追想の山々1118  up-date 2001.10.06

会津朝日岳(1624m) 登頂日1991.10.20 単独
赤倉沢出合(5.50)−−−赤倉沢標識(6.20)−−−人見の松(7.35)−−−叶の高手(7.50)−−−熊ノ平小屋(8.10)−−−バウチの高手(8.30)−−−会津朝日岳(8.50-9.00)−−−熊ノ平小屋(8.22)−−−叶の高手(9.50)−−−人見の松(10.00)−−−赤倉沢出合(11.05)===粟ケ岳登山口へ
所要時間 5時間15分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
   会津奥只見の名峰=(54歳)
濃霧の会津朝日岳山頂


御神楽岳登頂後、松坂峠を越えて只見町へ入り、白沢林道を会津朝日岳登山口へ車を走 らせた。赤倉沢出会のイワナ養魚場付近にテントを張らせて欲し いと頼むと、「夜は犬を放すから、この上の堰堤の奥にしてくれ」 という。乗用車では心配になるような道を、堰堤を乗り越えるようにして進み、 200メートルほど先、二つ目の堰堤の脇にテントを設営した。  
流木を集めたき火をしながら夕食をしている途中からまた雨が降りだし、やがて本格的な降りとなってしまった。夜中、何回か目を覚ましたが、雨の音は止まなかった。

夜半、テントを叩いていた雨も、幸い明け方近くには止んでいた。  
5時50分、すっかり夜が明けた。テントをそのままにして出発した。  
細い道に自動車の轍がしばらく続いていたが、10分程歩くと車道は行き止まりとなり、そこにテントが一張りある。昨夕私のテントの脇を上って行った自動車の人達だ。自動車3〜4台は駐車できそうなスペースがあった。ここから登山道に入り、沢にかかる小さな橋を渡る。 『荒秀沢』と表示があった。実質的にはここがスタート地点である。  
しばらくは草露を踏んでゆっくりとした登りがつづいている。  
6時20分、赤倉沢の標識が立ち、山頂まで4キロとある。徐々に勾配が急になって来た。コースはやがて叶の高手へ向かって一本調子の急登に変わる。展望のないブナやナラの樹林の登りがつづく。1時間15分歩いて高度を600メートルほど稼いだところで15分間の休憩をとった。さらに順調なペースで高度を稼ぎ、飛び出した稜線が人見の松(1250メートル)だった。ようやく展望が広がり、周囲の紅葉の山々が目に入るようになってきた。さらに尾根伝いによく踏まれた道をたどること15分、叶の高手(1430メートル)ピークに到着。山頂まであと2.5キロ。空様様がどうもはかばかしくない。いつ降りだしてもおかしくない。ひと息入れて先を急ぐ。  

叶の高手からほば150メートルほど高度を下げた鞍部付近は、古いものだが丸太の階段で登山道が整備された形跡を残していた。鞍部から熊の平にかけての道は、紅葉のブナ林が気持ち良い。台風の影響だろうか、ブナの倒木が多く、跨いだり潜ったりを繰り返して進む。前方に会津朝日岳の岩肌が目に入って来ると熊の平が近い。山頂部は垂れ込めた雲に隠れて、その全体はうかかえない。去る7月、守門岳から眺めた会津朝日岳は笠のようになだらかな山容だったのに、今その一部を垣間見た感じでは、岩を剥き出した険しさが強調されて意外な感じがする。わずか5坪ほどの切り開きが熊の平だった。水場の表示もあるが、水筒の水は十分あり、そのまま通過。熊の平から1分程上に避難小屋があった。  

叶の高手、山頂まてもうひといき
小屋からひとしきりきつい登りがつづいて、叶の高手の表示のある見晴らしのいい稜線に立った。しかし雲に閉ざされて展望はない。しばらく平坦道を進むと小幽沢ドッケという水場で山頂まで0.5キ ロと表示されていた。
去来する霧に山頂は見えない。枯れたカヤが地面に伏している急斜面の登りに取り付いた。枯れ草の先は露岩が連続、足元に気を配りながら慎重に登り詰めると、意外に早く稜線に出た。ガスとともに冷たい風が吹き付けて来た。稜線を右手に直角に進むと一つの岩峰となる。しかし標識も何にもない。岩峰のピークを越えてもう少 し先へ進んで見ると、そこに朝日岳の山頂があった。  
本来なら大展望が展開するはずなのに、残念ながら今日も山項を踏んだだけになってしまった。東京東雲山岳会による立派な展望盤があった。展望盤の山名を見つめながら、大パノラマを想像するのみだ。会津の山々はもとより、日光、尾瀬、飯豊・・・
今年、朝日岳と名のつく山はこれで三つ目、白馬連峰の朝日岳、谷川連峰の朝日岳、そしてこの会津朝日岳。  

展望のない山頂に長居は不要、10分余の滞頂で下山にかかった。  
小幽沢ドッケへの岩場の下りで登山者に出会う。ほとんど私と同じくらいのペースで歩いて来たようだ。私よりはずっと若い感じだが、それでも私と同じペースで歩くとすれば、これはかなりの足達者にちがいない。
そのあと、数人のパーティー、二人連れ等結構行き交う登山者も多い。300名山を登るようになるまで、その名も知らなかったが、この山もポピュラーな山であることを示していた。  
熊の平を過ぎたあたりで、ついに雨が落ちてきた。雨具を着けての山歩きは気が滅入る。標高が下がるにつれて雨も上がり、周囲の山々も雨に洗われた紅葉が照り映え、はるかに昨日登った御神楽岳と思われる山影が望まれた。                                                   
12時ちょうど、次の粟ケ岳登山口ヘ向かった。