についた。石積みされた土手の上に半信半疑で上がってみると、はっきりとした道が伸びていた。改めて周囲の状況を見回してみたが、研究した資料とはまったく状況が変っていた。分からなくて当然だった。  

これでルートは見つかった。やれやれという心境だった。  
結局重荷を背負って1時間10分もうろついていたのだった。しかし時間はまだ十分ある。まだ焦りはなかった。
かなり急な登山道をジグザグに登ってゆく。例年は雪に覆われている登山道かもしれないが、あたりには一かけらの雪も見えない。心配なのは稜線に出て雪がない場合、薮こぎをして山頂を目指すことは不可能ということである。  
三方岩岳山頂
登山道は比較的しっかりしていて迷うこともなくも第一ポイントのスーパー林道との接合点まで登ってきた。登山口から45分ほどだったが、迷ったロス時間も加えれば、重荷で2時間も歩いていたわけだ。大きくカーブする林道へ上がって休憩にした。  
好天を確信して来たのに、ガスで下界はまったく見えない。見上げる先もガスに覆われて見通すことができない。これからの快復を祈るばかりだ。
一服してからスーパー林道と別れて再び登山道を行く。5分ほどで展望台に到着した。すぐ下にスーパー林道の駐車場がある。林道が開通すれば自動車で訪れる観光客が展望を楽しむところだろうが、今日はガスで何にも見えない。  
展望台からしばらく登るとようやく雪があらわれたがたいした雪ではない。登山道の途中々々が雪で覆われているくらいで、まだ夏道の出ている方が多く、コースの心配はない。  
地道と雪の上を繰り返すうち、おおむね雪の上を歩くようになった。雪の上には古い足跡が残されていたが、ときには消えていたりする。そんなときは慎重にコースを選んで行くと、再び足跡を拾うことが出来る。スーパー林道の休憩から約50分、2回目の小休止にする。上空の雲が切れはじめた。忽然と足跡がなくなってしまった。どう探してもわからない。多少の不安を抱きながら、自分でルートを決めながら登ってゆく。雑木林の間を抜けながら斜面をトラバースして、少しづつ尾根へ上がってゆくように心がける。  
尾根へ出ると雪はなく、踏み跡の夏道ルートが確認できる。これで大丈夫だ。そして登りついたピークが観測用の鉄塔などが立つ無人観測施設だった。はじめて三方岩岳の岩峰が目に飛び込んできた。天気は徐々に良くなってきている。
雪が覆うようになった観測施設のピークからしばらく行くと、今度は方角を左に変えて下ってゆく。はっきりしたトレールはないが、尾根通しに行くと自然にそうなる。  
やがてわずかな踏み跡は尾根を外れて右手の斜面へ降りてゆく。その踏み跡を信じていいのかどうか疑問を抱きながらそれに従うことにした。ときに消失してしまった足跡を追いながら、岩壁下部の雪の急斜面をトラバースして行く。滑落に注意しながらトラバースが終わると、稜線上の小さな鞍部に出た。
雪上の足跡に導かれて取りあえず左のピークへ登る。たった今歩いたばかりの新しい靴跡だった。足跡から推測して、下って行ったところらしい。登り着いた好展望のピークが『飛騨岩』と思われる。いつのまにか晴れ間も広がって、雪をまとった白山が大きく横たわっていた。目の前には野谷荘司山とさらに南に重なる山々が、山の深さを感じさせるように連なっていた。それを見ながらしばらく休憩にした。  
もとの鞍部まで戻り、今度は雪の消えた道を反対側のピークへ登る。そこが加賀岩であろう。三角点はここにあって、広々としたピークで休憩用のベンチや『三方岩岳』の標柱が立っている。三百名山279番目の山頂である。夏ならスーパー林道を利用して1時間そこそこで登ってしまうピークだ。目標の笈ケ岳がはじめて確認できた。それは瓢箪山、仙人窟岳という大きなピークのさらに先に聳えていた。はるかかなたの距離である。さらにその先には未踏の三百名山、大笠山、大門山が連なっていた。

