追想の山々1144  up-date 2001.10.22

三本杭=さんぼんぐい(1226m) 御祝山(998m) 登頂日1997.11.03 単独
万年橋(5.50)−−−御祝山(7.00)−−−15分ロス−−−三本杭(8.45-50)−−−熊のコル(8.05)−−−奥千畳(8.30)−−−雪輪の滝(9.05)−−−万年橋(9.20)===篠山へ
所要時間 3時間30分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
1997年秋・300名山四国の山旅(その6)=60才
一等三角点の三本杭頂上


瓶ケ森を登頂後、石鎚スカイラインを美川村へと下り、地図と首っ引きで内子町、大洲市と経由して宇和島市へ向かう。
宇和島市から広見町方面へ分岐するのにちょっとまごついたが、何とか国道320号線へと入り、須賀川ダム地点へと向かう。目標は随所に案内看板の目につく”床滑渓谷”である。床滑渓谷への道標は最後まではっきりしていて、3時過ぎには三本杭登山口の万年橋へたどり着いた。紅葉の三連休で賑わっていた。
この夜は駐車場で一夜を過ごし、明早朝の三本杭登頂に備えた。
四国3晩目の夜は星空だった。

今日は三本杭と篠山の2座登頂を予定している。
夜の明けるのを待ちかねて出発する。15分ほどは懐中電灯で歩く。
速いペースで高度を稼いでゆく。今日のコースは登りが御祝山を経由して尾根をたどり、帰りは熊のコル経由で滑床渓谷へ下り、万年橋へ戻る周回コースにした。御祝山までは登り一方の急なコースだった。前方に話し声が聞こえる。きっと真っ暗いうちから出てきたのだろう。その話し声の主になかなか追いつかない。そのグループも相当なペースで歩いているようだ。ようやく追いつくとそれは3人の男性で、今日はこの三本杭で高校生の登山大会があり、役員としてコース上で待機するのだとのこと。万年橋でキャンプしていた高校生たちはその大会参加者だった。

しばらくその三人と一緒に歩く。三人とも高校の教師らしい。登山大会用に作ったという三本杭の詳しい地図をもらった。
三人が立ち止まって無線交信を始めたのでそこで別れて先を急ぐことにした。1時間余で御祝山に到着。ここまで標高差700メートル以上の登りにしては早かった。単なる尾根上という感じで、およそ頂上という雰囲気はなかった。急な登りはここまでだった。
景勝『滑床』
平坦な尾根がしばらくつづく。落ち葉が道を覆って見分けにくい。御祝山から15分ほど歩いたところでついに道がわからなくなってしまった。しばらく探したが確信を持てるコースがみつからない。御祝山まで戻ってみることした。戻る途中で三人に出会い、ふたたびその後をついて行く。不明なコースはちょっと左に外れているだけで、よくみればどうということはなかった。先を急ぐあまり目が曇っていたのだろう。
シャクナゲの咲くころは、このあたりが大変美しいところだと教えてくれた。
予期せぬブナの林があらわれた。東北あたりでは当たり前なのに、なぜかここではそれが珍しいもののように新鮮に目に映った。
樹間をとおして朝日を浴びた三本杭が垣間見えるようになった。樹林を抜けて笹原となる。四国の山は笹に覆われた山が多い。三嶺、笹ケ峰、瓶ケ森など、この山旅で登ってきた山々も笹原の山だった。山頂はもう目の前にあった。三人はこのあたりで待機するようだった。
道標杭のところで右手に分岐する道に入り、潅木の間を少し登ると一等三角点三本杭の山頂があった。笹原の山頂で展望はいいが、薄くもやが漂い遠望はきかなかった。それでも宇和海が朝日に光っているのが見えた。
次に登る篠山を探すと、その方向に大きく目を引く山体がある。多分それが篠山だと思われる。

道標杭まで戻り、ここから急坂を下って行くと、15分ほどでコルとなる。熊のコルという。コルからは滑床渓谷の奥千畳へひたすら下って行く。道はしっかりしていて何ら問題はない。コルから30分弱、飛ぶように下って奥千畳へ出た。ここから万年橋まで、渓谷は岩盤の上を滝となったり、瀞をつくったりしながら流れ下っており、その流れに沿って行く。
距離にして何キロくらいつづくのか、これだけの規模の岩盤渓谷は珍しい。紅葉はすでに盛りを過ぎていたが、その時期であったならもっとよかったかもしれない。
景観を楽しみながら約1時間近く渓谷を歩いて、ほぼ予定の時間に万年橋まで戻った。