追想の山々1142  up-date 2001.10.22

伊予富士(1756m) 登頂日1997.11.02 単独
西条市(5.35)===登山口(6.30)−−−伊予富士86.55-7.05)−−−東黒森山(7.35)−−−登山口(8.00)
所要時間 1時間30分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
1997年秋・300名山四国の山旅(その4)=60才
東黒森から伊予富士を見る

四国の山旅3日目。
西条市のビジネスホテルに宿泊して、翌朝伊予富士へ向かった。
予報によれば今日は冬型も緩んできて絶好の登山日和となるはず。5時半は薄明前でまだ真っ暗だった。昨日の笹ケ峰林道入口を通りすぎ、国道最高点の寒風山トンネルへと上ってゆく。山の端が徐々に白んでくる。峻険な山稜が黎明の空を画して険しく聳えている。四国にこんな山岳景観があったのかと、改めて見直すようなその山稜は、襞に雪の筋を浮かべていた。
道幅が狭まった道は、鋭角のカーブを繰り返しながら高度を上げてゆく。最高点の寒風山トンネルを抜けた向こうは高知県だった。東の空がオレンジ色に染まっている。ヘッドライトも不要なほど明るくなっていた。
トンネルを出た所に駐車場があって、早くも登山者が山へ向かってゆくのが見えた。ここから伊予富士を目指すコースもあるが、今日は最短の瓶ケ森林道からの登頂を予定している。というのはこの後『瓶ケ森』をもう一つ登ってから、さらに高知県の一本杭登山口まで移動しようと言う強行軍を考えていたからである。
駐車場の脇から瓶ケ森林道へ入る。伊予富士はほんのピクニックほどの行程で問題はないが、登山口をうまく見つけられるかどうかが肝心。これを失敗すると後の行程に大きく影響してしまう。未舗装の林道(その後=2001年に通ったときは全面舗装に変っていた)を四駆の威力でばんばん飛ばして、遠慮なく追い越してゆく。
そろそろ最短コースの登山口があるころだ。ただし登山口の表示があるかどうかはわからない。林道沿いの右手に稜線が連なる。どの高みが伊予富士かと見定めながら走ってゆく。あるいは見過ごしてもう通り過ぎてしまったのではないだろうか。心配になってきた頃、左に大きくカーブする地点で『伊予富士』の標識を見つけた。
広い路肩に自動車を止めて、ここから山頂を往復することにした。この登山口がガイドブックに載っていたものならば、1時間程度で往復できるはずだ。
登山口は標高が1500メートル。寒気が厳しい。水溜まりは固く氷りついている。 標識はあるが登山道とも思えないような頼りない道型に取り付いた。ガレからすぐに笹の急斜面へと移る。雪が氷化してツルツルだ。笹に掴まりながら登ってゆく。これを直登して行けば本当に伊予富士の山頂へ至るのかちょっと不安になってきた。しかし道型とも言えないようなこんなルートでも、歩いた足跡が雪の上にはっきり残っていた。
笹の斜面から潅木林へと変ると、滑らなくなった分だけ歩きやすくなった。頭上の高みが伊予富士と信じて攀じること20分、視界の開けたピークへ登りついた。そこには伊予富士の標柱が立っていた。日本三百名山271座目の山頂であった。
四方遮るものもない展望台で、朝もやの漂う中、南方に高知の山々が連綿と連なっている。凛と張り詰めた清澄な冷気を通し、昨日登った笹ケ峰がきれいにのぞめる。その手前には寒風山。西には瓶ケ森と石槌山が屹立しているのが目を引いた。
瀬戸内の海は朝もやの中に島々も同化して、その美しい景観を目にすることはできなかった。
簡単に山頂に達して時間もあったので、すぐ西に見える東黒森山を経由して下ることにした。吊尾根のような尾根筋をつたって、15分もあればその東黒森山まで行き着けそうにみえた。朝日が射し込んできた尾根筋は、笹についた霜が融けはじめ、それが露となり、たちまちズボンを濡らしてきた。濡れたズボンで足が冷たい。

東黒森山の山頂は、小さな鞍部から凍った雪を踏んでしばらくの登りであった。思った時間の倍の30分を要していた。
この山頂も展望はいい。先ほど登った伊予富士と、その背後には笹ケ峰などの山々、西に連なる瓶ケ森、石槌山などは伊予富士の展望と同じだった。
尾根を鞍部まで戻り、そこから林道へは笹の道を下って行く。この下りも笹の露でズボンをさらに濡らしてしまった。林道へ降り立ったところは、最初の伊予富士登山口の標識のあった場所である。うまいこと周回できたことに満足する。
濡れたズボンをはき替えて、次の登頂予定の瓶ケ森へと自動車を向けた。