三方岩岳からの展望・・・左から瓢箪山、仙人窟、笈ケ岳、大笠山、大門山
今日は瓢箪山手前の肩のあたりまで進んで、そこで幕営する予定だ。  
山頂を後にして高度差200メートルほど下って鞍部に着くと、木製の立派な展望櫓があった。三方岩岳や白山の展望がいい。北側を見下ろすと、すぐ足下にスーパー林道が見える。瓢箪山はもう近い。ザックに肩を通して今日最後の登りにかかる。雪上の足跡を追って展望櫓から少し行くと突然濃い薮に直面。雪が少なくて薮が出ているのか?もしそうだとすればこれから先ずっと薮こぎとなるのだろうか?言い知れぬ不安に襲われた。踏み跡も薮の中へ消えてしまいよくわからなくなった。しばらく立ち往生していたが、思い切って薮の中へ突っ込んで様子をうかがうことにした。  
腕で潅木を押し開きながら上へ向かう。ときおり雪の上に足跡が見付かったりする。しかし薮こぎはそう長くはなかった。急に薮を抜け出して雪の稜線へ出た。そこに赤布の目印があった。これは下山時、薮突入地点の貴重な目印になる。しっかり頭に叩き込む。この先は足跡を拾ってゆるやかな稜線を登ってゆくと、北側が樹林となっている幕営好適地を見つけた。時刻は13時50分だった。瓢箪山の肩に当たる地点で、南側には白山が、そして三方岩岳も望める。瓢箪山方向へ30メートルも行けば、笈ケ岳や大笠山が手に取るように見ることが出来る。  
早速ツェルトを張って幕営準備を整える。雲はすっかり消えて、これ以上はない素晴らしい快晴に変わっていた。夕方4時過ぎ夕食の準備をしていると、単独の登山者が下ってきた。笈ケ岳まで行ってきたということで、さっそく詳しい様子を聞かせてもらう。仙人窟岳のトラバースで少しわかりにくい所があるが、足跡が残っているはずだから心配無いという。それに気がかりの雪だが、それほど薮のひどいところはないという話に一安心することができた。その人はこれから今日中に馬狩ゲートまで下山する予定だという。明るいうちに下山するのは至難なことに思われる。
暮れなずむ山並みを眺めながら、明日に備えて早々とシュラフに入った。宵のうちは風が強く、薄っぺらなツェルトをバタバタと煽り、破れたりしたらどうしようかなどと案じたが、夜半には風もおさまって静かになった。この時期としては気温も高く、まったく寒さを感じなかったこともありがたかった。


