追想の山々1122 up-date 2001.10.09
九折登山口(5.00)−−−沢徒渉(5.50)−−−カンカケ谷(6.10)−−−谷徒渉(3.15)−−−林道横断(6.40)−−−九折越(7.25)−−−本傾(8.30-40)−−−九折越(9.30)−−−林道(10.00)−−−カンカケ谷(10.30)−−−鉱山跡(11.05)===竹田町へ | |||||||
所要時間 6時間05分 | 1日目 ***** | 2日目 **** | 3日目 **** | ||||
1998年・九州早がけ登山・8日間で14座=(52歳) 大崩山・傾山・阿蘇烏帽子岳・普賢岳・多良岳〜経ケ岳・天山・背振山・英彦山・釈迦岳・大船山〜平治岳・湧蓋山・由布岳・鶴見岳・尾鈴山 傾山
大崩山から下山してから、人目につかないところで洗腸。仮眠したあと、真夜中、延岡市から国道10号線、そして野津町からは県道502号線を走り、傾山登山口の九折鉱山跡が目的地。 街灯もない暗い道、ときおりすれ違う大型トラック以外、前にも後ろにも1台の車もなく、孤独感に襲われるような深夜の運転。県道502号線から分かれて、傾山登山口へ向かう。懐かしい祖母山登山口尾平への道を上畑の集落で分かれて九折への林道へと入る。 2時間30分、ほとんど休みなく走って九折鉱山跡へ着いたのは未明の3時半。運転席で1時間ほどまどろんで目を覚ますと、外は薄明かるくなっていた。 鉱山跡と言っても残骸や廃虚などの荒れ果てた遺物はなく、登山者のために立派な駐車場や休憩舎が作られていた。 フェリーで十分な睡眠をとれなかった上に、昨夜は延岡市の路上と九折鉱山跡を合わせても睡眠はせいぜい4時間程度。加えて昨日の大崩山登山は精力を使い果たすほど歩いて、まだ疲労が残っているというのに気力だけはもう充実していた。 雨の降り出しが昼まで待ってくれればいいが。 5時。早くも白明をきざしている。早速出発する。駐車場から5分も行くと車道が終わって、そこから傾斜のついた鉄製の歩道橋を渡る。しばらく行くとすぐに道は二分する。しっかりした道標がある。直進するのが三つ尾経由傾山への道、左手の山腹へ登って行くのが九折越経由傾山への道。予定どおり九折越経由の道を取る。 山腹の登りに入ると、樹林下の道はまだ薄明もささず暗い。そのまま足元の踏み跡を拾って登って行くと、次第にその踏み跡が不明瞭になり、ついに道が消えてしまった。「あれっ?」という感じだ。そのまま小さな尾根を登ってみたが道らしい道があらわれない。仕方なく先ほどの分岐近くまで戻ってみると、分岐道標から山腹の登山道へ取り付いてすぐのところで、トラバースして行くはっきりした道があり、そこにはちゃんと道標まであった。薄暗いのと足元ばかりに気を取られていて見落してしまったらしい。15分のロス。 明るくなって足元もはっきりしてきた。道は渓流沿いをへつるようにしてつけられている。歩きはじめてから50分、急登もない道をウォーミングアップ気分で歩いて、カンカケ谷の流れに降りた。「50メートル上流を徒渉する」と書かれた案内板がある。岩石の転がる河原を10分弱、50メートルにしては長すぎる距離を上流へ向かって歩くと、右岸への徒渉地点があった。岩の頭を飛び移って対岸へ渡る。このあたりは赤テープが目印だ。 徒渉したとたんに道は一気に険しい急登に変身し、今迄ののんびり気分が吹っ飛ぶ。コースは明瞭で、その点は不安なく高度を稼いでゆく。落葉樹林が気持ちいい。野鳥の囀りが上からも横からも絶え間なく降り注ぐ。 昨日の大崩山につづいて今日もゴム長靴だがぜんぜん苦にならない。むしろ歩きいいくらいだ。とりわけ浅い渓流などは、避ける必要もなくジャブジャブと渡れるから好都合なくらいである。 30分近く急登をよじってびっしょりと汗をかいた頃、突然林道へ出た。一般車はここまでは入れない。林道ではじめて小休止を5分間。地図を広げて現在地を確認してみたが、地図上の林道とは一致しない。現在地は地図の林道よりかなり標高が高いところまで来ている。 林道から鉄梯子で再び急登にとりついた。 ジグザグの急な登りを、足元に視線を落として、ただひたすら登ってゆく。ときおり頭上をうかがうが、まだ稜線らしい様子は見えてこない。昨日につづく今日ということで、足もかなり疲れている。いつも以上にまだかまだかという気持ちが強く出てしまう。 トラバース気味に勾配がいくらか楽になって、頭上が明るく開けてきた。稜線が近くなった感じだ。徒渉点から1時間10分、高度差では多分700メートル前後もあっただろう。ようやく九折越に登りついた。 九折越は峠の広いスペースで、登山道が交差しており、右手への稜線が祖母山方面、左が傾山方面となっている。喉をうるおし、10分間の休憩をとる。水場も近く幕営も可能らしい。祖母山方向へ50メートルも行けば小屋があるようだが、面倒で立ち寄らないまま傾山へと向かった。
どこに登山道があるのかと思えるような急峻な岩峰だが、ちゃんとした登山道がついている。 岩峰基部から取り付いた峻険な登りは、上に行くほど険しくなる。雑木の幹や岩を手がかりにして攀じて行く。まず登りついた最初の岩峰が後傾山。そこに立つと本傾はもう目の前である。一旦鞍部まで下って、もう一度登りかえすと1602メートル、傾山山頂だった。日本三百名山282座目の頂である。 大岩の横たわる山頂に人影はないが、踏まれた山頂の岩や土の様子から、多くの登山者が通う山であることがうかがえた。 方角からして阿蘇か久住と思われる山並みが、雲の上に群青色に横たわっているのが見えた。天気がいいと祖母山はもちろん、大崩山などが手に取るように眺められるというが、今日はだめだった。祖母山方面への稜線を目で追うと、九折越の山小屋の屋根が樹林の中に小さく見る。案じた雨も、今のところ何とか我慢しているという感じだ。 10分間の滞頂で山頂を後にした。できればここから岩峰の連なる坊主尾根を経由して、鉱山跡へ下山したかったが、天気の崩れが気にかかり、もし降り出せば長靴での濡れた岩場は危険と判断し、残念ながら来た道を戻ることにした。 林道に向かって下ってゆくと、一団のパーティーに出合った。人数は12〜3人、消防の服装などの人がまじっていた。林道まで下るとそこには消防署の自動車など3台が止められていた。ここからの登頂だとずいぶん楽だ。体力訓練か何かで特別許可で自動車で来たのだろう。 カンカケ谷を徒渉した先で、登りには気がつかなかった滝が樹間から見える。これは「芥神の滝」で、遠目にも落差の大きい見ごたえのする滝で、観光開発でもすれば名勝になりそうな滝だった。 鉱山跡帰着は11時5分。所要は6時間で、コースタイムより40分早かっただけだった。雨にあわずに登れた幸運に感謝。 この後今日の予定は何もない。雨になるのは間違いない。竹田町のビジネスホテルへ投宿することにする。「道の駅・原尻の滝」で時間つぶしに滝を見物、日本百名瀑に指定されている滝である。 竹田町は荒城の月などで知られる滝廉太郎ゆかりの地。岡城や滝廉太郎記念館を見学してからホテルへ入った。 いよいよ本格的に天気が崩れるという予報。明日からの予定を検討しなおすことにした。 |