追想の山々1117 up-date 2001.10.05
東京(1.15)===登山口(6.45)−−−八丁洗板(7.40)−−−杉山ケ崎(8.25)−−−熊打場(8.53)−−−避難小屋(9.05)−−−本名御神楽(9.20)−−−御神楽岳(9.45-55)−−−本名御神楽(10.20−−−避難小屋(10.30)−−−熊打場(10.40)−−−杉山ケ崎(10.50)−−−八丁洗板(11.30)−−−登山口(12.05)===会津朝日岳登山口(14.45) | |||||||||||||
所要時間 5時間20分 | 1日目 ***** | 2日目 **** | 3日目 **** | ||||||||||
会越国境、錦秋の山へ=(54歳)
途中に工事通行止の看板が出ていて、ひょっとすると林道を予定外に長く歩くことになるかもしれないと心配したが、それは新潟方面へ分岐して行く林道で、登山口ヘは予定通り御神楽橋を度った先まで入ることができた。 御神楽橋を渡ると『御神楽岳登山口』と表示が立ち、数台駐車可能なぬかるんだ小広場がある。ここから歩きはじめるのが普通のようだが、 自動車はさらに奥まで入れそうだ。 林道が二岐に分かれている。左手の草むらに倒れた案内標識 かあった。ここから奥は林道に草が茂り、突っ込まない方がよさそうだ。 雨が心配される空模様で少々気が重い。7時間ほどのコースタイム、ゆっくり行って来るさ、という気持ちで出発する。10分も行くと林道が終って、『御神楽岳登山口』と書かれ大きい道標があり、ここまで自動車の轍があった。山頂まで5.9キロとある。 最初は平坦に近い道を遡上して行く。八乙女の滝で岩場を高巻き、再び沢沿に坦々とした道を行く。道はしっかりとしているが、刈払いも不充分で草露を分けての足元は水浸しだ。 八丁洗板の案内板があるあたりから流れは平らな岩盤を滑る滑滝のようになってきた。
紅葉を楽しみながら山項まで1.9キロと記された『熊打場』を通過。この少し先で鎖のついた大岩を越えると、丸太の階段に整備された急な登りとなって、ひと頑張りするとブナに囲まれた避難小屋に到着した。入り口はアルミサッシュのガラス戸で、中にはストーブと薪も用意され、ナベ、釜のたぐいまであり快適に過ごせそうな雰囲気があった。 ブナ林から潅木の間を縫うこと10数分で本名神楽の山頂に立った。山頂には御影石の新しい山名標柱が立っていた。御神楽岳は山頂を新潟県に有しながら、地理的な関係からか奥会津の山とされている。『本名』というのも、麓の会津本名集落名である。ここから目にする御神楽岳本峰はまだ遠い。吹き過ぎる風はもう冬の季節風だ。立ち止まっていると寒さが染みる。上空は雲が覆っているが、そのわりには視界はきいていた。 雨の心配もあり先を急ぐことにする。 潅木に囲まれた道を、いったん鞍部まで下る。標高50メートルほどの下りだろう。鞍部から山頂を視界に入れながら稜線を辿ると、30分弱で御神楽岳山頂に達した。登山口から3時間余、標高差に比してやや時間がかかったが、沢沿いのアプローチが長かったためだろう。 御神楽岳頂上と墨書された標示坂は、地面にほうり出され、山頂の少し先には石祠が薮に囲まれるようにして祀られていた。囲撓する山々は錦の紅葉に彩られ、
山頂は寒く、守門岳方面を一枚スケッチして下山にかかった。 帰りは早かった。避難小屋で軽い飲食をして、あとは駈けるようにして急坂を飛ばした。平坦道の沢沿いまで下ったところで、ついに雨が降りだした。やがて雨は本降りに変った。 『湯倉温泉』に寄って汗を流す。熱い湯は冷えた体に気持ち良かった。 松坂峠を越えて只見町へ入り、白沢林道を会津朝日岳登山口へ車を走 らせた。赤倉沢出会にはイワナ養魚場があって、ここにテントを張らせて欲し いと頼むと、「ここは夜は犬を放すから、この上の堰堤の奥にしてくれ」 という。乗用車では心配になるような道を、堰堤を乗り越えるようにして進み、 200メートルほど先、二つ目の堰堤の脇にテントを設営した。
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