追想の山々1131  up-date 2001.10.14

湧蓋山=わいたざん(1500m) 登頂日1998.05.20 単独
ひぜん湯竜泉荘(5.05)−−−石の塔別れ(5.40)−−−牧柵を出る(5.55)−−−湧蓋越え(6.00)−−−小ピーク(6.20)−−−湧蓋山(6.25-30)−−−牧柵(6.55)−−−ひぜん湯(7.30)===由布岳登山口へ
所要時間 2時間25分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
1998年・九州早がけ登山・8日間で14座=(52歳)
大崩山・傾山阿蘇烏帽子岳・普賢岳・多良岳〜経ケ岳・天山・背振山・英彦山・釈迦岳・大船山〜平治岳・湧蓋山・由布岳・鶴見岳・尾鈴山

日本300名山-難読の山の一つ
湧蓋山(石の塔別れにて)


九州7日目。快晴の夜明け。
5時、涌蓋山へ出発。
昨夕入浴したひぜん湯龍泉荘が登山口となる。坂を下って鉄製の歩道橋で川を渡る。そこが龍泉荘である。建物の真ん中がトンネルのように通り抜けできる作りになっていて、それをくぐって裏へ出ると山道へとりつくことができる。龍泉荘のおやじさんが「早いな」と驚いていたが、そういう本人もずいぶん早起きだ。  

樹林の中を10分も登れば、明るい牧歌的な草原となる。この先はほとんど樹林はなく、阿蘇高原のような草原が山の頂まで広がっている。  
踏み固められた道を登ってゆく。涌蓋山の山頂を踏むだけなら、このコースが一番短時間で登れるという。標高差はほぼ540メートル、往復のコースタイムは4時間。 朝のすがすがしい冷気を肌に感じながら、反射板のような建造物の見える小ピークを一つ越えると、涌蓋山がくっきりとあらわれる。おだやかで実に素直な姿をした山だ。いとおしいような優しい姿をしている。  

視界を遮るものもない草原を行くと”石の塔分かれ”という道標の先から牧柵が回らされている。放牧地になっているようだ。柵の外側にコースがつけられているが、草の露でたちまちズボンの裾が濡れてきた。足元は登山靴だから草露くらいは大丈夫。牧柵を出た先が自動車も通れるような広い道で“涌蓋越え”の道標がある。車道を横断してから、しばらく樹林の中へ入るが、すぐに抜け出てふたたび草原となる。振り向くと久住の山が高く聳えているのがのぞめる。ここから山頂へは2段の登りとなっていて、まず最初の長い登りに取りつく。 ところどころにミヤマキリシマの花が見られる。汗の流れる顔に心地いい風がかすかに吹き抜けてゆく。  
最初の段のピークまではけっこう長い登りである。あそこがピークかと思って行く着くと、さらに先ということを何回も繰り返した。  

高度をかせぐと昨日の大船山がはるかに見えてきた。昨日登ったばかりなのに、もう懐かしさを感じる。一度登った山は急に身近で親しみが強くなるものである。友達のような気がする。山頂に立つといつでも自分で登った山を一つ一つ探すのが習慣になってしまった。  
予想以上に長かった登りで一つ目のピーク着いた。涌蓋山山頂はここからもう一段の登りだが、最初の登りにくらべればもうわけなさそうだ。目算したとおり、山頂までは10分とかからなかった。  
日本三百名山288座目。涌蓋山は広い山頂で、標柱や道標、石祠などがいくつもある。展望の方は、この時期しかたないのだろうが霞んでしまい、久住の山々を展望するのが精いっぱいというところ。山頂から見える山々を指呼した案内板がある。それを拾って見ると由布岳、鶴見岳、久住連山、祖母山、傾山、阿蘇山、津江釈迦御前、万年山、英彦山などがあった。これらがすべて見えたら素晴らしいだろう。

下山は同じ道を戻った。  
ひぜん湯着7時30分。予定より1時間も早かった。 ひとつ迷っていたことがあった。それは由布岳へ登るかどうかということである。以前日本百名山で九州へ来た時、久住山へ登ったあと時間が余ったので、超特急で由布岳へ登った。そのときは東峰へ登ったのだが、三角点は西峰にある。「三百名山の由布岳を登りました」というには西峰も踏まなくてはいけない気がする。今日は涌蓋山と鶴見岳の2山と思っていたが、涌蓋山をこんなに早く登ってしまったので、強行軍となるが頑張って由布岳西峰も登ることにした。
そうなると急がなくてはならない。下山したままのかっこうで、着替えもせずに靴だけ履き替えるとただちに由布岳へと自動車を飛ばした。