仙人窟から見た笈ケ岳
一夜明けていよいよ笈ケ岳山頂にチャレンジする日である。  
穏やかな快晴の夜明けは、登頂の成功を約束してくれているように思えた。長いこと「どのように登ろうか。一人で登頂できるだろうか」と頭の中にいつも重い課題としてわだかまっていた。その課題を果たす日がとうとう来たという思いが高まる。  
クラッカーにチーズを挟んで朝食を済ませ、昨日のうちに雪を溶かして作っておいた水を水筒に詰めて準備は完了。明るくなってきた5時15分テントを出発した。  
まずは瓢箪山への緩い登りからはじまる。どこが山頂ともわからないような広い円頂で、雪上にはシラベだけが頭を出している。残雪の山へ来たという感を深くする景色だ。振り向くとモルゲンロートが白山をほんのりと染めていた。  
行く手には長年想い続けた笈ケ岳がきりっとした風格で待ち構えている。簡単にはたどり着けそうもない距離感がある。次の国見山はピークを踏まずに北斜面をトラバース気味にどんどん下ってゆく。仙人窟岳とのコルまで高度差200メートル近い下りだった。ここから標高差300メートル近い登りかえしとなる。その間には小さなコブがいくつかある。飛騨側の雪の急斜面をトラバースしたり、あるいは薮尾根をかき分けたり、歩きやすいところを探して小刻みに登ったり下ったりを繰り返しつつ高度を上げてゆく。単純な雪稜登行とちがって消耗がきつい。アイゼンをつけて出発してきたが、着けた方がいいのか着けない方がいいのかわからない。急斜面のトラバースなどがあり、用心のため着けたまま登ってゆく。普段の年ならもっと楽に歩けると思われるが、今年は残雪が異常に少ないことで歩行を難しくしているとも考えられる。  
藪で歩行困難な尾根は、いったん雪斜面をトラバースするように下った後、また尾根に戻るというようなことも何回も繰り返させられた。  
雪堤があらわれるとほっとする。例年だとこのような雪堤が結構残されているのではないだろうか。  
仙人窟岳山頂まで思った以上に長い長い登りだった。シラビソやダケカンバだけが雪上に見える広い雪稜で、どこが山頂かはっきりしない。一番高そうなところで休憩にした。テント場から1時間45分だった。雪とダケカンバとシラビソ、その向こうに聳える残雪の笈ケ岳は一服の絵を見るような心地だった。  

ようやく笈ケ岳の三角錐が近くなってきた。振り返れば瓢箪山ははるかに遠ざかっていた。目で確認する限り、ここから先はずっと雪稜がつながっているように思われる。仙人窟岳への登りのような苦労はもうないかもしれない。  
仙人窟岳を後にして、広大な雪の斜面を緩やかに下ってゆく。このあたりが一番気持ちいいところだった。行く手には一歩一歩笈ケ岳が近づく楽しみがある。 
小さなコブを3つ4つ越えながら、150メートルほ高度を下げてコルに着く。  

笈ケ岳山頂
さあいよいよ笈ケ岳への登りである。高度差250メートル。薮こぎはしなくて済みそうだ。  
稜線上につけられた踏み跡を忠実にたどって行く。
稜線を外れて飛騨側斜面をトラバースして岩場の直下に出る。この岩場越えは思ったほど難しくはなかった。  
ひきつづき気持ちいい雪稜を一歩一歩と高度を稼いでゆく。仙人窟岳から40分、岩場の先の雪上で休憩にする。天気は最高、風もなく何とうららかな登山日和であることか。天気が良すぎて汗がひどい。水筒の水切れ対策に飲んだ分だけ雪を詰め込む。  
さあ最後のがんばりだ。目の上のピークまで行けば山頂はそこにあるはず。そう思ってピーク目指して重くなってきた足を運んだ。ピークまでは結構長かった。そのピークに行き着いてほっとしたものの、笈ケ岳山頂はこれからまだ一汗かく距離があった。もうすぐと思っていたのに先ほどの休憩から30分かかってようやく山頂だった。

待望の1841メートル、笈ケ岳山頂。テント場から3時間余、私の力では無理かと思っていた山頂についに立った。日本三百名山280座目。  
他人の援助を借りずに自分の力だけで立つことが出来た。これで日本三百名山単独登頂達成が確実となった。登山道もなく、残雪期以外訪れる人もいない山頂に、三角点標石と小さな石祠があった。石標に笈ケ岳と刻まれていた。笹と低潅木に囲まれた小さな山頂は、いかにも人知れない質素な佇まいを見せていた。  
雪はなく、埋めこんである缶の中に、城端山岳会による登頂記入簿が入っていた。これに記入させてもらう。
北につらなる大笠山、大門山。南には仙人窟岳、瓢箪山、三方岩岳、遠く白山連峰・・・・・。猿ケ馬場山など奥美濃、加越の山々を眺めまわした。  
二度とこの頂に立つ日はないだろう。長い下山の行程を考えて山頂への思いを残しながら、20分の滞頂で下山にかかった。帰りはアイゼンをはずした。  
惜別の思いをつのらせながら、振り返り振り返り雪稜を下って行く。重くなった足には小さなアップダウンがこたえる。仙人窟岳への登りで10分間の休憩をとった。熱い思いさめやらぬ笈ケ岳はすでに遠くなっていた。  
仙人窟岳からの下りがきつかった。気温が上がって雪の状態がいっそう悪くなっている。今朝は通れた足跡が、今はスポッと踏み抜きとなって腰まで落ちる。そのために確かな雪を選んで、また余計な上り下りをしなくてはならない。下っているのか登っているのかわからないくらい体力を消耗して、いつになく休憩が多くなる。  
国見山とのコルまでは、藪を分け、雪斜面を下方に大きく巻いたりうんざりするような長い下りだった。  

