追想の山々1135  up-date 2001.10.17

奥茶臼山(2474m) 登頂日1993.05.16 単独
安康林道ゲート(3.20)−−−地獄谷林道分岐(4.40)−−−林道終点(5.50)−−−稜線(6.30)−−−奥茶臼山(7.10-20)−−−林道終点(8.15)−−−地獄谷林道分岐(8.50)−−−l林道ゲート(9.45)===東京へ
所要時間 6時間25分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
13キロの林道を走る=(52歳)
乳首のような奥茶臼山

自動車の中で寝たが、寒さに目を覚ますと2時半だった。  
昨日の池口岳につづいて、今日も絶好の登山日和。満天の星がこばれそうだ。  
軽い朝食をとって出発。3時20分、まだ真っ暗闇である。懐中電灯を照らして青木林道ゲートをくぐった。  

今日は長い林道をえんえんと歩かなければならない。林道終点まで距離13キロ、標高はゲートの1000メートルから林道終点2000メ ートルまで約1000メートルの高度差がある。帰りの林道下りは、ジョギングでと思って靴はジョギングシューズにした。  
奥茶臼山は昨日の池口岳に比べても高度ではひけを取らず、かえって42メートル高い。しかし山の難易度は今日の方がずっと気楽である。
参考にした登山記録は、自動車で林道終点まで入ってしまえば、そこから山頂往復はいかにも簡単と記されていた。その林道を今日はすべて歩かなくてはならない。
ゲートから林道をしばらく青木川沿いに進むと、すぐに左に大きくカ ーブしてつま先上りとなってきた。どこかで鹿の警戒を知らせる鳴き声が闇を裂く。野兎があわてて薮に駆け込んで行く。すぐ近くの斜面を動物が走る音が聞こえる。昼間は自動車も通る林道でまさか熊が出るとは思えないが、それでもえたいの知 れない大型動物の移動する様子は気味が悪い。熊よけのベルは昨日池口岳の下山時にコップと一緒にどこかで落としてしまった。ときおり笛を 鳴らしてみる。  

30〜40分も歩くと夜が白んで来た。  
鹿の家族が4,5頭の群れで頻繁に目の前に現れる。カモシカ保護地域という看板が目につく。私の姿を見て「闖入者だ、逃げろ」とばかり に、白い尻毛を見せ、素晴らしいジャンプで樹林の急斜面を難無く駆け上がって行く。  
むだな林道歩きは早く終わらせたくて、ぐんぐんと足を延ばして歩いた。  
最初のポイント地獄谷林道との分岐『二股』までは1時間20分かかって時刻は4時40分だった。沢水を一口含む。歯にしみる。すっかり夜が明けて日本晴れの空が真っ青に広がっている。
二股から小刻みにヘアピンカーブを繰り返しながら高度を上げて行く。 二股から15分も行くと落石が目立つようになる。最近自動車が通っている形跡がない。ふた抱え以上もある巨岩が道の真ん中をふさいでいたりする。状況からしてこの林道の根本的な修復は難しそうだ。ましてこの奥の伐採が終わった今となっては、修復する必要もないのだろう。この状況では自動車が入れたとしても二股までだった。
しばらく落石帯がつづいたが、再びいい道に変わった。  
ショートカットしたいようなカーブを繰り返す単調な林道には、鹿の姿がいっそう頻繁となる。
標高1900メートル先の大きなカーブに差しかかると、天を画すようにして白銀の山脈が見えてきた。中央アルプスの山々である。恵那山も見える。 
林道を開鑿して切り尽くされたシラベの山は、今は荒涼とした残骸のような姿を晒している。  
平坦になった最後の林道から、前茶臼山と奥茶臼山が正面に大きく構えているのが見えてきた。集材作業所跡と思える広場の500メートルほど先が林道終点だった。小さな小屋が建っている。ゲートから2時間30分だった。 空身同然の私の速足でこの時間ならば、一般的には3時間30分はかかるだろう。それにしても長い林道であった。  

