追想の山々1138  up-date 2001.10.20

黒法師岳(2067m) 登頂日1992.05.23 単独
東京駅(23.40)〓〓〓豊橋駅〓〓〓水窪駅(8.07)===戸中川林道ゲート(9.35)−−−日陰沢林道分岐(10.35)−−−尾根取付点(11.10)−−−稜線上分岐(12.35)−−−黒法師岳(12.50-13.00)−−−尾根取付点(14.20)−−−林道ゲート(15.35)
所要時間 6時間00分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
南アルプス深南部の日本300名山=(55才)
黒法師岳一等三角点
刻印が+ではなく×が珍しい


黒法師岳ここにありと、広く山好きに知られる最大のわけは、山頂の一等三角点標石頭部刻印が「×」になっているからである。本来は「+」に刻むのを、石工が間違えて彫ったといわれている。勿論全国数ある一等三角点標の中で×印のものはここ以外にはないらしい。 刷りそこないの切手が法外な高値で珍重されるのに以た希少価値とでもいうのだろう。一等三角点研究会刊『一等三角点百名山』にも、当然のごとく選ばれている。

先だって貴重なゴールデンウイーク山行で出掛けながら、自動車の故障であえなく退散してから3週間。水窪の修理工場に置いてきた自動車を受け取りがてら、そのときの山行計画であった黒法師岳へ登って来た。

東京発23時40分大垣行夜行普通列車で、豊橋乗り換え飯田線水窪駅で下車。
黒法師岳は変種三角点で知られるとはいえ、訪れる登山者も数少なく、登山案内に関する資料は極めて少なく、わずかな資料によれは「歩程ほぼ11時間』とある。暗くならないうちに下山したい。逆算すると朝7時ころには歩き始めなければならない。しかし順調にいっても出発は9時半を過ぎる。今日の登山は時間との勝負になりそうだ。  
自動車修理工場に立ち寄って自動車を受け取ると、水窪町を後にして男法師岳登山口ヘ向かった。  
道路工事の注意看板に隠れて、水窪ダムから戸中川林道方面への標識を見落とし、ロスタイム約30分。焦る。 単独行の私は、いつも周到過ぎるほどの準備をして出かけるのだが、今回は故障自動車の中に地図、計画書等を入れたままにしておいたので、直前にじっくりおさらいすることもできず、当初計画時の記憶だけでスタートしたのが間違いだった。せめて修理工場を出るときに、もう一度復習すべきだった。
ロックフィル式ダムの水窪ダム堰堤上を通過し、戸中川林道を分け入って行った。ゲートによる行き止まりで自動車を乗り捨てる。
5万分の1地図の外には、水筒、雨具、カメラ、セ−ター、昼食、懐 中電灯、ストーマ装具のほか若干の小物という、スピード登山用の軽装であたふたとゲ ートをくぐった。 
渓流をはるか足下にした戸中川林道は、よく手入れ もされていたが、剥離落下して来た鋭い切り口の岩片が、方々に散らかっ ていた。この林道歩きは1時間40分となっているが、実際にこれを何分で歩けるかで、参考時間の甘辛の見当がつく。緩い上り勾配を足に任 せてぐんぐん飛ばした。途中落差20メートル前後の2段の滝が落下。橋の桁に『清滝橋』とあるから、清滝とでもいうのだろう。豪快さにはかけるが、なかなかスマートでシンプルな滝である。  
早くも汗ばんできたが、若葉に染まりながら歩く気分は爽快だ。
途中、山の斜面を流れる水が何カ所もあって、適当なところで水筒に水を詰めた (日蔭沢林道から先には水はない)。また林道脇には3カ所ほど作業小屋があるので、夕立の一時避難などに利用できそうだ。
天気予報は雨ということで、雨中の登山を覚悟していたが、青空が広がっていまのところ雨の気配はない。
ゲートから6.5キロ、戸中川林道から日蔭沢林道が分岐するところで『黒法師岳へ』と書かれた板切れの案内があった。この分岐には古いが利用可能な作業小屋がある。時間によってはここに一泊して早朝に山頂を攻める手もありそうだ。ここまで丁度1時間。40分の短縮だった。これで夕刻までには下山できる見通しを持つ。

黒法師岳山頂
『等高尾根』への登り口はもう近い。日蔭沢林道へ入って少し行くと、崩壊激しく林道としてはもやは役に立たない荒れようだ。ところで登山口はどこだろうか。落石の散乱した足元に気をつけながら進む。地図ではそれほど奥ではない。10分以上歩いたがそれらしい取付点がない。取付には立派な作業小屋があることになっいるが、その小屋も見当たらない。木材の散乱した荒廃跡が先方に見える。小屋が倒壊したのではないか、確認のため近くまで行ったが、どうも小屋とは無縁のようにも見える。
時間が気になるが 分岐まで戻って取付を探しなおすことにした。やはり分からない。焦りが生じて来る。せっかく林道で稼いだ時間が何にもならない。行ったり来たり、もう一度日蔭沢林道を進んでみる。注意して見ると先ほどの木材の散乱したように見えたのは、やはり建物の柱等で、 山から押し出した岩なだれで倒壊、半ば埋まった状態でとても建物があっ たとは想像も出来なかった。付近に尾根への取付口があるはずだ。