幕営
コルにたどりつき、やれやれと思った気分をふたたび覆すように、国見山への登りがこれがまた長い。こんなに下ったかと疑ってしまうような登り返し、おまけに今朝のコースが雪が緩んで歩けなかったり、ふだんなら何でもない小さなアップダウンが異常にしんどい。
傾斜のきつくなった国見山への最後の登りは、一足一足歩数を数えながら登って行った。  
瓢箪山を越えるとようやく目の前に黄色いテントが目に映った。安心感と疲労がどっと出る感じだ。今朝出発してから7時間、正午を少し回ったところだった。

昼の食事をしてからテントの撤収。   
展望櫓まで下り、ここからスーパー林道三方岩岳トンネルへ降りることにした。一筋の踏み跡を見つけて、それについて下ってゆく。トンネル入口が目の下に見えている。何の心配もせず下って行ったが、岩場状の地点へ出てしまった。足跡はそこを降りているようだがはっきりしない。周囲の状況からここを降りるか、あるいは元の展望櫓まで登り返して、昨日登ったコースを帰るかしかなさそう。展望櫓へ戻り、そして三方岩岳へ登りかえすなんていうことは、疲れた足には到底考えられない。岩には雪が張り付いている。その雪が剥がれることなく体重を支えてくれるか。それほど高度はないが落ちれば怪我も充分ありうる。雪の厚そうなところを選んで取り付いた。爪先を蹴りこむ。体重をかける。一歩目は無事。二歩目も体重を支えている。三歩目、蹴りこんだ爪先が雪を突き抜けてしまった。はっとしたが穴があいた状態で体重を支えている。壁に張り付いていると思った雪の裏側は空洞になっているのだ。次の一歩を踏み出すには、突き抜けた足に全体重をかけることになる。登りかえすこともならず、落ちた場合はどこへ落下するのが一番安全率が高いか。そんな計算をしながら思い切ってもう一方の爪先を蹴りこんだ。また抜けてしまうかと思って目をつむったが、しっかりと体重を支えている。  
どうやら10メートルほどの雪壁を終わり、傾斜が緩くなったところで安堵の胸を撫で下ろすことが出来た。  

トンネル入口で雪解け水にありつき、後は林道をのんびり行くだけと思っていたが・・・・・・・・・・・。  
林道から仙人窟岳、笈ケ岳が良く見える。仙人窟岳の大きさが印象的だ。仙人窟岳の上り下りのきつかったことが納得できる。  
除雪前の林道は、雪崩れた雪が道路上に大きなデブリを作っている。谷側は切れ落ちた千尋の渓谷。山側の斜面から道路上を埋めて、急傾斜で谷側へと落ち込む雪は、残雪の急斜面をトラバースするのと同じだ。一方が目の眩むような深い谷だけに、それ以上の緊迫感がある。今回の山行で一番緊張を強いられたのがこの林道のデブリになるとは思っても見なかった。そんなデブリをいくつも越えて下って行った。

馬狩ゲート着午後3時35分。今朝ほどの行動開始から10時間20分、さすがにきびしい1日であったが、思いを遂げた満足感に浸りながら帰途についた。