奥茶臼山山頂
登山口の標識も案内も全くない。どこから取り付くのか・・・あたりを見回すと脱色した赤布片を小枝に見付けた。そこが入口だった。ここから山道を高度500メートル近い登りとなる。  
たどるのは以前伐採作業に使われた作業道である。薄暗い黒木林をトラパースするように進むとガレ場に出る。ひと抱え以上もある丸太をワイヤーで吊るして、これが橋代わりである。その先の伐採跡は荒れ果て、すでに道形も半ば消えている。感と作業道らしき形跡を見分けて進む。数年前の記録には、作業道はかなり明瞭で歩き良いとあり何の心 配もしていなかったが、この状況ではルートファインデイングが必要になりそうな気配に緊張する。  
北股源頭の沢を滑りそうな丸太で渡り、伐採跡に出ると再び道が不明瞭となる。搬出されずに残された伐採木が無造作に放置され、それに倒木が重なり荒れ放題という感じである。赤布を持って来なかったのが悔やまれる。古いテープがときおり目につく。それでも迷うことなく前茶臼と奥茶臼の鞍部付近の稜線に登り着いた。  
稜線の踏み跡を外さないよう奥茶臼山へ向かう。雪が現れてきた。今朝の冷え込みで雪は堅く締まっていてジョギングシューズでも濡れる心配はなかった。

雪や倒木で見失いがちな道を探しながらシラベの原生林を行く。樹間からは南アルプスの白銀の輝きを覗くことができる。作業道脇のシラベの幼木が成長して来た箇所では、さらに道が分かりにくく、このままでは何年もしないうちに道は消えてしまうだろう。
索道や作業小屋などがあったという奥茶臼山直下の台地に登り着くと、そこには今でも往時の残骸が散在していた。その殺風景さとは裏腹に、ここからの展望は素晴らしいものがあったが、とりあえず先に山頂に立つこと にする。  
道形不明な黒木樹林の急登を適当にコースを取って15分も登ると、残雪に覆われた奥茶臼山の山頂上だった。シラベに囲まれた山頂は展望には恵まれなかったが、それでも樹林を通して南アルプスが近くに見える。少し南側へ行ってみると昨日の池口岳の双耳峰が確認できた。  
記念写真を撮り、一息入れてから山頂を辞した。  

山頂直下からの展望…赤石岳
山頂直下の作業所跡地で山岳展望を楽しむ。展望だけならばここでの展望は池口岳をはるかに凌ぐものがあった。池口岳は光岳の真西に位置していたが、奥茶臼山は荒川三山の真西に あることが展望の条件を良くしていた。荒川三山、赤石岳、聖岳はもとより上河内岳、光岳、塩見岳、間ノ岳、 北岳、仙丈ケ岳、甲斐駒ヶ岳と南アルプスの巨峰はすべて視界の中にある。さらに中央アルプス全山に加え、北アルプスも遠く銀嶺を連ねて穂高も槍もはっきりと確認できるし、頚城の山々も白く聳えていた。
一日眺めていても見飽きないような展望に心を残して下山の途につい た。  

迷うことなく林道終点まで戻って緊張感が解けると、この二日間絶好の快晴に恵まれ、300名山の中で手ごわいと思っていた二山を踏破できた喜びが広がって来た。  
シラベ樹林の下方に林道が見えるのを確認して、斜面を滑り降りるようにしてショートカットをする余裕も出て来た。  
下りの林道をジョギングと歩きを繰り返し、登りで2時間半かかった林道を1時間半でかけ降りた。
今日も山中一人も会うことがなかった。延々とした林道歩きを思うと、奥茶臼山へ登ろうとする人が少ないのもわかる。加えて登山道も消えかかっており、このまま数年もすれば薮山に変わってしまい、日本三百名山を目指すような物好き以外は、登山者の姿がなくなってしまうのか もしれない。  

満足感に包まれて東京への帰路についた。