追想の山々1139  up-date 2001.10.21

三 嶺=みうね(1893m) 登頂日1997.10.31 単独
和歌山港〜〜〜小松島港(6.50)===R438、439===名頃林道最奥登山口(9.50)−−−避難小屋−−−三嶺(11.05)−−−最奥登山口(12.05)===祖谷温泉入浴===大歩危===別子山村東赤石岳登山口
所要時間 2時間15分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
1997年秋・300名山四国の山旅(その1)=60才
初雪降りしきる三嶺山頂


未明に和歌山港を出港したフェリーが、徳島県小松島港へ入港したのは定刻の6時50分。
道路状況不案内の四国への第一歩を踏んだ。山そのものへの不安はないが、それぞれ目的の山の登山口へうまく行き着けるかどうかが心配だった。いつも思うのだが、マイカーを駆使して知らぬ土地の山を渡り歩く”山旅”は、その登山口へさえたどり着ければ、心理的には登頂の90パーセント方成功したような気になるもので、それだけアプローチには神経を使っていると言うことである。  

登山口が幹線道路沿いにあることは少なく、たいていは道路地図でも探しにくいような、標識もない林道の奥まったところなどが普通で、なかば”感”で探すようなことも多い。
日本百名山のときは、比較的著名な山が多かったし、また遠方からの登山者も多く、それだけに地元の受入態勢が整っていた。登山口周辺が一つの観光地となっているようなケースもあって、割合楽に登山口へたどりつくことができたが、三百名山の方は必ずしも有名山岳だけではなく、地元の人もあまり知らないような地味な山も結構あったりする。
それともう一つ、道路地図には国道となっていても、それがすれ違いもままならないような一車線、加えて山間の峠越え、急カーブの連続という具合で、距離だけで所用時間が割り出せないことがあって、プランどおりに行動できずいらいらすることもある。はたして知らぬ土地での今回の山旅、計画の5座、あわよくば7座を登ることができるかどうか。

小松島港からまずは三嶺登山口へと向かう。R55号、R438へ。(ここではR55号を徳島市まで行き、高速に入って穴吹IC回りが時間的には一番早かったと思う。)国道とは名ばかり、すぐに田舎の狭い道となり、やがて対向車があったらどうしようかと案じるような峠道になってしまった。距離だけを見て道路の選択を誤ってしまったケースだ。戻るわけにも行かない。ときおり『剣山』の道路標識があってこれが目印になる。時計とにらめっこしながら、佐那河内村、神山町、木屋平村と山間の村落を通過し、やがてヘアピンカーブを繰り返しながら、剣山登山口”見の越”へと駆け上ってゆく。渓谷の紅葉がきれいだ。
この先4〜5日間の天気はおおむね良いとの予報で出ていたが、ラジオを聞いていると強い寒気が南下しつつあり、高い山では雪になるという。小松島港からここまで、太陽も出ていて崩れる心配はないと、たかをくくっていた。道路最高地点「見の越」が近づくにしたがって雲が目立ってきた。  
8年前(1989.11.3)剣山へ登って以来の”見の越”である。 ここから西は空模様が一変、雪でも降っているように見える。しかし南国の2000メートルにも満たない山に、今ごろ雪が降るはずはない。
登山口への林道を見落とさないよう注意していると、集落入口に見落としようもない『三嶺』の大きな道標があった。まずはこれで一安心。林道を上がってゆくと登山口の道標があった。ガイドブックによれば、さらに奥にもう一つ登山口があることになっている。たしかに2キロ近く奥へ進んで林道終点の地点に、しっかりした道標の備えられた登山口があった。(林道入口から4.7キロ地点)。駐車スペースは小さく4〜5台しか止められない。山口ナンバーの自動車が止まっていた。

小糠のような雨と思って見上げると、なんとそれは雪。目をこすりたくなるような「まさか」という驚きだった。いくらなんでも雪は予想していなかった。ここの標高がほぼ1000メートル、山頂が1900メートル。上は本格的な雪のおそれもある。しかしここでためらって登頂を諦めたら、後の予定がみんな狂ってしまう。とにかく登ってみて、無理なら引き返す覚悟で支度をした。  
登山靴も冬用は用意していないし、おまけに履きつぶしてかかとに穴が空いている靴では、ちょっとやばいな。  
往復3時間半から4時間だろう。とにかく特急で行ってくることにする。  

歩きはじめると、待っていましたと言わんばかりに降りは強くなってきた。笹や木の葉に雪がさらさらと鳴る。道にもうっすらと積もりはじめている。
コースは雑木林からコメツガの原生林へと変る。なかなか雰囲気のある原生林で、ふと奥秩父の山を連想した。しかしこの雪では先が案しられて、ムードに酔うようなゆとりはない。下山してくる人がある。山口ナンバーの人だった。「山頂はとても寒くて・・・・」と言っていた。 すぐ先が林道途中にあった登山口からのコースとの合流点になっていた。
雪はさらに強くなって、先ほど下って行った人の足跡がもうわからなくなっている。山頂を無事踏んでくることだけで、他のことは一切考えずにピッチをあげて足を運んで行った。
いつか樹林帯を抜けていた。一面笹の原、天気がよかったら展望を楽しみながら散策気分で歩ける所かもしれない。
崩壊地のやや危なっかしい箇所を通過した先に水場の表示がある。コースのどのあたりになるのか、山頂まであとどのくらいか、調べる時間も惜しい。標識から右手へ直角に曲がると、石のごろごろした急坂となる。見通しもきかないが、登山道の周囲は低い笹原のようだ。

突然稜線に登りついた。雪の吹き殴りだ。見ると池がある。ここに池があることがガイドブックに載っていたかなあ。思い出せない。今回の山旅はたいした山はないので、下調べは手を抜いて出かけてきてしまった。
さてこの稜線を右か左か、どっちへ行けば山頂があるのか見当がつかない。吹雪模様で視界は50メートルあるかないか。右手に進んでみると避難小屋が建っていた。小屋からは笹原の中を踏み跡が幾筋もついていて、さっぱり見当がつかない。ガイドブックを置いてきたのが悔やまれた。山頂への道を示す標識でもないかと探したが、一つも見当たらない。吹雪に遮られてピークらしい高みを見通すことができない。
道標もないということは、視界さえあれば、目にみえるところに山頂があるということだ。そう思って適当に笹原の中をの踏み跡の1本をたどってみることにした。少し上がって見るとT字に突き当たる。左手にやや上り勾配がついている。その方向へ進んで見た。雪が横殴りに吹き付ける。完全に冬山の様相を見せている。笹原の小径がしっかりした登山道に交わった。
雪に凍えたようなコメツツジの群生を見ながら登ってゆくと、『三嶺』の標識の立つ山頂があった。稜線へ登りついて池の見えたところで、左に行けば山頂、右へ行くと避難小屋だったのだ。
殆ど視界はない。吹きさらしの山頂は寒さでいたたまれない。記念写真だけ撮ってすぐさま山頂を後にした。
避難小屋へ入り、パンをかじりながら一服すると、すぐさま下山にかかった。登ってきたときの足跡はもう次の積雪で消えていた。
小屋から45分で登山口まで下ってしまった。

前途が思いやられる滑り出しとなってしまった。