やはりあった。すぐ先の木の枝に赤布を見つけた。ようやく登山口が見つかって胸を撫で下ろした。
日本百名山のような著名な山岳と異なり、これから目指す300名山の中には、 このように案内書も乏しく、道標もほとんどないような山も多いことだろう。先月の和名倉山もそうだったが、いい勉強をさせてもらった。  
時計は既に11時10分を回った。戸中川林道での貯金40分を台な しにして振出しに戻ってしまった。また頑張らなくてはならない。稜繚 までの3時間をどれだけ短縮して登ることができるか。
10分ちょっと、急登をつづら折れに登ったところが等高尾根だった。ブナの巨木が天を突き、圧倒するようなモミの大木が聳え茂っている。
訪れる登山者も少ないと言われながらも、道は意外とはっきりしていて迷うことはない。新緑の尾根道はやがて深い熊笹の中を辿るようになる。顔に撥ね返る藪っぽい笹を漕ぎながらも足をゆるめない。
展望のない等高尾根をひたすら高度を上げて行く。今日の高度差はほぼ1500メートルと大きい。
長かった笹の道を抜け出ると、傾斜はきつくなるが歩きやすい道となって、 歩幅も快調に伸びる。いつかブナも姿を消している。汗が流れ落ちる。 しかし体調はよくぐんぐん高度が上がって行く。

時間的には稜線はまだまだと思っているうちに、前方が明るくなって来て、ひょっこりと飛び出した明るい笹原がその稜線だった。そこには今日はじめての私製の道標があった。右が黒法師岳、左が丸盆岳を指していた。笹原のなかに黒木の点在する稜線は、突然世界が変わったよう な広潤とした風景を作っていた。黒法師岳は黒々として形いい三角形をなして指呼の先だった。一方にはゆるやかな稜線の先に丸盆岳がつつま しく控えている。  
二人の登山者が突然現れた私の姿にびっくりしていた。物音に熊でも出たと思ったのだろう。 「一人で来るなんて凄いですね」と言って敬意を表してくれた。初老の男一人、こんな不便な奥山に登って来ることが驚きだったのかもしれない。

稜線まで3時間のところを1時間25分で来た。凄いスピードだ。しかし時間を無駄にはできない。ただちに黒法師岳へ向かう。参考タ イムでは40分、目測で30分。一本調子の最後の登りと思ったが、小さな上り下りがある。笹の茂るかすかな踏み跡を頼りに進むと、右側が大きく崩壊した縁を行くようになる。踏み外したら一巻の終わりだ。
古びて読めない道標がある。そこを左手直角の薄い踏み跡が山頂と見当をつけ、笹の中をわずかに行くと、黒木に囲まれた平坦部中央に三角点があった。黒法師岳山頂だ。
「ついに来た」そんな思いを味わった山歩きは久しぶりのことだ。40分というのをわずか15分だった。
名高きくだんの三角点は、一部欠けて傷んではいるが、まさしく標石のてっペんは「×」であった。いとおしく触れ、そして写真に収めた。私一人の山頂は森閑として静けさが支配していた。南ア深南部の秘峰にふさわしい原始の静けさであった。ただ黒木樹林の中の山頂は眺望には恵まれないのが惜しい。

引き返して崩壊の縁あたりに出ると眺望が得られる。20万図を持っ て来なかったので山座同定はできないが、丸盆岳からその背後遠くに白き峰々は上河内岳、聖岳だろうか。先日登った熊伏山はいずれか。
笹の中に腰を下ろし、丸盆岳と黒法師岳を眺めながら、初めて10分間の休憩を取った。
雲行きが少し怪しくなって来た。途中の笹の中で降られると厄介である。急いで下山することにした。登りではゆっくり見るゆとりのなかった花を、下山では足を止めて愛でる余裕があった。コイワカガミは濃紅色に花びらを開き始めたばかりだ。ハクサンコザクラも見える。

日蔭沢林道に降り立つと、空模様はいよいよ怪しくなって来て足を速めた。
6.5キロの戸中川林道はけっこう歩きでがある。あと30分も歩けばゲートかというあたりでついに雨になった。雨具を着用した長い林道歩きが終わり、無事自動車まで戻った。
登りにくい山を一つやっつけた充実感があった。
明日は信州百名山〈大川入山)へ登るため、登山口となる信州浪合村冶部坂峠へと向かった。

その後コース整備がされて、今は何の心配もなく登れるしようなっていると聞きました。